あまり知られていないし、プロフィールにもほとんど載せていないが、わたしは演劇集団 円という集団(「劇団」ではなく「集団」という)に所属している。芥川龍之介の息子である芥川比呂志が文学座から独立して作った、故・中村信郎さんや故・岸田今日子さん、渡辺謙さん、トトロや銀河鉄道999でおなじみの高木均さん、81歳にしてうちの子どものベビーシッターさんで先日紀伊国屋演劇賞個人賞をとった野村昇史さんなど、名脇役と言われるような個性的な俳優たちが名をつらねる新劇の集団で、現在の代表は橋爪功さんである。

美大在籍中に観た、タデウシュ・カントールなどいくつかの圧倒的な舞台の影響で、舞台芸術の世界にとびこもうとしていた20代初め、とくに演劇集団 円の作品が好きだったからというわけではなく、日本で演劇を始めるにあたり、まずは太田省吾さんという劇作演出家のところで演劇を勉強させてもらいたいと思い、調べたところ、もう「転形劇場」という主宰劇団を解散していて、その後は太田さんの「更地」という作品に出演していた岸田今日子さんの所属する演劇集団 円に作品を書き下ろしたり演出したりしていることがわかった。太田さんのもとで学ぶには円に入るしかないと思い、研究所を受験、その後集団の演出部に入った。研究所も含め、太田さんに出会えるまで3年の月日がかかったが、やっとそこでわが師となる太田省吾さんと出会うことができた。
そしてたまたま同じ目的で円に入っていた谷川清美ちゃんとは、それからずっと仕事をともしていくことになった。

円に入ったことで、舞台作りの仕事をおぼえ、太田さんの演出助手の仕事もするようになり、それで一年360日くらい働いて、なんとか生活できるようになったが、息つく暇もないような生活に、ふとこれがいつまで続くんだろうという気持ちになった。円に所属しつづける理由は、「太田さんに出会う」から「生活のため」にかわっていた。
舞台作りの実践はだいぶ学んだけれど、「学」とでもいうべきものが全く欠けていて、円はそういう「学」を「頭でっかち」とののしり、忌み嫌う風潮があり、現場でそんな話はタブーのようになっていた。たとえば「異化効果」ってなんなんですか?と先輩たちに聞いてみても、「頭でっかちはダメ」「また難しいこと言って」と、誰もそれに応えてはくれなかった。
その頃から持病の片頭痛発作が頻繁に起き始めたこともあり、とにかく生活のためだけに舞台に関わって疲弊していくような状態を一度やめなくてはと、かなり思い切って、なんの収入のあてもなく舞台の仕事をやめた。

先の当てもなく、片頭痛発作が続き、不安がつのり、離人症のような症状まで出はじめて病院を転々とし、お先真っ暗な日々がしばらく続いたが、半年のうちに偶然、演劇学校の講師の職につくことが出来た。本当にありがたかった。念願の「学」の方を勉強する時間もたくさんできて、心理学、演劇学、社会学、哲学の本をとにかく読みまくった。

自己を知りたければ、世界の広さに目を向けなさい。
世界を知りたければ、自己の深みに目を向けなさい。

学生時代に好きだったシュタイナーの言葉だが、この時期わたしは世界の広さや自己の深みに思うぞんぶん向き合っていたと思う。世界や自分のあれこれに目からウロコがたくさんたくさん落ちた。今もわたしの仕事の土台を支えてくれているのは、この頃から出会っている数多くの本だと思う。

そうして30歳にも手が届くという頃、円の同期の俳優から「演出やらない?」と声をかけられた。演出部に「演出家志望」という名目で入ってはいたものの、演出家になる、と本気で考えたことはあまりなかったし、一時は舞台美術家にでもなろうかと知り合いの小劇場の美術をちょこちょこ手伝いはしたものの、作品や演出にしばられる低予算の舞台美術はあまりやりがいもなく、仕事量は多く、生活の足しにもならないのでやめてしまった。でももう30だしなあ、なにかしないとなあ、という思いから、演出をやってみることにした。作品は師、太田省吾作「抱擁ワルツ」。

円にはその頃、本公演とはべつで有志が上演する「小劇場の会」という制度があり、そこに企画を出して許可が下りた作品は自主企画として上演することができることになっていて、そこになんとか通してもらい、初めて自分で演出して舞台を作ることができた。それからはどこかにも書いたかもしれないが、あちこちから演出の依頼がきて、「演出家」になってしまった。もちろん「演出家になる」という覚悟なしに続けられるほど甘くはなかったので、ある日「演出家になる」ことを決意はしたが。

円でも一時、サラ・ケインの「4時48分 サイコシス」の日本初上演などをレパートリーとして提出してみたりもしたが、「そんなの誰が観にくるの?」という一言であっけなく却下。阿部演出作品は難解、と言われ、その後、円の本公演で作品を作ることはなかった。

そんなわけで円に在籍する意味もあまり感じなくなっていたけれど、こうして演出家としての仕事ができているのも、円でほぼ持ち出しなしに作品作りをさせてもらえたということが大きいし、現場で古典の名作の数々に触れられたことも大きいと思う。
そして初演出から9年間、あちこちでたくさんの作品を作らせてもらい、2010年の出産以来、舞台演出活動そのものを一時やめざるを得なくなっていたが、今年、10年ぶりに舞台復帰することになった。こうして数字を見ると、やってた時間より休んでた時間の方が長くなってしまったんだなあ、、、とあらためて思う。

さて舞台復帰は、なんとあれほどさけられていた、演劇集団 円の本公演、である。
円には岸田今日子さんが子どもに良質な舞台を、と企画した、毎年12月のクリスマスシーズンに上演する「子どもステージ」という、谷川俊太郎さんや故・佐野洋子さんなども書き下ろした歴史の長い名物企画が今も続いていて、その子どもステージで、メーテル・リンクの「青い鳥」を上演することになった。
ほんとはもっと「青い鳥」のことを書こうと思ったのに、書いているうちに円との関係の振り返りになってしまったけど、そんなわけで在籍約25年?にして初めて本公演デビューすることになった。
それが子どもステージになるとは夢にも思っていなかったけど、若い頃にお世話になったりしたりしていた今日子さんのシリーズ企画で、しかも子どもたちのための、というのはなんだかうれしい。そして今回の企画者はあの谷川清美ちゃんである。
観にきてくれる子どもや大人に、少しでもいい時間を過ごしてもらえるようにがんばりますね。