北九州でのワークショップと勉強会の3日間が終わった。
出発前日、4年ぶりに持病の発作にみまわれるというハプニングがあり、油断して薬を持っていなかったので仕方なく大事にしながらそのまま北九州へ出発、体調不良のままワークショップに突入という事態になってしまったものの、今年後半はこの仕事にかけて準備してきたので、とりあえず無事に終わってほっとしている。
おかげで移動日の夜、お誘いを受けていた泊さんたち「飛ぶ劇場」の門司倉庫での上演が見られなくなってしまったのは残念だったけど。
その泊さんは、自分の公演の本番中にもかかわらずわたしのワークショップを見学に来てくれた。それから地域創造の松本でのリージョナルシアター事業でご一緒したF'sカンパニーの福田さんと松本さんほか、たくさんの人が小学校に来てくれて、ギャラリーいっぱいでワークショップ始まった。

スタッフが先にこどもたちのところで、ガムテープに名前を書いてもらっていたけど、自分の呼ばれたい名前とか、普段呼ばれてる名前でいいよってことにしたら、みんなへんてこな名前ばっかりで、名前と顔が一致しずらくなってしまったので、二日目からは、ひらがなフルネームにしたらわかりやすくなった。これは反省点。それに地域によっては名前のみならず名字もすごく読みにくいことがある。

あいかわらずこどもたちは元気いっぱいだったけど、9月に会った時とはやっぱり少し印象が変わって、成長していた。6年生のこどもたちはこの時期とても変化しやすい。

■前日と当日の朝

スタッフとミーティングで、今回の目的とプロセスを打ち合わせしていた。
目的は二つ。一つは、こどもたちがどれだけ夢中で時を過ごしてくれるか。もう一つは、ふと自分の中に沈黙が生まれたりするような、気づきの時間をどれだけ作れるか、ということだった。
わたしたちはその目的を共有し、そういう時間を作るべくこどもたちと二日間を過ごす。
ここのこどもたちはわーっとテンションがあがって大騒ぎになりやすいので特に注意が必要だった。 
でも今回は多少大騒ぎがおこってもいいような時間を最初にとってある。
今回アシスタントをしてくれるのは、こちらから一緒に来てくれた俳優のノムさん、それと北九州地元の俳優の古賀さんという女性だが、二人の紹介もすっかり忘れてワークショップに入ってしまった。

■3、4時間目

まずは、人形劇のルールとスケジュールの説明。
26人で5つのグループに分かれてそれぞれのテーマで人形劇を作る。1グループ5〜6人、これが限度だろう。人形は劇場スタッフが約30個集めてくださった。とくに学芸Nさんのおうちからはたくさんの人形たちが参加してくれていた。
テーマと目的はそれぞれ、

1工場の街に住む子の物語
(自分の足下からの出発。自分の街を架空の街に置き換えることで客観的に見てみる。)
2怖いものがない子の物語
(「怖いものがない」とはどういうことなのか、本当に「ない」のか考えてみる。)
3いじめにあったらどうしようと思っている子の物語
(未知の世界の扉の前に立つ時に生じる不安や怖れと向き合ってみる。)
4冒険旅行をした子の物語
(大きなスケールのファンタジーを通して、未知の世界の困難や楽しさを表現してみる。)
5一人暮らしをした子の物語
(現実にいつかおとずれる「ひとり立ち」を、「一人暮らし」のテーマを通して想像してみる。)

事前調査とアンケートの結果からこの5つのテーマを考え、それぞれその答えを書いた子をひとりかふたりそのグループの代表としてわたしが選び、学芸Nさんの提案でグループ分けを先生にお願いすることになり、他のメンバーは担任のN先生が決めた。
どのグループもまとまらないと困るので、ひっぱる子を一人入れてくださるよう、先生にお願いしていた。
N先生は、中年?の男の先生で、口数は少ないけど腹のすわったすてきな先生で、嫌な威圧感もないのに、ふざけがちなこどもたちもこの先生の言うことならなんでもきく。そして独学で演劇の勉強をされていたこともあり、今回のワークショップには、本当に協力的に動いてくださっていた。

グループのメンバー発表があると、案の定みんなわーっ!となった。予想はついたのでその前にすべて説明はすませてすぐに作業に入れるようにしておいた。

一日目は3,4時間目で物語を作り、人形を使って練習、5時間目に発表、6時間目に感想や意見の交換と講評というスケジュールにした。
人形を先に選んでお話を作ってもいいし、逆でもいい、と言ったら、全員が人形を先にとりに行った。
それから声は地声はNG、人形に合った作り声を出すこと。これで自分自身と距離を作ることで、演じやすくさせようとしている。

一日目の劇の創作は、できるかぎりこどもたちのやりたいようにやらせること。
わたしたちはこどもたちからアイデアを引き出したりしながらその手助けをする。
ノムさんと古賀さんは俳優なので、各グループを回りながらとくに表現方法の引き出し役を積極的にやってくれていた。
わたしはその間、事前アンケート結果とこどもたちの顔と名前と特徴とをひとりひとり一致させ、N先生にこっそりと話を聞きながら、それぞれのグループの誰にどんな活躍をしてもらえるだろうかと作戦を練っていた。
だいたい午前中の2コマでどのグループもある程度はできたようだった。

■給食と掃除と昼休み

わたしたちはあえてこどもたちと給食はともにせず、会議室で給食を食べながら、午前中の様子を報告、確認しあったりしながら、午後に備えて作戦会議をしていた。スタッフたちの感想は、どのグループもある程度はいけそうだという感じだったけど、2の「怖いものがない子の物語」チームだけが、マイペースでおさなくふざけがちな男の子が集まってしまい、なんだか話がまとまらず、みんな勝手に人形で遊んだりしていて、ちょっと心配だった。なんでこの子たちが怖いものは「ない」と書くかがよくわかるようだった。このグループには、「とにかくひとりひとり勝手なことしがちだから、みんなで力をあわせて発表できればいいよ」と、言っておいた。
ところがこのグループが思わぬ大逆転を見せたのだった。

■5時間目

午後からの発表は1「工場の街に住む子の物語」から順番に行う。
最初の発表でわたしは青くなってしまった。この一番目のグループは、結局話がまとまらず、発表ができなくなってしまったのだ。他のグループもこうだったらどうしよう、そもそもこのプログラムは難しすぎたんだろうか、青くなりながらあれこれ心配事が頭をぐるぐる回る。回りつつもこのグループがどうしたかったのかだけを聞いてまとめて、とにかくグループにまとめ役がいないことが問題、と先生がTくんをまとめ役に指名して、その場はおさまった。Tくんはおじいちゃんが自動車整備工場をやっていて、そんなおじいちゃんに憧れているが、お母さんから医者になってほしいと言われている。怖いものはという質問に「死」と書くような繊細な子である。1のグループの考えたお話は、3人のこどものいる家族の話で、このこどもたちは工場で働いていて、一人が工場で火事を出したことで機械が壊れ、きたない空気をだすようになってしまい、街の空気が汚れ、その機械を修理して、空気がどんどんきれいになったというものだった。工場があっても空気がきれいであってほしいという彼らの願いがこめられた話ではあるが、具体的な生活の感覚がまったく描かれていなかった。「自分の街の嫌いなところは?」という質問に、「工場があるせいか風がふくと家の中が真っ黒になる」と書いてくれたAちゃんの詩的ですぐれた描写力を、このグループにはいかしてほしかった。

青くなりながら続いて2「怖いものがない子の物語」。このまとまらないグループが、表現としては一番面白くわかりやすくまとめて大逆転を見せてくれたおかげで、再びなんとかなるかも、と希望をいだいた。お話は、あるところに怖いものがない子がいて、遊園地に遊びにいって、ジェットコースターに乗っても、お化け屋敷にいっても、スカイツリーに上ってバンジージャンプをしてもちっとも怖くない、ところが門限すぎて家に帰ってお母さんに叱られて、いくら怖いものなしでもお母さんだけはやっぱり怖い、というかわいらしいオチ。怖いもの知らずの子の友だちのカメはのそのそ動いたり、ゆっくりしゃべったり、お母さん人形は鬼みたいな人形を使って不良みたいな言葉遣いで演じたり、他の人形をジェットコースターに見立てたり、あちこちにたくさんの創意工夫が見られ、ほんとうに楽しくうまくまとまっていたのにみんな驚いた。

3番目は「いじめにあったらどうしようと思っている子の物語」。ここは夢を使うという設定が上手にできていた。パンダちゃんがお友達たちに上靴を隠されたり、仲間はずれにされたり、いじめられるのだが、それは夢だった、という設定。翌朝みんなにその夢の話をして、みんなでいじめはよくないよね、と話し合うという、道徳のPRビデオのような作品になっていた。

4番目の「冒険旅行をした子の物語」は、けっこうお勉強のできる子たちが集まったせいか、まずそれぞれの人形のキャラクターを書き出すところから作業を始め、筋道をきちんとたてて創作をしていた。できた作品も「アルカリ星」に冒険にいったり、リトマス試験紙的なもので実験したり、理科の研究のような内容になっていた。確かに研究も立派な冒険である。

そして5番目の「一人暮らしをした子の物語」は、おともだちどうしがみんなで生活していたら、いじっぱりなブタくんがひとりでへそを曲げて、みんなは出ていってしまい、やっぱり一人はさみしいよう、ということでみんながもどってきてまた一緒に仲良く暮らしましたとさ、というお話。

1をのぞいてはどこのグループもある程度形にしてくれたのでとりあえずほっとする。

■6時間目

続けて感想、意見交換と講評の6時間目。
どこのチームのどういう表現の工夫が面白かった、という具体的で小さな表現に関する感想が続く。
「見立て」に関する感想もあって、こういう演劇の根本的な表現に言及してくるとは、小学生もなかなか鋭くあなどれない。

さてでは講師からの講評ということで、1以外、どのグループもよくがんばったし、面白い表現がたくさんあった、という前提の上、これからわたしが言うことをふまえて、明日はさらに今日作った物語の改良作業と二回目の発表をすると発表。それぞれのテーマに隠された目的、課題も講評とともに明かす。
1「工場の街」グループはとにかくしっかり作品を完成させること、Tくんの活躍に期待。工場の街のいいところ、わるいところをそれぞれしっかり表現に入れること。
2「怖いものなし」グループは本当に怖いもの、たとえば、311の震災では、家族や友だちをなくしてしまった人もいるし、アンケートに地震や津波や火事が怖いと書いた子たちや、自分や家族や友だちの死が怖いと書いてくれた子たちもいる、このグループには「怖いものはない」と書いた子たちが多いけど、本当にそうなのか、立ち止まって考えてみよう、と言ったところで、グループの男の子たちがくちぐちに「怖いものあるよー」と言いだした。なんだやっぱりあるんじゃん、じゃあ本当に怖いものも入れて、作り直そうよ、ということでまとまる。
3「いじめ」グループは、最後がいじめをなくそうみたいなスローガンになっちゃって、みんながいじめをなくしたい気持ちはわかるけど、その前になんでいじめが起きるのか考えてみよう、と問いかける。なんでいじめるの?「泣かせたい」なんで?「弱いとこが見たい」なんで?シーン・・・人をいじめたい気持ちはもしかしたら自分の中にもあるかもしれないよ、なんでいじめるの?「ストレスの発散」どうしてストレスがあるの?「家でDVにあってる」なるほど!じゃあ大人はなんでこどもにあたるの?誰かが「お金」とぽつりと言った。じゃあそれを手がかりに明日はなぜいじめが起きるのか考えながらもう一度作り直そう、ということにする。
4「冒険旅行」グループは、たとえばKくん(残念ながらこの日はお休みだったけど)が宇宙のように誰もいない空間に行ってみたいと書いてくれたけど、本当にそこに行ったらどんな気持ちになるだろう、そこまで行くのは簡単だろうか?ということを考えながら、もう一度作り直すこと。
5「ひとり暮らし」グループは、もっと現実的に、たとえば自分が一人暮らしをするとしたらまずどうする?「家具を買う」「家を買う」「家賃を払う」「料理する」「買い物する」「ネットする」いろいろな答えがあがる。そういうふうに、具体的になにするか、どういう時にさみしいと思うか、考えてきて、とする。

震災や死やいじめの話をした時、こどもたちは一瞬シンとなった。
小学生にこんな話をするのは初めてだった。
小学生に、よく知らないわたしのような者がこんな話をしてもいいんだろうか、と話しながら疑問も生まれたが、こどもたちの目は真剣で、深くわたしの言葉を受け止めてくれているのがわかった。
この子たちなら大丈夫、と思った。

この5つのショートストーリーは、実はつながっていることも明かす。これらのテーマは「過去・現在・ここという内の世界」から「未来・未知(外)の世界」へ、というふうになっていて、もしこれがちゃんとできたら、5の次にもう一度1をつなげて、外の世界を体験してきた後、もう一度今ここに戻った時、自分のいる場所がどんなふうに見えるだろうか、というふうにしたかったんだけど、それはもっと長期的な作業が必要になる。今回はとにかくお話や表現の「でき」は二の次、こどもたちがいかに立ち止まって自分の内なる声や不安や怖れと対話できるか、いかに自己や他者や世界についてなにか発見や再確認ができるか、ということを主軸にしているので、長期でできる機会があれば、表現まで完成させて保護者や下級生に発表する、というところまでいけたらいいなと思う。

今回、創作と発表を二回おこなう理由は、このクラスのようにやりたがりの子たちが多い場合(やりたがりの俳優と同じように)、まずは好きなようにやって発散してもらって、次にこちらの話を聞いてもらいやすい状態にするためと、それから一度目に好きにやってもらうことでこどもたちの考えや様子がわかり、二度目にそれをベースにしてできるだけこどもたちのアイデアのいいところを生かしながら一緒に作り直しができるからだ。

でとりあえずみんなそれぞれ課題を家でも考えてくる、ということで一日目のワークショップは終了した。

放課後、スタッフと先生たちとのフィードバック。こういう時間がしっかりとってもらえるのは嬉しい。いじめや死の話を思わずしたことは自分でもけっこうショッキングなことで、こんなことを小学生に話したのは初めてだったことを先生方に伝えた。
でも最近ワークショップでは先生の注文を聞いて道徳的になりすぎていると自分で感じていて、学校では道徳的なことをおしえなければならないのはよくわかるが、たとえば「いじめはよくないからやめよう」と言う前に、どうしていじめが起きるのかを立ち止まってくわしく考えてみよう、ってことをしたかったので、今回は本当にやりたかったことをやらせてもらっている、今日こどもたちが作ったのもとても道徳的な物語だった、と話すと、「道徳的なのはこどもたちなんですよ」と、校長先生がぽりつと言った。
N先生は、「自分の中にもいじめたい気持ちがあるから、いじめる演技ができるんだ」と、「自分の中にいじめたい気持ちはない?」とわたしが聞いた時答えなかったこどもたちのことを言った。
この答えは、やっぱりN先生が演劇を勉強していたからだろうか?他の先生方にどれくらいこんな話は通じるんだろう?
学校でワークショップをする時、先生方と意思疎通がうまくいくことは少なくて、どうしたらもっと理解してもらえて、演劇を教育にとりいれる活動を普及できるだろうかと思うのだ。