■6時間目

5時間目の発表に対する感想と意見交換、講評の時間であるが、発表がおしてしまったため、あまり時間がない。感想意見交換は少しすっとばし気味で講評をメインにする。

1工場グループはとにかくちゃんと発表ができたことがよかった。いいところ悪いところ両方入って具体的になったし、演技も緊張感があってとてもよかった。この緊張感はとても大切で、それは相手を尊重する気持ちにつながってるんだよと伝える。

2怖いものなしグループはたしかに表現も工夫しててうまいし、本当に怖いもの「津波」がひとつ入ったけど、どうだった?とみんなに問う。まっとうに答えてくれそうなSくんを指名するとSくんは「あんなお母さんでも死んじゃったら悲しい」と答えた。予想的中、「わたしの言いたい事は今Sくんが言ってくれたよ」。本当に怖いものを入れたけど、このグループはそれまで笑いの表現にしちゃったよね。一瞬でもいいから、本当に怖いことを笑いにしないでしっかり感じてみる時間がほしかったな。と言うと、こどもたちはしんとなって、ちゃんとこの言葉は届いたようだった。しかしそれを想像するのはとても怖いことでもあるし、本当に想像できるかどうかわからないことでもある。この課題やこの講評は、彼らだからできたことで、もっと怖がりな子たちのいる学校、クラスでは難しい。

3いじめグループは、話し合いはとてもよかったけど、物語を作って表現を考えて練習する時間がぜんぜん足りなかった。でも話し合いはとてもよかった。初めはやっぱり「いじめ」というテーマで、不安そうな顔をしていたこどもたちは、いじめる側はなぜいじめるのか、と考えを進めるうちにみんなだんだんおびえが消えてとても冷静な表情になっていったのがとても印象的だった。こういう変化を見るのはとても嬉しい。しかし彼らは二日間というあまりに短い時間を目の前の作業に夢中で過ごしているので、自分自身でこの変化に気づくことができない。このワークショップが終わってしばしのち、いつか気づくことがあるのかもしれないが、本人たちにも先生たちにも気づいてもらえないのはあまりにもったいないと思い、このことを講評で指摘しておいた。自分でちょっと強引だなと思った。本当は言いたくなかった。長期ワークショップだと、わざわざこんなことをわたしが言わなくても、先生たちにもこどもたちの変化は手にとるようにわかるし、こどもたちも自分自身の変化を暗黙のうちに受け入れており合いをつけていく。そうすると演劇ワークショップの意義は〜、なんて説明しなくてもすむようになるのだ。
しかしこの「いじめ」のテーマができたのも、このクラスこのこどもたちの間に本物のいじめがなかったからだ。本物のいじめが存在するようなクラスでは、ダイレクトにいじめをテーマにすることは難しいケースがほとんどだろう。その場合はもっと遠まわりでそっと近づいていかなければならない。

4冒険旅行グループは、表現は工夫が見られて面白かったけど、なんでこういうお話にしたのかわからなかったことを伝えた。ここはけっこうお勉強できる子が多いチームなので、それでわかってくれたみたいだったけど、もう少し手伝ってあげたかった。

5一人暮らしグループは、上演時間は長かったけど、表現も具体的になったし、それぞれの子たちの人生が見えて本当に面白かったこと、いじめグループの子たち同様、「一人暮らし」のテーマにとても不安そうな顔をして作業を始めたMさんも、だんだん楽しんできるようになって、発表でもとてもユニークな表現ができてよかったことを伝えた。みんなも満足そうな顔をしていた。

終了時間がずいぶんオーバーしてしまって、長時間の集中を強いられていたこどもたちはやっぱり少しお疲れのようだったけど、本当にみんな最後までよくがんばってくれたと思う。うまく表現できた子たちも、時間が足りなかった子たちもみんなそれなりに満足そうな顔をしていた。その証拠に、劇場からの事後アンケートでは全員が「楽しかった」に○、「また参加してみたい」に○をつけてくれていた。
とりあえず今回はそれぞれなにかを体験してもらえたかな、と思う。

劇場スタッフがクラスから3人のこどもたちにインタビューをしていた。その様子はYoutubeにアップされているが、限定公開のようなので、公表できないのが残念だが、みんなくちぐちに、「みんなで考えながら表現を作っていくのが楽しかった」と言っている。なるほどと思う。遊ぶ時も同じ空間にいても一人一個ゲームを持ってバラバラに遊ぶことが多い中、たしかにこんなふうに対面で話し合いながら、ぶつかったり協調したり折り合いをつけたりしながら、生のコミュニケーションで共同作業をする時間は少ないのかもしれない。

■放課後、フィードバック

今日は校長先生がお留守なので、教頭先生が一日ところどころ抜けながらもおつきあいくださったので、まず教頭先生からお話をうかがう。この教頭先生も何度かお会いしているが、とても笑顔のさわやかな裏表のないような明るい先生で、こんな先生方のいるこの学校はうらやましいなと思う。
夏の事前調査の一コマでは、わたしの質問にがちゃがちゃ騒がしかったこどもたちをどなりつけて喝を入れてくださった教頭先生もこの日はまったく怒鳴ることなく穏やかにこどもたちを見守っていた。
「こどもたちはちゃんと作業の中に入ってやってたと思います」と、教頭先生もこどもたちのがんばりを認めた。そしてつづけた。
学校では発表会と言えばプロセスよりも結果重視にならざるを得ないところがあり、M(一人暮らしグループで活躍した女の子)なんかは、普通だったら「声が小さい(からしっかり出せ)!」ということになるんだけど、今日はとても彼女らしい表現ができていたと思う。最近は「ものを考える」ことがカッコ悪い、という風潮があって、照れ隠しでふざけたり笑いに走ったりしてしまう。当たり前のことを当たり前に言うのが難しくなっている。
という貴重な先生の思いを聞かせてくださった。こんなふうに日頃本当に感じている難しさを話してくれる先生も少ない。

先生方との話では、自分とこの学校はこんな取り組みもあんな取り組みもやっています、という学校自慢になってしまうこともよくあるのだ。演劇ワークショップの意義を説明しても、それならうちだってこういうことをやってます、となってしまい、これは「本来うちでは演劇ワークショップなど必要ないのにやってあげてるんですよ」と言われているのと同じだし、それで一日限りのワークショップだったりするとなんのためにやったの?的な感じで、やっぱりこれは必要なし、となり、本来の演劇の力は発揮されず、それで助かったかもしれないこどもも助からなくなる。
今回のようないい学校、いい先生ほど、本音で話をしてくれるし、目的を許容、共有してくれるのだ。

遅れてN先生がやってくる。N先生は口数が少ないながらも、劇場スタッフのどうでした?という問いかけに、「K(いじめグループの女の子)なんかは本当に自分の思いを表現にできたんじゃないかな」とぽそっと言った。
そのうち校長先生がお戻りになり、こちらにすぐに来てくださった。この女性の校長はなかなかの人物で、学校をよくするためならなんだってやる、とても行動力のある方で、今回の二日間ではあるがこの贅沢な企画を受け入れてくださったのであるが、校長先生にはわたしのワークショップについて、どれだけご理解いただけたのだろうかと心に残る。本当に自分の文脈で理解した、という時先生方は、目を輝かせながら「演劇ワークショップって、こういうことなんですね?」と、自分の言葉で確認されに来ることが多いのだが、校長先生は最後までなにかを探っているようだった。なにかもっと、校長先生にヒットするような要素や言葉が見つかればよかったのに、と思う。
それにしてもいい学校だった。先生方とも別れがたいような気持ちになった。あの子たちの今後の成長の様子もまた知りたいと思った。

そしてこの夜は、山口YCAMでの高校演劇ワークショップで育ってくれた元高校生たちと顧問の先生が、山口からわざわざ関門海峡を越えてわたしにその成長した姿を見せに来てくれたのだった。こういう再会は本当に嬉しい。

今回のワークショップの結果は、またこのブログで分析していきたい。