今回のワークショップがどうだったのか、今後のためにもしっかりふりかえっておこうと思う。
■目的
こどもたちに自己や他者、世界への気づきの体験を目的としていた。知らなかった面を見たり、こうだと思っていたら意外と違うところもあった、とか、わかっていたと思っていたことがわからなくなったり、疑問が生まれたり、そんな体験をしてほしいと思っていた。
これは普段作品製作の現場でも、作品が観客にとってそういうものであってほしいと思っているのだが、それを称して「思考の場としての演劇」という文章を書いたことがある。今回の目的ももっと単純に「立ち止まって考えたり感じたりしてみること」としてしまってもよかったのかもしれない。
そしてその思いを表現すること。
こどもたちに気づきの体験がどの程度あったのかを知るのは後のアンケートはあるが難しいし、その気づきはずっと未来にやってくるものもあるだろう。
立ちどまって考えたり感じたりすることができたか否かは、こどもたちのその場の反応でわかる。
今回は急ぎ足で作業に追われたことによって、こどもたち自身が気づきを気づきとして認識する時間、自己や他者の変化を認識する時間、立ち止まって感じてみる時間が足りなかったが、特定のグループや一部のこどもたちには問題に対する態度にはっきりと変化が見られ、わたし自身はそれなりの手応えを感じることができた。
■方法
人形劇というスタイル:
嫌がる子も若干いたけど、とりあえず全員参加できた。自分自身が演じるよりはやりやすかったと思う。声を自分の普段の声ではなく作り声にしてねと言ったけど、これがけっこう難しく、できた子は半数くらいだろうか。意外な結果だった。恥ずかしいからだろうか?そうかもしれない。自分が小6の頃のことを思い出すと、やっぱり恥ずかしがりだったから、作り声をやれと言われても確かに難しかったかもしれない。でもなにかのきっかけさえあればできそうな気もする。もっと軽い気持ちになってほしいのだ。これは今後の課題。「人形にあわせて声を変える」を強調したらやりやすいだろうか。
人形:
劇場スタッフが人数分集めてくださったおかげで予算をかけずにできて助かった。
手を入れて操作できるタイプの人形はやっぱり使いやすく、とくにカメなんか表現も面白かったけど、全部手を入れるタイプになってしまってもアバウトさがなくなって面白くないので、大小ごちゃまぜでよかったと思う。
小道具:
出発直前になって、こどもたちが小道具を使いたいと言い出したらどうしよう、と急に思いたって、学芸スタッフに紙とクレヨンなどを急遽用意してもらったのだが、学芸スタッフのNさんの「こどもたちがそっちに集中してしまうとやることがずれてしまうので、ない方がいい」というお言葉どうり、なくてなにも問題はなかったし、ない方がよかった。そのおかげでこどもたちは想像力で「見立て」をしながらより演劇的に表現を作っていった。
人数とグループ数:
5、6人グループ×5グループ。1グループの人数はこれが限界。グループは使える時間に対してちょっと多かったので、ほとんど関わってあげられないグループができてしまったのが申し訳なかった。今回のような時間と人数の場合、1グループの人数を増やしてグループ数を減らすことは難しいので、これはどう解消したらいいだろうか。単純に時間を増やせれば解消はできるだろうが、その他の方法はないだろうか。今後の課題。
日数:
1回目、学校との事前打ち合わせとこどもたちの授業見学(英語1コマ)ー7月
2回目、こどもたちとの事前対面質疑応答(1コマ)ー9月
3回目、ワークショップ一日目(4コマ)
4回目、ワークショップ二日目(4コマ)
以上のように、今回はトータルで4回(4日間)、9コマを使わせてもらった。
今回のプログラムはやはりワークショップだけで最低でも二日は必要だった。
しかしこの内容ができたのは、事前にこどもたちと会ったり、アンケートに答えてもらったり、学習発表会のビデオ映像を送ってもらって家で見たりして、ワークショップの前に、こどもたち26人の一人一人を知る努力をかなりして、一人一人をどこでどう生かせるかを考えていたからだ。
おかげで今回はひさしぶりにこどもたち一人一人の顔が見えるワークショップができたし、それはちゃんとみんなに伝わっていたと思う。自分のことも見ててくれてると思うとこどもたちはけっこうそれに応えてくれるし、それで内容の質はぐっとあがる。今回は事前調査まで含めてそれがぎりぎりできる最低限の日数だったと思う。
しかしせっかく作りかけたこどもたちの人形劇を、保護者や下級生たちに見せられるくらいにするには、最低でもあと2日くらいはいるだろうと思う。
スケジュール:
タイムスケジュールと最低限の進行表はあらかじめ作っておいたので、それに従ってだいたい滞りなく進行できた。
今回は1日目を練習、2日目を本番みたいに使った。
1日目にやりたいことをやってもらって、こどもたちのやる気やアイデアを引き出したり、一人一人を把握する時間として使い、2日目は1日目に出てきたものを生かしつつこちらからのコメントをふまえて作り直してもらったが、自分自身はこれはいつものパターンなのでやりやすかった。まずそれぞれ素材をよく見た上でどこをどう生かしたらいいか考え、それをふまえて一緒に作るという方法で、これは作品製作の時もワークショップの時も変わらない。これが一番やりやすい。なので、これができない一日だけのこどものワークショップはけっこうきつい。対象が高校生以上大人の場合は話が通じるので一日だけというのもアリなのだが、小中学生、とくに小学生は厳しい。
時間はよく押してしまうのでいつも注意が必要。今回は講評の時間が足りなかったのに、アシスタントのお二人にもコメントしてもらってしまったが、まず自分一人で言って、補足があったら足してもらうようにしたら時間がオーバーせずにすんだだろう。
場所:
視聴覚室。普通の教室ほどの大きさ。体を動かしたりということではなかったので、十分だった。
教室のように個人のモノが置いていなかったので、作業はしやすかったかもしれない。
それぞれのテーマと目的:
1工場の街にすむ子の物語
「自分の足下からの出発。自分の街を架空の街に置き換えることで客観的に見てみる。」を目的にしていた。一日目に彼らが作ったのは、ファンタジー要素の強い単純なストーリーで、自分たちの街との共通点は「空気が汚い」こと以外なかった。二日目にはもっと自分たちの街に近い話として、具体的に考えてもらったらよくなったが、時間が足りず目的を共有してもらうところまでは行けなかった。しっかり最後まで作れたら、他のグループの物語とつなげて、自分の住む町を違う角度から見てみるという体験ができるのではないだろうか。今回このグループの子たちが体験したことは、街のことを考えたというよりも、「一日目にできなかったことが、二日目にうまくできた」ということの方が大きかったかもしれない。それでも嫌だと思っていた工場の街を、一面的ではなく、いいところ悪いところ両方考えた、ということは記憶に残ってくれるかもしれない。
2怖いものがない子の物語
「<怖いものがない>とはどういうことなのか、本当に<ない>のか考えてみる。」が目的だったが、これは一日目の終わりに「こわいものはあるよ〜」というこどもたちの告白で、なんだやっぱりあるんじゃんうそつきー、ということであっさりと裏切られたテーマ。なら「こわいものはない、と言いたがる子の物語」に変更すればよかったと今思いつくが、じゃその目的はなに?と考えると今回はそうしてみてもそれほど有意義なテーマにはならなかっただろう。こどもたちは簡単にウソもつくし、考えはころころ変わる、ということを念頭において今後に備えましょう。
でもここのチームはみんなで協力して表現を作る、ということをとても楽しんでいたし、よくできていたと思う。
しかし本当に怖いものについて考える、というのは難しいことだとつくづく思った。
3いじめにあったらどうしようと思っている子の物語
「未知の世界の扉の前に立つ時に生じる不安や怖れと向き合ってみる。」
この目的は最低限は達成できたと思う。もっと掘り下げて考えてもよかった。実際のいじめがないこのクラスだからできることだった。
4冒険旅行をした子の物語
「大きなスケールのファンタジーを通して、未知の世界の困難や楽しさを表現してみる。」という目的の遂行は、こちらの意図していたこととしては難しかったと思う。やっぱりもう少し自分たちに近づけて考えてほしかったし、このグループの発表をみて、ほかのこどもたちが困難があっても冒険楽しそうだなと思ってくれるような作品を生みたかった。でも時間の関係でこのグループにはわたし自身はほとんど関われなかったので残念。
5一人暮らしをした子の物語
「現実にいつかおとずれる「ひとり立ち」を、「一人暮らし」のテーマを通して想像してみる。」
これもある程度うまくいったケース。いじめのテーマ同様に自分事になりやすかったし、表現も具体的で面白かった。
総合的にみてみると、こどもたちにとっては自分たちの関心事や普段の生活から離れたテーマほど、自分事にしたり、具体的にするのが難しかったことがわかる。うまくいった「いじめ」と「一人暮らし」のテーマはこどもたちの中で強い感情をかきたてるテーマだし、いじめは経験もあるだろうから、「自分事・具体的」になりやすかったのだろう。それにこの二つはほとんど負の方向だからよけいだ。ここで自分の中にある漠然とした不安や怖れと向き合い、問題を客観的にみてみたり、角度をかえて考えてみることで、必要以上におびえることはないということに気づいたり、問題に対処していこうとする積極性が生まれたり、という変化が起きる。
たとえば今回、すべてのグループが「いじめ」のテーマで作品を作ったらどうだっただろうか。それもありだったと思うが、このこどもたちの場合、それは現在ではなく過去か未来の出来事になるからそのまま扱えば地域のテーマからは遠ざかるもはずれないか、と思う。
こどもたちへの接し方:
ひさしぶりに勘がもどった。妊娠出産でホルモンバランスが崩れたせいか、「自分」がどんな人間であるかという自己イメージまで壊れる体験をして以来、ワークショップでこどもたちにどんなふうに接していたか忘れてしまっていた。なんだかどう接したらよいやら困っていたが、今回ワークショップの少し前に勘がもどってきて、これだ、と思い出したことがあった。なぜかわからないが、少し前に授乳をやめたので、またホルモンバランスが崩れて妊娠前に体が戻ったからだろうか?
こどもたちの一人一人の存在を肯定するように、ほんとにストレートに接していただけだったのだけれどこれがなかなか思い出せなかった。こどもは大人よりももっともっとストレートにいく必要があるのだった。
これを忘れてこどもたちに接して、叱ろうものなら一瞬にして関係も雰囲気も崩れてしまう。
アシスタントのノムさんにも、こどもたちをできるだけ叱らないようにお願いしていたが、今回は「厳しいプロから指導を受けるということだから厳しく、叱ってもらってもOK」という校長先生の許可がおりた。叱ることについては今回のように事前に先生方との役割分担と合意をとっておくとスムーズだと思った。
■終了後のアンケート(記名)とインタビューの結果
見えてきたのはけっこう意外な効果だった。
楽しかったかどうか、また参加したいかどうかという質問には、ありがたいことに全員が「楽しかった」「また参加したい」に○をつけてくれた。これは終わったあとのこどもたちの表情が充実していたことから、ウソではないだろうと思う。
参加してどう感じたかという質問(複数回答)に、「みんなで一緒に何かを作ったり、協力することが楽しかった」という答えが17、「阿部初美さんと一緒に劇を作ったり、活動したりして楽しかった」が10(一緒にできた子がかぎられてしまい申し訳ないです)、「自分の気持ちを動きや言葉で伝えることができた」が7、「今までは知らなかった友だちのよいところを発見できた」が5、という結果だった。
みんなでの作業が楽しかった、という答えが圧倒的に多かったし、youtubeにアップされたインタビューでも三人のこどもたちが同じことを言っていて、これは前のブログにも書いたように、ふだんはこういうふうに、対面で話しながらアイデアを出しながらみんなで共同作業をする、ということが普段あまりないかららしい。インタビューされたFくんがそう話していた。この年頃の多くの男の子たちのように、同じ空間にいてもゲーム機を一人一つ手にしてほとんど会話もなく、という遊びが主流であれば、本当にこんな共同作業をする機会はめったにないだろう。
そういえば担任のN先生も、「このこたちはマイペースで、共同作業は苦手です」とおっしゃっていた。
演劇の「共同作業」はコミュニケーション能力を培うのにもとても適したツールかもしれない。
わたし自身も演出なんて仕事を選んでおきながら、人前で話すのがとても苦手なタイプだった。どういう内容を、誰に、どう伝えたらわかってもらえるか、ということは、演出の仕事を続けるうちに本当によく学ばせられた。おかげで今では3時間であっても4時間であってもまだまだ足りない、というくらいお話するようになってしまったのだが。。。
質問事項に、「考えること」や「発見」に関する質問も入っていたらよかったねと、あとでアンケートを作成した学芸Mさんと話しあった。
次の質問はヒットだった。「この授業を何度か受けるとどんな風に自分が変わると思うか?」という質問(複数回答)だ。もっとも多く、とても驚いたのは、「自分のすることや言うことに自信が持てるようになる」という答えで、これが16人。「今までより自分の気持ちを友だちや家族にわかりやすく伝えられるようになる」が、ついで13、「自分や友だちのいいところや知らなかったところを発見できるようになる」が7、「授業中に発表するのがはずかしくなくなる」も同じく7、という結果だった。
一番トップにきたのは、こちらがあまり意識して目的に組み込んでいないことだったので驚いた。
しかしこれは実はわたし自身が現場でモットーとしていることで、それはそこにいる誰もが気兼ねなく話せるような雰囲気を作ることなのだが、そのためにどの人どの子の言うことも尊重して聞くことを心がけている。だからわたしの現場ではたしかにみんな言いたいことを言うようになる。これが伝わったんだろうかと思う。しかし意図ではなかったとしても、そうなってくれたらそれは本当に嬉しい。今後はここにも「考えることが楽しくなる」とかの答えも入れておいてほしい。
この質問のヒットたるゆえんは、演劇ワークショップを普及させるにあたって、体験したこどもたちの言葉で、その予想効果を語ってもらっていることにある。こどもたち自身がそういうならと、こどものためを思う大人を考えさせてくれるだろう。今までなぜこういう質問がなかったのだろうかと不思議に思う。
放課後のフィードバックでは口数の少なかったN先生も、終了後のインタビューでは「もっとやってもよかった」と、もう少し長期のワークショップを希望してくださっていたという話を聞いた。今回のワークショップについて、よくご理解くださり、こどもたちのためになると判断してくださったんだなと思う。
■学芸スタッフとの作業
今回はとても合理的、スムーズに仕事ができた。自分一人では迷うことも、学芸のNさんMさんから助言をいただき、うまく進められたことも多々あってありがたかった。なにしろやりやすかったのは、みんな私的な感情に惑わされることなく、どうしたら目的をうまく遂行できるか、それだけを考えて動いていたことだ。
これは本当は当たり前のことだけれど、もっと力関係とか、私的な欲とか、いろんなものに惑わされて目がくもり、言いたい事が言えなくなったり、言いたい事と違うことを言ってしまったり、本来の目的に向かって合理的に動けなくなってしまうこともたくさんあるのだ。
なのでこういうふうにストレートに仕事ができることは珍しく、本当に気持ちがよかった。
Mさんは人の都合も考えずじゃんじゃん連絡してきてくれて、目的のためならどんなにだって動く、という気合いが伝わってくる。それで抜けもカバーできるし、催促されることでなんとか時間をとってこちらも進めようと努力できたので本当に助かった。連絡を遠慮されるのはとてもさみしい。
Nさんの肝の大きさには驚かされることもあった。今回は初めてのプログラムということもあり、自分自身、かなり用意をしてきたが、それに理解をしめしてくださると、ワークショップ前日の打ち合わせでは、「ここまでやったんだから、結果の分析さえしっかりできれば、あとは失敗してもなにしてもいいですよ」と、ぽん、と言えてしまうような度量の深さである。この言葉にはどれほど救われたかわからない。今は「失敗はゆるされない」ような風潮や雰囲気が広がっているが、人は失敗から学ぶのである。そのことを忘れていない、希有な人なのだ。さらにワークショップ終了後の食事の最中だったか、こちらがやれることを最大限やって、それでも結果がでないと学校側が言うとしたら「それがおたくのお子さんたちの実力ですよ、ってことですよ」と、ぽんと言い切るような厳しさ。Nさんは、地元で一つの学校で7年間、アウトチーチ事業を継続し、ひとつの文化活動を作った人で、その厳しくあたたかく筋の通った言葉は、こういう経験からでてくるのかもしれない。
今回のプログラムは、Mさんからの「新しい内要、地域に関すること」というオーダーとNさんの「信じてますから」という信頼を受けて開発したものだったが、今までで一番自分らしいワークショップができたのではないかと思う。これは感謝である。「新しい内要」は時に失敗のリスクをともなうが、それでもこういうチャレンジングなオーダーをしてくれる人がいると、それがいろんな変化を起こすきっかけになるので、本来必要なものなのだし、Mさんのような若手が失敗を恐れずにチャレンジして成功したり失敗して学んだりして活躍することで、劇場もどんどんいい変化を起こすことができるだろう。それにNさんのようなベテランとの共同作業やサポートがあるのはすばらしい。
今回に関してはだいたいこんなところだろうか。
残った今後の課題については引き続き考えていきたいと思う。
北九州三日目の劇場での「勉強会」についても、来年都内の劇場で行う「子育てを考える」ワークショップにつながっていくので、時間を見つけてしっかり振り返っておきたい。
■目的
こどもたちに自己や他者、世界への気づきの体験を目的としていた。知らなかった面を見たり、こうだと思っていたら意外と違うところもあった、とか、わかっていたと思っていたことがわからなくなったり、疑問が生まれたり、そんな体験をしてほしいと思っていた。
これは普段作品製作の現場でも、作品が観客にとってそういうものであってほしいと思っているのだが、それを称して「思考の場としての演劇」という文章を書いたことがある。今回の目的ももっと単純に「立ち止まって考えたり感じたりしてみること」としてしまってもよかったのかもしれない。
そしてその思いを表現すること。
こどもたちに気づきの体験がどの程度あったのかを知るのは後のアンケートはあるが難しいし、その気づきはずっと未来にやってくるものもあるだろう。
立ちどまって考えたり感じたりすることができたか否かは、こどもたちのその場の反応でわかる。
今回は急ぎ足で作業に追われたことによって、こどもたち自身が気づきを気づきとして認識する時間、自己や他者の変化を認識する時間、立ち止まって感じてみる時間が足りなかったが、特定のグループや一部のこどもたちには問題に対する態度にはっきりと変化が見られ、わたし自身はそれなりの手応えを感じることができた。
■方法
人形劇というスタイル:
嫌がる子も若干いたけど、とりあえず全員参加できた。自分自身が演じるよりはやりやすかったと思う。声を自分の普段の声ではなく作り声にしてねと言ったけど、これがけっこう難しく、できた子は半数くらいだろうか。意外な結果だった。恥ずかしいからだろうか?そうかもしれない。自分が小6の頃のことを思い出すと、やっぱり恥ずかしがりだったから、作り声をやれと言われても確かに難しかったかもしれない。でもなにかのきっかけさえあればできそうな気もする。もっと軽い気持ちになってほしいのだ。これは今後の課題。「人形にあわせて声を変える」を強調したらやりやすいだろうか。
人形:
劇場スタッフが人数分集めてくださったおかげで予算をかけずにできて助かった。
手を入れて操作できるタイプの人形はやっぱり使いやすく、とくにカメなんか表現も面白かったけど、全部手を入れるタイプになってしまってもアバウトさがなくなって面白くないので、大小ごちゃまぜでよかったと思う。
小道具:
出発直前になって、こどもたちが小道具を使いたいと言い出したらどうしよう、と急に思いたって、学芸スタッフに紙とクレヨンなどを急遽用意してもらったのだが、学芸スタッフのNさんの「こどもたちがそっちに集中してしまうとやることがずれてしまうので、ない方がいい」というお言葉どうり、なくてなにも問題はなかったし、ない方がよかった。そのおかげでこどもたちは想像力で「見立て」をしながらより演劇的に表現を作っていった。
人数とグループ数:
5、6人グループ×5グループ。1グループの人数はこれが限界。グループは使える時間に対してちょっと多かったので、ほとんど関わってあげられないグループができてしまったのが申し訳なかった。今回のような時間と人数の場合、1グループの人数を増やしてグループ数を減らすことは難しいので、これはどう解消したらいいだろうか。単純に時間を増やせれば解消はできるだろうが、その他の方法はないだろうか。今後の課題。
日数:
1回目、学校との事前打ち合わせとこどもたちの授業見学(英語1コマ)ー7月
2回目、こどもたちとの事前対面質疑応答(1コマ)ー9月
3回目、ワークショップ一日目(4コマ)
4回目、ワークショップ二日目(4コマ)
以上のように、今回はトータルで4回(4日間)、9コマを使わせてもらった。
今回のプログラムはやはりワークショップだけで最低でも二日は必要だった。
しかしこの内容ができたのは、事前にこどもたちと会ったり、アンケートに答えてもらったり、学習発表会のビデオ映像を送ってもらって家で見たりして、ワークショップの前に、こどもたち26人の一人一人を知る努力をかなりして、一人一人をどこでどう生かせるかを考えていたからだ。
おかげで今回はひさしぶりにこどもたち一人一人の顔が見えるワークショップができたし、それはちゃんとみんなに伝わっていたと思う。自分のことも見ててくれてると思うとこどもたちはけっこうそれに応えてくれるし、それで内容の質はぐっとあがる。今回は事前調査まで含めてそれがぎりぎりできる最低限の日数だったと思う。
しかしせっかく作りかけたこどもたちの人形劇を、保護者や下級生たちに見せられるくらいにするには、最低でもあと2日くらいはいるだろうと思う。
スケジュール:
タイムスケジュールと最低限の進行表はあらかじめ作っておいたので、それに従ってだいたい滞りなく進行できた。
今回は1日目を練習、2日目を本番みたいに使った。
1日目にやりたいことをやってもらって、こどもたちのやる気やアイデアを引き出したり、一人一人を把握する時間として使い、2日目は1日目に出てきたものを生かしつつこちらからのコメントをふまえて作り直してもらったが、自分自身はこれはいつものパターンなのでやりやすかった。まずそれぞれ素材をよく見た上でどこをどう生かしたらいいか考え、それをふまえて一緒に作るという方法で、これは作品製作の時もワークショップの時も変わらない。これが一番やりやすい。なので、これができない一日だけのこどものワークショップはけっこうきつい。対象が高校生以上大人の場合は話が通じるので一日だけというのもアリなのだが、小中学生、とくに小学生は厳しい。
時間はよく押してしまうのでいつも注意が必要。今回は講評の時間が足りなかったのに、アシスタントのお二人にもコメントしてもらってしまったが、まず自分一人で言って、補足があったら足してもらうようにしたら時間がオーバーせずにすんだだろう。
場所:
視聴覚室。普通の教室ほどの大きさ。体を動かしたりということではなかったので、十分だった。
教室のように個人のモノが置いていなかったので、作業はしやすかったかもしれない。
それぞれのテーマと目的:
1工場の街にすむ子の物語
「自分の足下からの出発。自分の街を架空の街に置き換えることで客観的に見てみる。」を目的にしていた。一日目に彼らが作ったのは、ファンタジー要素の強い単純なストーリーで、自分たちの街との共通点は「空気が汚い」こと以外なかった。二日目にはもっと自分たちの街に近い話として、具体的に考えてもらったらよくなったが、時間が足りず目的を共有してもらうところまでは行けなかった。しっかり最後まで作れたら、他のグループの物語とつなげて、自分の住む町を違う角度から見てみるという体験ができるのではないだろうか。今回このグループの子たちが体験したことは、街のことを考えたというよりも、「一日目にできなかったことが、二日目にうまくできた」ということの方が大きかったかもしれない。それでも嫌だと思っていた工場の街を、一面的ではなく、いいところ悪いところ両方考えた、ということは記憶に残ってくれるかもしれない。
2怖いものがない子の物語
「<怖いものがない>とはどういうことなのか、本当に<ない>のか考えてみる。」が目的だったが、これは一日目の終わりに「こわいものはあるよ〜」というこどもたちの告白で、なんだやっぱりあるんじゃんうそつきー、ということであっさりと裏切られたテーマ。なら「こわいものはない、と言いたがる子の物語」に変更すればよかったと今思いつくが、じゃその目的はなに?と考えると今回はそうしてみてもそれほど有意義なテーマにはならなかっただろう。こどもたちは簡単にウソもつくし、考えはころころ変わる、ということを念頭において今後に備えましょう。
でもここのチームはみんなで協力して表現を作る、ということをとても楽しんでいたし、よくできていたと思う。
しかし本当に怖いものについて考える、というのは難しいことだとつくづく思った。
3いじめにあったらどうしようと思っている子の物語
「未知の世界の扉の前に立つ時に生じる不安や怖れと向き合ってみる。」
この目的は最低限は達成できたと思う。もっと掘り下げて考えてもよかった。実際のいじめがないこのクラスだからできることだった。
4冒険旅行をした子の物語
「大きなスケールのファンタジーを通して、未知の世界の困難や楽しさを表現してみる。」という目的の遂行は、こちらの意図していたこととしては難しかったと思う。やっぱりもう少し自分たちに近づけて考えてほしかったし、このグループの発表をみて、ほかのこどもたちが困難があっても冒険楽しそうだなと思ってくれるような作品を生みたかった。でも時間の関係でこのグループにはわたし自身はほとんど関われなかったので残念。
5一人暮らしをした子の物語
「現実にいつかおとずれる「ひとり立ち」を、「一人暮らし」のテーマを通して想像してみる。」
これもある程度うまくいったケース。いじめのテーマ同様に自分事になりやすかったし、表現も具体的で面白かった。
総合的にみてみると、こどもたちにとっては自分たちの関心事や普段の生活から離れたテーマほど、自分事にしたり、具体的にするのが難しかったことがわかる。うまくいった「いじめ」と「一人暮らし」のテーマはこどもたちの中で強い感情をかきたてるテーマだし、いじめは経験もあるだろうから、「自分事・具体的」になりやすかったのだろう。それにこの二つはほとんど負の方向だからよけいだ。ここで自分の中にある漠然とした不安や怖れと向き合い、問題を客観的にみてみたり、角度をかえて考えてみることで、必要以上におびえることはないということに気づいたり、問題に対処していこうとする積極性が生まれたり、という変化が起きる。
たとえば今回、すべてのグループが「いじめ」のテーマで作品を作ったらどうだっただろうか。それもありだったと思うが、このこどもたちの場合、それは現在ではなく過去か未来の出来事になるからそのまま扱えば地域のテーマからは遠ざかるもはずれないか、と思う。
こどもたちへの接し方:
ひさしぶりに勘がもどった。妊娠出産でホルモンバランスが崩れたせいか、「自分」がどんな人間であるかという自己イメージまで壊れる体験をして以来、ワークショップでこどもたちにどんなふうに接していたか忘れてしまっていた。なんだかどう接したらよいやら困っていたが、今回ワークショップの少し前に勘がもどってきて、これだ、と思い出したことがあった。なぜかわからないが、少し前に授乳をやめたので、またホルモンバランスが崩れて妊娠前に体が戻ったからだろうか?
こどもたちの一人一人の存在を肯定するように、ほんとにストレートに接していただけだったのだけれどこれがなかなか思い出せなかった。こどもは大人よりももっともっとストレートにいく必要があるのだった。
これを忘れてこどもたちに接して、叱ろうものなら一瞬にして関係も雰囲気も崩れてしまう。
アシスタントのノムさんにも、こどもたちをできるだけ叱らないようにお願いしていたが、今回は「厳しいプロから指導を受けるということだから厳しく、叱ってもらってもOK」という校長先生の許可がおりた。叱ることについては今回のように事前に先生方との役割分担と合意をとっておくとスムーズだと思った。
■終了後のアンケート(記名)とインタビューの結果
見えてきたのはけっこう意外な効果だった。
楽しかったかどうか、また参加したいかどうかという質問には、ありがたいことに全員が「楽しかった」「また参加したい」に○をつけてくれた。これは終わったあとのこどもたちの表情が充実していたことから、ウソではないだろうと思う。
参加してどう感じたかという質問(複数回答)に、「みんなで一緒に何かを作ったり、協力することが楽しかった」という答えが17、「阿部初美さんと一緒に劇を作ったり、活動したりして楽しかった」が10(一緒にできた子がかぎられてしまい申し訳ないです)、「自分の気持ちを動きや言葉で伝えることができた」が7、「今までは知らなかった友だちのよいところを発見できた」が5、という結果だった。
みんなでの作業が楽しかった、という答えが圧倒的に多かったし、youtubeにアップされたインタビューでも三人のこどもたちが同じことを言っていて、これは前のブログにも書いたように、ふだんはこういうふうに、対面で話しながらアイデアを出しながらみんなで共同作業をする、ということが普段あまりないかららしい。インタビューされたFくんがそう話していた。この年頃の多くの男の子たちのように、同じ空間にいてもゲーム機を一人一つ手にしてほとんど会話もなく、という遊びが主流であれば、本当にこんな共同作業をする機会はめったにないだろう。
そういえば担任のN先生も、「このこたちはマイペースで、共同作業は苦手です」とおっしゃっていた。
演劇の「共同作業」はコミュニケーション能力を培うのにもとても適したツールかもしれない。
わたし自身も演出なんて仕事を選んでおきながら、人前で話すのがとても苦手なタイプだった。どういう内容を、誰に、どう伝えたらわかってもらえるか、ということは、演出の仕事を続けるうちに本当によく学ばせられた。おかげで今では3時間であっても4時間であってもまだまだ足りない、というくらいお話するようになってしまったのだが。。。
質問事項に、「考えること」や「発見」に関する質問も入っていたらよかったねと、あとでアンケートを作成した学芸Mさんと話しあった。
次の質問はヒットだった。「この授業を何度か受けるとどんな風に自分が変わると思うか?」という質問(複数回答)だ。もっとも多く、とても驚いたのは、「自分のすることや言うことに自信が持てるようになる」という答えで、これが16人。「今までより自分の気持ちを友だちや家族にわかりやすく伝えられるようになる」が、ついで13、「自分や友だちのいいところや知らなかったところを発見できるようになる」が7、「授業中に発表するのがはずかしくなくなる」も同じく7、という結果だった。
一番トップにきたのは、こちらがあまり意識して目的に組み込んでいないことだったので驚いた。
しかしこれは実はわたし自身が現場でモットーとしていることで、それはそこにいる誰もが気兼ねなく話せるような雰囲気を作ることなのだが、そのためにどの人どの子の言うことも尊重して聞くことを心がけている。だからわたしの現場ではたしかにみんな言いたいことを言うようになる。これが伝わったんだろうかと思う。しかし意図ではなかったとしても、そうなってくれたらそれは本当に嬉しい。今後はここにも「考えることが楽しくなる」とかの答えも入れておいてほしい。
この質問のヒットたるゆえんは、演劇ワークショップを普及させるにあたって、体験したこどもたちの言葉で、その予想効果を語ってもらっていることにある。こどもたち自身がそういうならと、こどものためを思う大人を考えさせてくれるだろう。今までなぜこういう質問がなかったのだろうかと不思議に思う。
放課後のフィードバックでは口数の少なかったN先生も、終了後のインタビューでは「もっとやってもよかった」と、もう少し長期のワークショップを希望してくださっていたという話を聞いた。今回のワークショップについて、よくご理解くださり、こどもたちのためになると判断してくださったんだなと思う。
■学芸スタッフとの作業
今回はとても合理的、スムーズに仕事ができた。自分一人では迷うことも、学芸のNさんMさんから助言をいただき、うまく進められたことも多々あってありがたかった。なにしろやりやすかったのは、みんな私的な感情に惑わされることなく、どうしたら目的をうまく遂行できるか、それだけを考えて動いていたことだ。
これは本当は当たり前のことだけれど、もっと力関係とか、私的な欲とか、いろんなものに惑わされて目がくもり、言いたい事が言えなくなったり、言いたい事と違うことを言ってしまったり、本来の目的に向かって合理的に動けなくなってしまうこともたくさんあるのだ。
なのでこういうふうにストレートに仕事ができることは珍しく、本当に気持ちがよかった。
Mさんは人の都合も考えずじゃんじゃん連絡してきてくれて、目的のためならどんなにだって動く、という気合いが伝わってくる。それで抜けもカバーできるし、催促されることでなんとか時間をとってこちらも進めようと努力できたので本当に助かった。連絡を遠慮されるのはとてもさみしい。
Nさんの肝の大きさには驚かされることもあった。今回は初めてのプログラムということもあり、自分自身、かなり用意をしてきたが、それに理解をしめしてくださると、ワークショップ前日の打ち合わせでは、「ここまでやったんだから、結果の分析さえしっかりできれば、あとは失敗してもなにしてもいいですよ」と、ぽん、と言えてしまうような度量の深さである。この言葉にはどれほど救われたかわからない。今は「失敗はゆるされない」ような風潮や雰囲気が広がっているが、人は失敗から学ぶのである。そのことを忘れていない、希有な人なのだ。さらにワークショップ終了後の食事の最中だったか、こちらがやれることを最大限やって、それでも結果がでないと学校側が言うとしたら「それがおたくのお子さんたちの実力ですよ、ってことですよ」と、ぽんと言い切るような厳しさ。Nさんは、地元で一つの学校で7年間、アウトチーチ事業を継続し、ひとつの文化活動を作った人で、その厳しくあたたかく筋の通った言葉は、こういう経験からでてくるのかもしれない。
今回のプログラムは、Mさんからの「新しい内要、地域に関すること」というオーダーとNさんの「信じてますから」という信頼を受けて開発したものだったが、今までで一番自分らしいワークショップができたのではないかと思う。これは感謝である。「新しい内要」は時に失敗のリスクをともなうが、それでもこういうチャレンジングなオーダーをしてくれる人がいると、それがいろんな変化を起こすきっかけになるので、本来必要なものなのだし、Mさんのような若手が失敗を恐れずにチャレンジして成功したり失敗して学んだりして活躍することで、劇場もどんどんいい変化を起こすことができるだろう。それにNさんのようなベテランとの共同作業やサポートがあるのはすばらしい。
今回に関してはだいたいこんなところだろうか。
残った今後の課題については引き続き考えていきたいと思う。
北九州三日目の劇場での「勉強会」についても、来年都内の劇場で行う「子育てを考える」ワークショップにつながっていくので、時間を見つけてしっかり振り返っておきたい。