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<title>阿部初美のブログ</title>
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<description>演劇の演出家です。
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<title>引っ越します</title>
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<description>今月26日に引っ越すというのに、こどもがいる時は作業が全くできないこともあって、荷造りがなかなか進まない。昨日は本当にありがたいことに仕事の仲間だった制作のSちゃんとノムさんが手伝いに来てくれた。Sちゃんは、ずっと作品を一緒に作ってきた人で、なぜか一緒のタイ...</description>
<dc:creator>drecom_abehatsumi</dc:creator>
<dc:date>2011-12-14T10:13:35+09:00</dc:date>
<dc:subject>Life</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[今月26日に引っ越すというのに、こどもがいる時は作業が全くできないこともあって、荷造りがなかなか進まない。昨日は本当にありがたいことに仕事の仲間だった制作のSちゃんとノムさんが手伝いに来てくれた。<br />Sちゃんは、ずっと作品を一緒に作ってきた人で、なぜか一緒のタイミングで結婚が決まり、新居探しをし、そして信じられないことに一週間違いで妊娠し、ちょうど一週間違いでSちゃんは女の子を、わたしは男の子を無事に産んだ。一緒に仕事してきたとはいえ、そこまで一緒じゃなくても〜、、、と冗談みたいな話で本人たちもびっくりだった。<br />今回はSちゃんの子Mちゃんも一緒にお泊まりに来てくれた。前の晩はSちゃんのお母さんやノムさんも来てくれて、本当にひさしぶりにみんなでにぎやかに過ごした。仕事をしていた頃は時々こんなふうにうちに集まってご飯を一緒に食べたりやっていたが、産後は初めてのことだ。今はちっちゃいのが二人チョロチョロして、それがなんとも和やかな風景で、こんなふうににぎやかなところでこどもを育てられたらどんなにいいだろうと思った。しかし子育て中の家には、以前の友だちも誰もほとんど人は来てくれず、それは社会から排除されたような、本当に孤独な日々なのだ。大人だって同じ人とずっとこもりきりで一緒にいたらおかしくなるだろうと想像つくように、母親だって大人の刺激が全く得られないところでずっとこどもといることはできないし、こどもを産んだからといってこどもと一緒にいるのが楽しくて仕方ないというふうにはならない。こどもだって母親以外の人と触れることで、社会性をみにつけ、違う価値観と出会い、解放されていく。二人きりの関係は煮詰まりやすい。<br />「ママ友」という言葉もあるが、こどもを産んだという共通の体験だけで親しい友だちとしてつきあうなんてほとんど不可能だ。という困難な状況に多くの母親はさらされている。<br />Sちゃんは、「社会復帰」という言葉は、子育て中の母親は社会に含まれていない、つまり社会に存在を認められていない存在だということをしめしていると言っていたが、本当にその通りだと思う。こんな社会をわたしたちは本当にのぞんでいるのだろうか？<br />Sちゃんとは産後数回あったがそんなにゆっくり話もできずだったが、今回はこどもたちが寝静まった後、夜更かししてずいぶんいろんな話をした。同じ世界で仕事をし、同じタイミングで仕事を休んだSちゃんとは、感じていることにやっぱりたくさん共通点があった。<br /><br />わたしがワークショップの仕事で少しずつまた自分の活動を始めたように、行動力のあるSちゃんもまた自分の活動を始めていた。なにができるかわからないけど、これから今感じている違和感を少しでも解消できるような活動がまた一緒にできたらいいと思う。<br />Sちゃんちと近所だったらどんなにいいだろうと思うが、Sちゃんちは神奈川で、うちは今度は埼玉なので、まだまだ離れたままだ。<br /><br />ということで、この夜はまた北九州の勉強会の続きのような夜になり、勉強会のフィードバックがまだできていないので早くやりたいのだが、引っ越しの準備が終わらなそうなので、荷造りのめどがついたところか、引っ越したあとでまとめたいと思う。<br /><br /><br />引っ越した後の連絡先のお問い合わせは、メールかmixi（ほとんどログインしてませんが）でお願いします。<br /><br /><br /><br />
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<title>今回のワークショップの結果</title>
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<description>今回のワークショップがどうだったのか、今後のためにもしっかりふりかえっておこうと思う。■目的こどもたちに自己や他者、世界への気づきの体験を目的としていた。知らなかった面を見たり、こうだと思っていたら意外と違うところもあった、とか、わかっていたと思っていた...</description>
<dc:creator>drecom_abehatsumi</dc:creator>
<dc:date>2011-12-02T11:43:40+09:00</dc:date>
<dc:subject>演劇ワークショップ</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[今回のワークショップがどうだったのか、今後のためにもしっかりふりかえっておこうと思う。<br /><br />■目的<br /><br />こどもたちに自己や他者、世界への気づきの体験を目的としていた。知らなかった面を見たり、こうだと思っていたら意外と違うところもあった、とか、わかっていたと思っていたことがわからなくなったり、疑問が生まれたり、そんな体験をしてほしいと思っていた。<br />これは普段作品製作の現場でも、作品が観客にとってそういうものであってほしいと思っているのだが、それを称して「思考の場としての演劇」という文章を書いたことがある。今回の目的ももっと単純に「立ち止まって考えたり感じたりしてみること」としてしまってもよかったのかもしれない。<br />そしてその思いを表現すること。<br />こどもたちに気づきの体験がどの程度あったのかを知るのは後のアンケートはあるが難しいし、その気づきはずっと未来にやってくるものもあるだろう。<br />立ちどまって考えたり感じたりすることができたか否かは、こどもたちのその場の反応でわかる。<br />今回は急ぎ足で作業に追われたことによって、こどもたち自身が気づきを気づきとして認識する時間、自己や他者の変化を認識する時間、立ち止まって感じてみる時間が足りなかったが、特定のグループや一部のこどもたちには問題に対する態度にはっきりと変化が見られ、わたし自身はそれなりの手応えを感じることができた。<br /><br />■方法<br /><br />人形劇というスタイル：<br />嫌がる子も若干いたけど、とりあえず全員参加できた。自分自身が演じるよりはやりやすかったと思う。声を自分の普段の声ではなく作り声にしてねと言ったけど、これがけっこう難しく、できた子は半数くらいだろうか。意外な結果だった。恥ずかしいからだろうか？そうかもしれない。自分が小6の頃のことを思い出すと、やっぱり恥ずかしがりだったから、作り声をやれと言われても確かに難しかったかもしれない。でもなにかのきっかけさえあればできそうな気もする。もっと軽い気持ちになってほしいのだ。これは今後の課題。「人形にあわせて声を変える」を強調したらやりやすいだろうか。<br /><br />人形：<br />劇場スタッフが人数分集めてくださったおかげで予算をかけずにできて助かった。<br />手を入れて操作できるタイプの人形はやっぱり使いやすく、とくにカメなんか表現も面白かったけど、全部手を入れるタイプになってしまってもアバウトさがなくなって面白くないので、大小ごちゃまぜでよかったと思う。<br /><br />小道具：<br />出発直前になって、こどもたちが小道具を使いたいと言い出したらどうしよう、と急に思いたって、学芸スタッフに紙とクレヨンなどを急遽用意してもらったのだが、学芸スタッフのNさんの「こどもたちがそっちに集中してしまうとやることがずれてしまうので、ない方がいい」というお言葉どうり、なくてなにも問題はなかったし、ない方がよかった。そのおかげでこどもたちは想像力で「見立て」をしながらより演劇的に表現を作っていった。<br /><br />人数とグループ数：<br />５、６人グループ×５グループ。１グループの人数はこれが限界。グループは使える時間に対してちょっと多かったので、ほとんど関わってあげられないグループができてしまったのが申し訳なかった。今回のような時間と人数の場合、１グループの人数を増やしてグループ数を減らすことは難しいので、これはどう解消したらいいだろうか。単純に時間を増やせれば解消はできるだろうが、その他の方法はないだろうか。今後の課題。<br /><br />日数：<br />１回目、学校との事前打ち合わせとこどもたちの授業見学（英語１コマ）ー７月<br />２回目、こどもたちとの事前対面質疑応答（１コマ）ー９月<br />３回目、ワークショップ一日目（４コマ）<br />４回目、ワークショップ二日目（４コマ）<br />以上のように、今回はトータルで４回（４日間）、９コマを使わせてもらった。<br />今回のプログラムはやはりワークショップだけで最低でも二日は必要だった。<br />しかしこの内容ができたのは、事前にこどもたちと会ったり、アンケートに答えてもらったり、学習発表会のビデオ映像を送ってもらって家で見たりして、ワークショップの前に、こどもたち２６人の一人一人を知る努力をかなりして、一人一人をどこでどう生かせるかを考えていたからだ。<br />おかげで今回はひさしぶりにこどもたち一人一人の顔が見えるワークショップができたし、それはちゃんとみんなに伝わっていたと思う。自分のことも見ててくれてると思うとこどもたちはけっこうそれに応えてくれるし、それで内容の質はぐっとあがる。今回は事前調査まで含めてそれがぎりぎりできる最低限の日数だったと思う。<br />しかしせっかく作りかけたこどもたちの人形劇を、保護者や下級生たちに見せられるくらいにするには、最低でもあと２日くらいはいるだろうと思う。<br /><br />スケジュール：<br />タイムスケジュールと最低限の進行表はあらかじめ作っておいたので、それに従ってだいたい滞りなく進行できた。<br />今回は１日目を練習、２日目を本番みたいに使った。<br />１日目にやりたいことをやってもらって、こどもたちのやる気やアイデアを引き出したり、一人一人を把握する時間として使い、２日目は１日目に出てきたものを生かしつつこちらからのコメントをふまえて作り直してもらったが、自分自身はこれはいつものパターンなのでやりやすかった。まずそれぞれ素材をよく見た上でどこをどう生かしたらいいか考え、それをふまえて一緒に作るという方法で、これは作品製作の時もワークショップの時も変わらない。これが一番やりやすい。なので、これができない一日だけのこどものワークショップはけっこうきつい。対象が高校生以上大人の場合は話が通じるので一日だけというのもアリなのだが、小中学生、とくに小学生は厳しい。<br />時間はよく押してしまうのでいつも注意が必要。今回は講評の時間が足りなかったのに、アシスタントのお二人にもコメントしてもらってしまったが、まず自分一人で言って、補足があったら足してもらうようにしたら時間がオーバーせずにすんだだろう。<br /><br />場所：<br />視聴覚室。普通の教室ほどの大きさ。体を動かしたりということではなかったので、十分だった。<br />教室のように個人のモノが置いていなかったので、作業はしやすかったかもしれない。<br /><br />それぞれのテーマと目的：<br /><br />１工場の街にすむ子の物語<br />「自分の足下からの出発。自分の街を架空の街に置き換えることで客観的に見てみる。」を目的にしていた。一日目に彼らが作ったのは、ファンタジー要素の強い単純なストーリーで、自分たちの街との共通点は「空気が汚い」こと以外なかった。二日目にはもっと自分たちの街に近い話として、具体的に考えてもらったらよくなったが、時間が足りず目的を共有してもらうところまでは行けなかった。しっかり最後まで作れたら、他のグループの物語とつなげて、自分の住む町を違う角度から見てみるという体験ができるのではないだろうか。今回このグループの子たちが体験したことは、街のことを考えたというよりも、「一日目にできなかったことが、二日目にうまくできた」ということの方が大きかったかもしれない。それでも嫌だと思っていた工場の街を、一面的ではなく、いいところ悪いところ両方考えた、ということは記憶に残ってくれるかもしれない。<br /><br />２怖いものがない子の物語<br />「＜怖いものがない＞とはどういうことなのか、本当に＜ない＞のか考えてみる。」が目的だったが、これは一日目の終わりに「こわいものはあるよ〜」というこどもたちの告白で、なんだやっぱりあるんじゃんうそつきー、ということであっさりと裏切られたテーマ。なら「こわいものはない、と言いたがる子の物語」に変更すればよかったと今思いつくが、じゃその目的はなに？と考えると今回はそうしてみてもそれほど有意義なテーマにはならなかっただろう。こどもたちは簡単にウソもつくし、考えはころころ変わる、ということを念頭において今後に備えましょう。<br />でもここのチームはみんなで協力して表現を作る、ということをとても楽しんでいたし、よくできていたと思う。<br />しかし本当に怖いものについて考える、というのは難しいことだとつくづく思った。<br /><br />３いじめにあったらどうしようと思っている子の物語<br />「未知の世界の扉の前に立つ時に生じる不安や怖れと向き合ってみる。」<br />この目的は最低限は達成できたと思う。もっと掘り下げて考えてもよかった。実際のいじめがないこのクラスだからできることだった。<br /><br />４冒険旅行をした子の物語<br />「大きなスケールのファンタジーを通して、未知の世界の困難や楽しさを表現してみる。」という目的の遂行は、こちらの意図していたこととしては難しかったと思う。やっぱりもう少し自分たちに近づけて考えてほしかったし、このグループの発表をみて、ほかのこどもたちが困難があっても冒険楽しそうだなと思ってくれるような作品を生みたかった。でも時間の関係でこのグループにはわたし自身はほとんど関われなかったので残念。<br /><br />５一人暮らしをした子の物語<br />「現実にいつかおとずれる「ひとり立ち」を、「一人暮らし」のテーマを通して想像してみる。」<br />これもある程度うまくいったケース。いじめのテーマ同様に自分事になりやすかったし、表現も具体的で面白かった。<br /><br />総合的にみてみると、こどもたちにとっては自分たちの関心事や普段の生活から離れたテーマほど、自分事にしたり、具体的にするのが難しかったことがわかる。うまくいった「いじめ」と「一人暮らし」のテーマはこどもたちの中で強い感情をかきたてるテーマだし、いじめは経験もあるだろうから、「自分事・具体的」になりやすかったのだろう。それにこの二つはほとんど負の方向だからよけいだ。ここで自分の中にある漠然とした不安や怖れと向き合い、問題を客観的にみてみたり、角度をかえて考えてみることで、必要以上におびえることはないということに気づいたり、問題に対処していこうとする積極性が生まれたり、という変化が起きる。<br />たとえば今回、すべてのグループが「いじめ」のテーマで作品を作ったらどうだっただろうか。それもありだったと思うが、このこどもたちの場合、それは現在ではなく過去か未来の出来事になるからそのまま扱えば地域のテーマからは遠ざかるもはずれないか、と思う。<br /><br />こどもたちへの接し方：<br />ひさしぶりに勘がもどった。妊娠出産でホルモンバランスが崩れたせいか、「自分」がどんな人間であるかという自己イメージまで壊れる体験をして以来、ワークショップでこどもたちにどんなふうに接していたか忘れてしまっていた。なんだかどう接したらよいやら困っていたが、今回ワークショップの少し前に勘がもどってきて、これだ、と思い出したことがあった。なぜかわからないが、少し前に授乳をやめたので、またホルモンバランスが崩れて妊娠前に体が戻ったからだろうか？<br />こどもたちの一人一人の存在を肯定するように、ほんとにストレートに接していただけだったのだけれどこれがなかなか思い出せなかった。こどもは大人よりももっともっとストレートにいく必要があるのだった。<br />これを忘れてこどもたちに接して、叱ろうものなら一瞬にして関係も雰囲気も崩れてしまう。<br />アシスタントのノムさんにも、こどもたちをできるだけ叱らないようにお願いしていたが、今回は「厳しいプロから指導を受けるということだから厳しく、叱ってもらってもOK」という校長先生の許可がおりた。叱ることについては今回のように事前に先生方との役割分担と合意をとっておくとスムーズだと思った。<br /><br /><br />■終了後のアンケート（記名）とインタビューの結果<br /><br />見えてきたのはけっこう意外な効果だった。<br /><br />楽しかったかどうか、また参加したいかどうかという質問には、ありがたいことに全員が「楽しかった」「また参加したい」に○をつけてくれた。これは終わったあとのこどもたちの表情が充実していたことから、ウソではないだろうと思う。<br /><br />参加してどう感じたかという質問（複数回答）に、「みんなで一緒に何かを作ったり、協力することが楽しかった」という答えが17、「阿部初美さんと一緒に劇を作ったり、活動したりして楽しかった」が10（一緒にできた子がかぎられてしまい申し訳ないです）、「自分の気持ちを動きや言葉で伝えることができた」が7、「今までは知らなかった友だちのよいところを発見できた」が5、という結果だった。<br />みんなでの作業が楽しかった、という答えが圧倒的に多かったし、youtubeにアップされたインタビューでも三人のこどもたちが同じことを言っていて、これは前のブログにも書いたように、ふだんはこういうふうに、対面で話しながらアイデアを出しながらみんなで共同作業をする、ということが普段あまりないかららしい。インタビューされたFくんがそう話していた。この年頃の多くの男の子たちのように、同じ空間にいてもゲーム機を一人一つ手にしてほとんど会話もなく、という遊びが主流であれば、本当にこんな共同作業をする機会はめったにないだろう。<br />そういえば担任のN先生も、「このこたちはマイペースで、共同作業は苦手です」とおっしゃっていた。<br />演劇の「共同作業」はコミュニケーション能力を培うのにもとても適したツールかもしれない。<br />わたし自身も演出なんて仕事を選んでおきながら、人前で話すのがとても苦手なタイプだった。どういう内容を、誰に、どう伝えたらわかってもらえるか、ということは、演出の仕事を続けるうちに本当によく学ばせられた。おかげで今では３時間であっても４時間であってもまだまだ足りない、というくらいお話するようになってしまったのだが。。。<br />質問事項に、「考えること」や「発見」に関する質問も入っていたらよかったねと、あとでアンケートを作成した学芸Mさんと話しあった。<br /><br />次の質問はヒットだった。「この授業を何度か受けるとどんな風に自分が変わると思うか？」という質問（複数回答）だ。もっとも多く、とても驚いたのは、「自分のすることや言うことに自信が持てるようになる」という答えで、これが16人。「今までより自分の気持ちを友だちや家族にわかりやすく伝えられるようになる」が、ついで13、「自分や友だちのいいところや知らなかったところを発見できるようになる」が7、「授業中に発表するのがはずかしくなくなる」も同じく7、という結果だった。<br />一番トップにきたのは、こちらがあまり意識して目的に組み込んでいないことだったので驚いた。<br />しかしこれは実はわたし自身が現場でモットーとしていることで、それはそこにいる誰もが気兼ねなく話せるような雰囲気を作ることなのだが、そのためにどの人どの子の言うことも尊重して聞くことを心がけている。だからわたしの現場ではたしかにみんな言いたいことを言うようになる。これが伝わったんだろうかと思う。しかし意図ではなかったとしても、そうなってくれたらそれは本当に嬉しい。今後はここにも「考えることが楽しくなる」とかの答えも入れておいてほしい。<br />この質問のヒットたるゆえんは、演劇ワークショップを普及させるにあたって、体験したこどもたちの言葉で、その予想効果を語ってもらっていることにある。こどもたち自身がそういうならと、こどものためを思う大人を考えさせてくれるだろう。今までなぜこういう質問がなかったのだろうかと不思議に思う。<br /><br />放課後のフィードバックでは口数の少なかったN先生も、終了後のインタビューでは「もっとやってもよかった」と、もう少し長期のワークショップを希望してくださっていたという話を聞いた。今回のワークショップについて、よくご理解くださり、こどもたちのためになると判断してくださったんだなと思う。<br /><br />■学芸スタッフとの作業<br /><br />今回はとても合理的、スムーズに仕事ができた。自分一人では迷うことも、学芸のNさんMさんから助言をいただき、うまく進められたことも多々あってありがたかった。なにしろやりやすかったのは、みんな私的な感情に惑わされることなく、どうしたら目的をうまく遂行できるか、それだけを考えて動いていたことだ。<br />これは本当は当たり前のことだけれど、もっと力関係とか、私的な欲とか、いろんなものに惑わされて目がくもり、言いたい事が言えなくなったり、言いたい事と違うことを言ってしまったり、本来の目的に向かって合理的に動けなくなってしまうこともたくさんあるのだ。<br />なのでこういうふうにストレートに仕事ができることは珍しく、本当に気持ちがよかった。<br />Mさんは人の都合も考えずじゃんじゃん連絡してきてくれて、目的のためならどんなにだって動く、という気合いが伝わってくる。それで抜けもカバーできるし、催促されることでなんとか時間をとってこちらも進めようと努力できたので本当に助かった。連絡を遠慮されるのはとてもさみしい。<br />Nさんの肝の大きさには驚かされることもあった。今回は初めてのプログラムということもあり、自分自身、かなり用意をしてきたが、それに理解をしめしてくださると、ワークショップ前日の打ち合わせでは、「ここまでやったんだから、結果の分析さえしっかりできれば、あとは失敗してもなにしてもいいですよ」と、ぽん、と言えてしまうような度量の深さである。この言葉にはどれほど救われたかわからない。今は「失敗はゆるされない」ような風潮や雰囲気が広がっているが、人は失敗から学ぶのである。そのことを忘れていない、希有な人なのだ。さらにワークショップ終了後の食事の最中だったか、こちらがやれることを最大限やって、それでも結果がでないと学校側が言うとしたら「それがおたくのお子さんたちの実力ですよ、ってことですよ」と、ぽんと言い切るような厳しさ。Nさんは、地元で一つの学校で７年間、アウトチーチ事業を継続し、ひとつの文化活動を作った人で、その厳しくあたたかく筋の通った言葉は、こういう経験からでてくるのかもしれない。<br />今回のプログラムは、Mさんからの「新しい内要、地域に関すること」というオーダーとNさんの「信じてますから」という信頼を受けて開発したものだったが、今までで一番自分らしいワークショップができたのではないかと思う。これは感謝である。「新しい内要」は時に失敗のリスクをともなうが、それでもこういうチャレンジングなオーダーをしてくれる人がいると、それがいろんな変化を起こすきっかけになるので、本来必要なものなのだし、Mさんのような若手が失敗を恐れずにチャレンジして成功したり失敗して学んだりして活躍することで、劇場もどんどんいい変化を起こすことができるだろう。それにNさんのようなベテランとの共同作業やサポートがあるのはすばらしい。<br /><br />今回に関してはだいたいこんなところだろうか。<br /><br />残った今後の課題については引き続き考えていきたいと思う。<br />北九州三日目の劇場での「勉強会」についても、来年都内の劇場で行う「子育てを考える」ワークショップにつながっていくので、時間を見つけてしっかり振り返っておきたい。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />
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<title>ワークショップ(小学生) in 北九州２続</title>
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<description>■６時間目５時間目の発表に対する感想と意見交換、講評の時間であるが、発表がおしてしまったため、あまり時間がない。感想意見交換は少しすっとばし気味で講評をメインにする。１工場グループはとにかくちゃんと発表ができたことがよかった。いいところ悪いところ両方入っ...</description>
<dc:creator>drecom_abehatsumi</dc:creator>
<dc:date>2011-12-02T11:22:40+09:00</dc:date>
<dc:subject>演劇ワークショップ</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[■６時間目<br /><br />５時間目の発表に対する感想と意見交換、講評の時間であるが、発表がおしてしまったため、あまり時間がない。感想意見交換は少しすっとばし気味で講評をメインにする。<br /><br />１工場グループはとにかくちゃんと発表ができたことがよかった。いいところ悪いところ両方入って具体的になったし、演技も緊張感があってとてもよかった。この緊張感はとても大切で、それは相手を尊重する気持ちにつながってるんだよと伝える。<br /><br />２怖いものなしグループはたしかに表現も工夫しててうまいし、本当に怖いもの「津波」がひとつ入ったけど、どうだった？とみんなに問う。まっとうに答えてくれそうなSくんを指名するとSくんは「あんなお母さんでも死んじゃったら悲しい」と答えた。予想的中、「わたしの言いたい事は今Sくんが言ってくれたよ」。本当に怖いものを入れたけど、このグループはそれまで笑いの表現にしちゃったよね。一瞬でもいいから、本当に怖いことを笑いにしないでしっかり感じてみる時間がほしかったな。と言うと、こどもたちはしんとなって、ちゃんとこの言葉は届いたようだった。しかしそれを想像するのはとても怖いことでもあるし、本当に想像できるかどうかわからないことでもある。この課題やこの講評は、彼らだからできたことで、もっと怖がりな子たちのいる学校、クラスでは難しい。<br /><br />３いじめグループは、話し合いはとてもよかったけど、物語を作って表現を考えて練習する時間がぜんぜん足りなかった。でも話し合いはとてもよかった。初めはやっぱり「いじめ」というテーマで、不安そうな顔をしていたこどもたちは、いじめる側はなぜいじめるのか、と考えを進めるうちにみんなだんだんおびえが消えてとても冷静な表情になっていったのがとても印象的だった。こういう変化を見るのはとても嬉しい。しかし彼らは二日間というあまりに短い時間を目の前の作業に夢中で過ごしているので、自分自身でこの変化に気づくことができない。このワークショップが終わってしばしのち、いつか気づくことがあるのかもしれないが、本人たちにも先生たちにも気づいてもらえないのはあまりにもったいないと思い、このことを講評で指摘しておいた。自分でちょっと強引だなと思った。本当は言いたくなかった。長期ワークショップだと、わざわざこんなことをわたしが言わなくても、先生たちにもこどもたちの変化は手にとるようにわかるし、こどもたちも自分自身の変化を暗黙のうちに受け入れており合いをつけていく。そうすると演劇ワークショップの意義は〜、なんて説明しなくてもすむようになるのだ。<br />しかしこの「いじめ」のテーマができたのも、このクラスこのこどもたちの間に本物のいじめがなかったからだ。本物のいじめが存在するようなクラスでは、ダイレクトにいじめをテーマにすることは難しいケースがほとんどだろう。その場合はもっと遠まわりでそっと近づいていかなければならない。<br /><br />４冒険旅行グループは、表現は工夫が見られて面白かったけど、なんでこういうお話にしたのかわからなかったことを伝えた。ここはけっこうお勉強できる子が多いチームなので、それでわかってくれたみたいだったけど、もう少し手伝ってあげたかった。<br /><br />５一人暮らしグループは、上演時間は長かったけど、表現も具体的になったし、それぞれの子たちの人生が見えて本当に面白かったこと、いじめグループの子たち同様、「一人暮らし」のテーマにとても不安そうな顔をして作業を始めたMさんも、だんだん楽しんできるようになって、発表でもとてもユニークな表現ができてよかったことを伝えた。みんなも満足そうな顔をしていた。<br /><br />終了時間がずいぶんオーバーしてしまって、長時間の集中を強いられていたこどもたちはやっぱり少しお疲れのようだったけど、本当にみんな最後までよくがんばってくれたと思う。うまく表現できた子たちも、時間が足りなかった子たちもみんなそれなりに満足そうな顔をしていた。その証拠に、劇場からの事後アンケートでは全員が「楽しかった」に○、「また参加してみたい」に○をつけてくれていた。<br />とりあえず今回はそれぞれなにかを体験してもらえたかな、と思う。<br /><br />劇場スタッフがクラスから３人のこどもたちにインタビューをしていた。その様子はYoutubeにアップされているが、限定公開のようなので、公表できないのが残念だが、みんなくちぐちに、「みんなで考えながら表現を作っていくのが楽しかった」と言っている。なるほどと思う。遊ぶ時も同じ空間にいても一人一個ゲームを持ってバラバラに遊ぶことが多い中、たしかにこんなふうに対面で話し合いながら、ぶつかったり協調したり折り合いをつけたりしながら、生のコミュニケーションで共同作業をする時間は少ないのかもしれない。<br /><br />■放課後、フィードバック<br /><br />今日は校長先生がお留守なので、教頭先生が一日ところどころ抜けながらもおつきあいくださったので、まず教頭先生からお話をうかがう。この教頭先生も何度かお会いしているが、とても笑顔のさわやかな裏表のないような明るい先生で、こんな先生方のいるこの学校はうらやましいなと思う。<br />夏の事前調査の一コマでは、わたしの質問にがちゃがちゃ騒がしかったこどもたちをどなりつけて喝を入れてくださった教頭先生もこの日はまったく怒鳴ることなく穏やかにこどもたちを見守っていた。<br />「こどもたちはちゃんと作業の中に入ってやってたと思います」と、教頭先生もこどもたちのがんばりを認めた。そしてつづけた。<br />学校では発表会と言えばプロセスよりも結果重視にならざるを得ないところがあり、M（一人暮らしグループで活躍した女の子）なんかは、普通だったら「声が小さい（からしっかり出せ）！」ということになるんだけど、今日はとても彼女らしい表現ができていたと思う。最近は「ものを考える」ことがカッコ悪い、という風潮があって、照れ隠しでふざけたり笑いに走ったりしてしまう。当たり前のことを当たり前に言うのが難しくなっている。<br />という貴重な先生の思いを聞かせてくださった。こんなふうに日頃本当に感じている難しさを話してくれる先生も少ない。<br /><br />先生方との話では、自分とこの学校はこんな取り組みもあんな取り組みもやっています、という学校自慢になってしまうこともよくあるのだ。演劇ワークショップの意義を説明しても、それならうちだってこういうことをやってます、となってしまい、これは「本来うちでは演劇ワークショップなど必要ないのにやってあげてるんですよ」と言われているのと同じだし、それで一日限りのワークショップだったりするとなんのためにやったの？的な感じで、やっぱりこれは必要なし、となり、本来の演劇の力は発揮されず、それで助かったかもしれないこどもも助からなくなる。<br />今回のようないい学校、いい先生ほど、本音で話をしてくれるし、目的を許容、共有してくれるのだ。<br /><br />遅れてN先生がやってくる。N先生は口数が少ないながらも、劇場スタッフのどうでした？という問いかけに、「K（いじめグループの女の子）なんかは本当に自分の思いを表現にできたんじゃないかな」とぽそっと言った。<br />そのうち校長先生がお戻りになり、こちらにすぐに来てくださった。この女性の校長はなかなかの人物で、学校をよくするためならなんだってやる、とても行動力のある方で、今回の二日間ではあるがこの贅沢な企画を受け入れてくださったのであるが、校長先生にはわたしのワークショップについて、どれだけご理解いただけたのだろうかと心に残る。本当に自分の文脈で理解した、という時先生方は、目を輝かせながら「演劇ワークショップって、こういうことなんですね？」と、自分の言葉で確認されに来ることが多いのだが、校長先生は最後までなにかを探っているようだった。なにかもっと、校長先生にヒットするような要素や言葉が見つかればよかったのに、と思う。<br />それにしてもいい学校だった。先生方とも別れがたいような気持ちになった。あの子たちの今後の成長の様子もまた知りたいと思った。<br /><br />そしてこの夜は、山口YCAMでの高校演劇ワークショップで育ってくれた元高校生たちと顧問の先生が、山口からわざわざ関門海峡を越えてわたしにその成長した姿を見せに来てくれたのだった。こういう再会は本当に嬉しい。<br /><br />今回のワークショップの結果は、またこのブログで分析していきたい。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />
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<item rdf:about="http://abehatsumi.dreamlog.jp/archives/5068734.html">
<title>ワークショップ(小学生) in 北九州２</title>
<link>http://abehatsumi.dreamlog.jp/archives/5068734.html</link>
<description>さて二日目。みんなはどれくらい家で考えてきてくれただろうか。昨日は帰りに校長先生が二人の男の子をつかまえて、「今どれくらい力出してやってる？」と聞いていた。男の子たちは「60パーセントくらい。。。」と答えた。「じゃあいつ100パーセントの力を出すの？」と聞くと...</description>
<dc:creator>drecom_abehatsumi</dc:creator>
<dc:date>2011-11-30T14:50:47+09:00</dc:date>
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<content:encoded><![CDATA[さて二日目。みんなはどれくらい家で考えてきてくれただろうか。<br />昨日は帰りに校長先生が二人の男の子をつかまえて、「今どれくらい力出してやってる？」と聞いていた。男の子たちは「60パーセントくらい。。。」と答えた。「じゃあいつ100パーセントの力を出すの？」と聞くと、こどもたちは黙ってしまった。「今日と明日しかないんだよ、100パーセントの力を出さないうちに終わっちゃうよ！」。本当にすてきな校長先生である。<br /><br />■当日の朝<br /><br />スタッフとの作戦会議。お話を作るのが難しい１、テーマが難しい３、構成が難しい５、この３つのグループにわたしが入って一緒に作業することにして、ノムさん、古賀さんにはこの他の２と４のグループを中心にみてもらうことにする。<br />二日目は、創作の時間を一時間けずって３時間目創作、４時間目発表、５時間目感想意見交換と講評、６時間目演劇のゲーム、という予定だったけど、もし創作がうまくいかなかったり、もう一歩踏み込みたいのに時間が足りない場合は、あまり中途半端もよくないので、一日目と同じスケジュールにして、６時間目の演劇ゲームを中止することで合意してスタート。<br /><br />■３、４時間目<br /><br />昨日の校長先生の話をして、今日は100パーセントの力を出してくれとこどもたちに言う。<br /><br />昨日、１「工場」グループのまとめ役に選ばれたTくんがなんと休んでしまった。プレッシャーからだろうか、明日はわたしも一緒に作るよ、とひと言言っておいたら来てくれただろうか。真相はわからないが、とにかく工場のいいところをリアルに語れるTくんがいないのは痛い。とにかくこのグループはまとめ役がいないので、まずここに入らなくてはならなかった。<br />グループのメンバーはまだ昨日の話にこだわっていた。ここは実はみんな活躍していいところを見せたいと思っている男の子たちが多く、自分自分になってしまい、それをまとめる人がいないのだ。だからみんなやる気はあるんだけど。まずは自分たちの街のことを具体的に現実的に考えてみようと提案する。紅一点のAちゃんの描写力がほしい。たのみの綱のAちゃんは、ものすごく恥ずかしがりで人形を使っても演技が嫌で仕方ないようだった。いやなら人形はしなくてもいい、劇作家的な役割をしてくれれば。すると「工場の煙で空気が汚くなって、空がへんな色になったってお母さんが言ってた」とAちゃん。そうそう、そういう話ほかにないかな？「川がきたなくなって魚がいっぱい死んだってじいちゃんが言ってた」と、Mくん。そうそうそういう話を入れようよ。でも工場のいいところはないのかな？工場があって助かってるのは誰？働く人。工場で作ったものを使う人。こどもたちはけっこうわかっている。それに工場は夢を作る。Tくんみたいに、工場で働きたいと憧れる子もいる。具体的に話せばどんどんこどもたちからでてくる。工場のことには我関せずで過ごしてきたHくんは、具体的な工場の話になると他の子みたいに知識がないので活躍できず、また我関せずとばかり一人で人形で遊び始めてしまった。時間がないこともあったが、Hくんにはあえて何も言わず、とにかくその調子で具体的に街のいいところ悪いところを表現して物語を作るように言って、話し合いが難航し、救いを求めている３「いじめ」グループに向かう。<br /><br />３「いじめ」グループでは、昨日いじめられる役をやったパンダちゃんのHくんが、もういじめられる役は嫌だと主張。いじめられ役を決められずにいた。Hくんは手描きみたいなイラストのついたTシャツを着ていて、珍しいTシャツだね、と言ったら自分で描いたということだった。口数は少ないけど、独特な自分の世界を持った芸術家肌の子である。いくら遊びだっていじめられるのは嫌だよね、Hくんよくやった。いじめる役をやったみんな、演じてみてどうだった？いじめる人の気持ちわかった？「上靴を隠す時やっててはっとした。嫌だった。」みんな口々にいじめる役は嫌だったというが、じゃあいじめる役が嫌ならいじめられる役をやったらいいんじゃない？なぜみんないじめられる役は嫌なの？もう一度考えよう、なぜいじめるのかな？昨日、Fくんが「家庭で愛されていないストレスから友だちをいじめてしまうんじゃないか」って言ってたよね？「オレに言わせると大人が悪いよ！」憤ってMくんが言いきる。じゃ大人はなんでこどもをいじめるの？Kさんが続く。「家族の世話で自分の時間がないからイライラしてる」すごい、鋭い（焦）、、、「残業ばっかりだったり、会社の上の人にいじめられてる」すごい、こどもはやっぱりそうとう大人を見ている。じゃあ上の人はなんで会社員をいじめるの？昨日誰かが「お金・・・」とぽつりと言った。こういうふうにみていくと、こどものいじめの問題は大人の問題、社会全体の問題とも言えるよね。それにいじめる子といじめられる子、普通はいじめられる子を一方的にかわいそうと思うけど、本当にそうだろうか？それを考えながら、もう一度話を考えよう、と言ってやっぱり途方にくれている５「一人暮らし」グループに入る。<br /><br />５「一人暮らし」グループ。一人一人ちゃんと具体的に考えてきたかな？それぞれがひとり暮らしを始めるところから始まるよ、最初の一週間、半年後、一年後、十年後をそれぞれ想像して台本を書いてみて、と指示。将来やりたいことは？の問いに「一人暮らし。ひとりぼっちになってしまった時のために慣れておきたいから」と書いたMさんは、人形劇の遊びだというのに、本当に不安そうな顔をしている。なにをするかな？「香水買ってきてリラックスする」どういう時さみしくなると思う？「一人でテレビ見たりご飯食べたりしてる時」寂しさをまぎらわす時、なにをする？「友だちと遊ぶ」「ペットを飼う」そんなふうに書いていけばいいよ、それに十年後はもう一人じゃなくて、家族ができてるかもしれないし。そういうと、Mさんはやっと気を取り直して鉛筆を持った。このグループの男の子たちはなんだかかわいらしくて、人形を大事にあつかったり、あんまり雄々しいタイプではなく、一人暮らしでなにする？と聞くとパソコンと答えたEくんに、ゲームでもするのかと思ってパソコンでなにするの？と聞くと「ご飯のレシピを探す」と答えたり、お料理したり、家事をしっかりやろうとする子たちだ。とくにテレたりすることもなく、彼女ができてデートしたり、なんて台本を書いていくので面白い。<br /><br />それからまた１や３のグループの作業がちゃんと進んでいるか、このあたりをぐるぐる回るうちにあっという間に３、４時間目が終わり、６時間目の演劇ゲームのプログラムはカットになった。<br /><br />■給食、掃除、昼休み<br /><br />わたしたちスタッフは会議室でミーティング。まあ、３、４時間目はできることはやった。２「怖いものなし」グループがなかなか面白くなったという情報。<br />本当の勝負は二日目の今日だったから、気合いを入れてがんばったおかげか背中がばきばきになっていた。以前はこんなことはなかったのに、やっぱり育児と家事と仕事と、そして今回は引っ越しの準備がかさなって無理がたたったのか、４年ぶりの発作もたぶん過労とストレスだろうと思う。それでもこの仕事はどうしてもやりたかったし、実現できて本当によかった。それに引っ越せばまた状況は少しよくなるだろう。今回Kは実家の両親にあずけておいてきた。またいわきみたいに連れていって、エネルギーをそっちにとられて仕事がまっとうできなくてはやる意味がない。幸いKはじいとばあ、とくにじいが大好きで、実家に行けばわたしたち親がいるにもかかわらず、夜はよくじいと寝ている。わたしがいなくなって二日目の夜は「はっちゃん、ママー」と泣いたらしいが、泣いたのはその夜だけで、あとは元気に過ごしていたらしい。最終的には５泊、わたしと離れていた。両親に感謝である。<br />この昼休みに、劇場スタッフのインタビューの撮影があった。今回のワークショップの目標や意義などを話す。<br />ここまでなんとかきた。あとはこどもたちのがんばりを見せてもらう。<br />こどもたちは昼休み返上で人形劇の練習にいそしんでいた。<br /><br />■５時間目<br /><br />発表。<br /><br />１「工場」のグループ。今日は最後までちゃんと発表できた。我関せずだったHくんもしっかり劇に参加している。作り声で演じているのがなんとも可笑しい。本人たちは多少恥ずかしがりながら、途中で放棄したい気持ちにもかられながら、でも負けずに、なんとか途切れずに演じ続けている。よくがんばった。昨日とはぜんぜん違う。ちゃんと工場の街のいいところ、悪いところ、両方入っていたし、具体的だった。ナレーションで片付けてしまう部分も減った。よくを言えばこの調子でもっと長く、構成を少し手伝いながら完成させられたら、とってもいいショート人形劇ができたんじゃないかと思う。<br /><br />２「怖いものない」。昨日の話の続きができていた。門限破りでお母さんに叱られた主人公は家を出てとぼとぼと山へ歩く。途中、ともだちのカメと会うと、カメも門限破りで家を追われたということだった。そこへ津波がやってくる。カメもお母さんも、みんな死んでしまい、主人公だけが生き残る、という話ができていた。あいかわらずこのグループは、表現に関しては創意工夫がうまくて、チームワークもいい。作業中はみんな勝手なことしてるように見えるのに不思議だった。ごちゃごちゃしてなくて、ちゃんと「見せる」ことを意識してるし、面白い表現がうまいので、笑いがたくさん起きた。<br />しかし、本当に怖いこと＝津波がくるというエピソードは入ったものの、それを本当に想像できただろうか。それすらも笑いになってしまっていたのだ。<br /><br />３「いじめ」グループの物語は、二つのシーンからなる。「本当にかわいそうなのはどっち？」「本当に弱いのにつよがっていじめてしまう子」というタイトルがついていた。<br />初めに、親がこどもを虐待するシーンから始まる。これがなんだかとてもリアルだった。お母さん役で「オレに言わせれば大人が悪いよ！」と言ったMくんは、ちょっと俳優の素質のある子だった。ちょっとハスにかまえたとこがあって、感受性が豊か、表現に思い切りがあって面白く、自分の感情に正直、さらに思いやりもある、さめたとこもある、面白い子だった。<br />しかしもったいなかったのは、その後が続かず、ほとんどナレーションで「説明」してしまったのだった。二つ目のストーリーも一つ目との関連がなく、ただ状況を説明しただけになってしまったのが残念だったが、このグループも時間をかければしっかりした表現で作品を完成させることができると思うし、みんなが漠然と不安に思っていた「いじめ」問題に、自分事として真剣に取り組めたことがよかったと思う。<br /><br />４「冒険旅行」グループ。ここにはほとんどかかわってあげられなかったことをちょっと後悔した。<br />一応北極みたいなところへ冒険旅行に出かけることになって、そこでなんだか熊に２回襲われて帰ってくるという話だったけど、なにを表現したかったのかよくわからず、熊に襲われることで未知の世界での困難さを表現していたのかな。もう少し深みのある話に導きたかった。でも手で洞窟を表現したりして、具体的な表現はとても工夫が見られてよかったんだけど。<br /><br />５「一人暮らし」グループ。<br />「このグループ30分くらいあるんじゃね？」というヤジがとぶほど、ここはえらく長いストーリーになってしまった。一人暮らしの最初の一週間、半年後、一年後、十年後、こんなにいらなかったかな。これで５人分の人生をやって、最後の方は、たとえば一人一言「家族ができました」とかくらいで終わってよかったんだけど、どれもべったり長いストーリーにしてしまった子が多くて、かなり時間がかかった。見てるみんなは「長い長い」とヤジをとばしつつも、面白いので笑いながらけっこうあきずに見ていた。ほんとにおもしろかった。全員が全員、シーンの最後には「もう寝よ」と言って寝る。<br />「また寝ちゃったよー」と笑いが起きるけど、けっこうリアルで、なんか解決できない問題があるときは「とりあえず寝よ」みたいな知恵がこどもたちも中にもうかがえる。一人暮らしをとても不安がっていたMさんは結局ペットを飼って、十年後もひとりで暮らしていたが、だいぶ慣れたと言っていた。もう一人の女の子Iさんは、積極的でお兄ちゃんにも一人暮らしを進めたりしながらも十年後には結婚して家族を持って幸せに暮らしていた。男の子たちは、なんだかみんな料理がうまい。料理学校に通ったり、会社を作ったり、社会的な要素を入れながらも彼女ができたり分かれたり。具体的なデートの様子も面白かった。ちょっと長過ぎたものの、物語としてはここが一番面白かった。形をしっかり整える作業をすれば、作品としてもそうとう面白くなると思う。<br /><br />６時間目の感想意見交換はまた次回に続く。<br /><br /><br /><br /><br /><br />
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<item rdf:about="http://abehatsumi.dreamlog.jp/archives/5068707.html">
<title>ワークショップ(小学生) in 北九州１</title>
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<description>北九州でのワークショップと勉強会の３日間が終わった。出発前日、4年ぶりに持病の発作にみまわれるというハプニングがあり、油断して薬を持っていなかったので仕方なく大事にしながらそのまま北九州へ出発、体調不良のままワークショップに突入という事態になってしまったも...</description>
<dc:creator>drecom_abehatsumi</dc:creator>
<dc:date>2011-11-30T10:43:59+09:00</dc:date>
<dc:subject>演劇ワークショップ</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[北九州でのワークショップと勉強会の３日間が終わった。<br />出発前日、4年ぶりに持病の発作にみまわれるというハプニングがあり、油断して薬を持っていなかったので仕方なく大事にしながらそのまま北九州へ出発、体調不良のままワークショップに突入という事態になってしまったものの、今年後半はこの仕事にかけて準備してきたので、とりあえず無事に終わってほっとしている。<br />おかげで移動日の夜、お誘いを受けていた泊さんたち「飛ぶ劇場」の門司倉庫での上演が見られなくなってしまったのは残念だったけど。<br />その泊さんは、自分の公演の本番中にもかかわらずわたしのワークショップを見学に来てくれた。それから地域創造の松本でのリージョナルシアター事業でご一緒したF'sカンパニーの福田さんと松本さんほか、たくさんの人が小学校に来てくれて、ギャラリーいっぱいでワークショップ始まった。<br /><br />スタッフが先にこどもたちのところで、ガムテープに名前を書いてもらっていたけど、自分の呼ばれたい名前とか、普段呼ばれてる名前でいいよってことにしたら、みんなへんてこな名前ばっかりで、名前と顔が一致しずらくなってしまったので、二日目からは、ひらがなフルネームにしたらわかりやすくなった。これは反省点。それに地域によっては名前のみならず名字もすごく読みにくいことがある。<br /><br />あいかわらずこどもたちは元気いっぱいだったけど、9月に会った時とはやっぱり少し印象が変わって、成長していた。6年生のこどもたちはこの時期とても変化しやすい。<br /><br />■前日と当日の朝<br /><br />スタッフとミーティングで、今回の目的とプロセスを打ち合わせしていた。<br />目的は二つ。一つは、こどもたちがどれだけ夢中で時を過ごしてくれるか。もう一つは、ふと自分の中に沈黙が生まれたりするような、気づきの時間をどれだけ作れるか、ということだった。<br />わたしたちはその目的を共有し、そういう時間を作るべくこどもたちと二日間を過ごす。<br />ここのこどもたちはわーっとテンションがあがって大騒ぎになりやすいので特に注意が必要だった。　<br />でも今回は多少大騒ぎがおこってもいいような時間を最初にとってある。<br />今回アシスタントをしてくれるのは、こちらから一緒に来てくれた俳優のノムさん、それと北九州地元の俳優の古賀さんという女性だが、二人の紹介もすっかり忘れてワークショップに入ってしまった。<br /><br />■３、４時間目<br /><br />まずは、人形劇のルールとスケジュールの説明。<br />26人で5つのグループに分かれてそれぞれのテーマで人形劇を作る。1グループ5〜6人、これが限度だろう。人形は劇場スタッフが約30個集めてくださった。とくに学芸Nさんのおうちからはたくさんの人形たちが参加してくれていた。<br />テーマと目的はそれぞれ、<br /><br />１工場の街に住む子の物語<br />（自分の足下からの出発。自分の街を架空の街に置き換えることで客観的に見てみる。）<br />２怖いものがない子の物語<br />（「怖いものがない」とはどういうことなのか、本当に「ない」のか考えてみる。）<br />３いじめにあったらどうしようと思っている子の物語<br />（未知の世界の扉の前に立つ時に生じる不安や怖れと向き合ってみる。）<br />４冒険旅行をした子の物語<br />（大きなスケールのファンタジーを通して、未知の世界の困難や楽しさを表現してみる。）<br />５一人暮らしをした子の物語<br />（現実にいつかおとずれる「ひとり立ち」を、「一人暮らし」のテーマを通して想像してみる。）<br /><br />事前調査とアンケートの結果からこの5つのテーマを考え、それぞれその答えを書いた子をひとりかふたりそのグループの代表としてわたしが選び、学芸Nさんの提案でグループ分けを先生にお願いすることになり、他のメンバーは担任のN先生が決めた。<br />どのグループもまとまらないと困るので、ひっぱる子を一人入れてくださるよう、先生にお願いしていた。<br />N先生は、中年？の男の先生で、口数は少ないけど腹のすわったすてきな先生で、嫌な威圧感もないのに、ふざけがちなこどもたちもこの先生の言うことならなんでもきく。そして独学で演劇の勉強をされていたこともあり、今回のワークショップには、本当に協力的に動いてくださっていた。<br /><br />グループのメンバー発表があると、案の定みんなわーっ！となった。予想はついたのでその前にすべて説明はすませてすぐに作業に入れるようにしておいた。<br /><br />一日目は3,4時間目で物語を作り、人形を使って練習、5時間目に発表、6時間目に感想や意見の交換と講評というスケジュールにした。<br />人形を先に選んでお話を作ってもいいし、逆でもいい、と言ったら、全員が人形を先にとりに行った。<br />それから声は地声はNG、人形に合った作り声を出すこと。これで自分自身と距離を作ることで、演じやすくさせようとしている。<br /><br />一日目の劇の創作は、できるかぎりこどもたちのやりたいようにやらせること。<br />わたしたちはこどもたちからアイデアを引き出したりしながらその手助けをする。<br />ノムさんと古賀さんは俳優なので、各グループを回りながらとくに表現方法の引き出し役を積極的にやってくれていた。<br />わたしはその間、事前アンケート結果とこどもたちの顔と名前と特徴とをひとりひとり一致させ、N先生にこっそりと話を聞きながら、それぞれのグループの誰にどんな活躍をしてもらえるだろうかと作戦を練っていた。<br />だいたい午前中の2コマでどのグループもある程度はできたようだった。<br /><br />■給食と掃除と昼休み<br /><br />わたしたちはあえてこどもたちと給食はともにせず、会議室で給食を食べながら、午前中の様子を報告、確認しあったりしながら、午後に備えて作戦会議をしていた。スタッフたちの感想は、どのグループもある程度はいけそうだという感じだったけど、2の「怖いものがない子の物語」チームだけが、マイペースでおさなくふざけがちな男の子が集まってしまい、なんだか話がまとまらず、みんな勝手に人形で遊んだりしていて、ちょっと心配だった。なんでこの子たちが怖いものは「ない」と書くかがよくわかるようだった。このグループには、「とにかくひとりひとり勝手なことしがちだから、みんなで力をあわせて発表できればいいよ」と、言っておいた。<br />ところがこのグループが思わぬ大逆転を見せたのだった。<br /><br />■５時間目<br /><br />午後からの発表は1「工場の街に住む子の物語」から順番に行う。<br />最初の発表でわたしは青くなってしまった。この一番目のグループは、結局話がまとまらず、発表ができなくなってしまったのだ。他のグループもこうだったらどうしよう、そもそもこのプログラムは難しすぎたんだろうか、青くなりながらあれこれ心配事が頭をぐるぐる回る。回りつつもこのグループがどうしたかったのかだけを聞いてまとめて、とにかくグループにまとめ役がいないことが問題、と先生がTくんをまとめ役に指名して、その場はおさまった。Tくんはおじいちゃんが自動車整備工場をやっていて、そんなおじいちゃんに憧れているが、お母さんから医者になってほしいと言われている。怖いものはという質問に「死」と書くような繊細な子である。１のグループの考えたお話は、３人のこどものいる家族の話で、このこどもたちは工場で働いていて、一人が工場で火事を出したことで機械が壊れ、きたない空気をだすようになってしまい、街の空気が汚れ、その機械を修理して、空気がどんどんきれいになったというものだった。工場があっても空気がきれいであってほしいという彼らの願いがこめられた話ではあるが、具体的な生活の感覚がまったく描かれていなかった。「自分の街の嫌いなところは？」という質問に、「工場があるせいか風がふくと家の中が真っ黒になる」と書いてくれたAちゃんの詩的ですぐれた描写力を、このグループにはいかしてほしかった。<br /><br />青くなりながら続いて２「怖いものがない子の物語」。このまとまらないグループが、表現としては一番面白くわかりやすくまとめて大逆転を見せてくれたおかげで、再びなんとかなるかも、と希望をいだいた。お話は、あるところに怖いものがない子がいて、遊園地に遊びにいって、ジェットコースターに乗っても、お化け屋敷にいっても、スカイツリーに上ってバンジージャンプをしてもちっとも怖くない、ところが門限すぎて家に帰ってお母さんに叱られて、いくら怖いものなしでもお母さんだけはやっぱり怖い、というかわいらしいオチ。怖いもの知らずの子の友だちのカメはのそのそ動いたり、ゆっくりしゃべったり、お母さん人形は鬼みたいな人形を使って不良みたいな言葉遣いで演じたり、他の人形をジェットコースターに見立てたり、あちこちにたくさんの創意工夫が見られ、ほんとうに楽しくうまくまとまっていたのにみんな驚いた。<br /><br />３番目は「いじめにあったらどうしようと思っている子の物語」。ここは夢を使うという設定が上手にできていた。パンダちゃんがお友達たちに上靴を隠されたり、仲間はずれにされたり、いじめられるのだが、それは夢だった、という設定。翌朝みんなにその夢の話をして、みんなでいじめはよくないよね、と話し合うという、道徳のPRビデオのような作品になっていた。<br /><br />４番目の「冒険旅行をした子の物語」は、けっこうお勉強のできる子たちが集まったせいか、まずそれぞれの人形のキャラクターを書き出すところから作業を始め、筋道をきちんとたてて創作をしていた。できた作品も「アルカリ星」に冒険にいったり、リトマス試験紙的なもので実験したり、理科の研究のような内容になっていた。確かに研究も立派な冒険である。<br /><br />そして５番目の「一人暮らしをした子の物語」は、おともだちどうしがみんなで生活していたら、いじっぱりなブタくんがひとりでへそを曲げて、みんなは出ていってしまい、やっぱり一人はさみしいよう、ということでみんながもどってきてまた一緒に仲良く暮らしましたとさ、というお話。<br /><br />１をのぞいてはどこのグループもある程度形にしてくれたのでとりあえずほっとする。<br /><br />■６時間目<br /><br />続けて感想、意見交換と講評の6時間目。<br />どこのチームのどういう表現の工夫が面白かった、という具体的で小さな表現に関する感想が続く。<br />「見立て」に関する感想もあって、こういう演劇の根本的な表現に言及してくるとは、小学生もなかなか鋭くあなどれない。<br /><br />さてでは講師からの講評ということで、１以外、どのグループもよくがんばったし、面白い表現がたくさんあった、という前提の上、これからわたしが言うことをふまえて、明日はさらに今日作った物語の改良作業と二回目の発表をすると発表。それぞれのテーマに隠された目的、課題も講評とともに明かす。<br />１「工場の街」グループはとにかくしっかり作品を完成させること、Tくんの活躍に期待。工場の街のいいところ、わるいところをそれぞれしっかり表現に入れること。<br />２「怖いものなし」グループは本当に怖いもの、たとえば、311の震災では、家族や友だちをなくしてしまった人もいるし、アンケートに地震や津波や火事が怖いと書いた子たちや、自分や家族や友だちの死が怖いと書いてくれた子たちもいる、このグループには「怖いものはない」と書いた子たちが多いけど、本当にそうなのか、立ち止まって考えてみよう、と言ったところで、グループの男の子たちがくちぐちに「怖いものあるよー」と言いだした。なんだやっぱりあるんじゃん、じゃあ本当に怖いものも入れて、作り直そうよ、ということでまとまる。<br />３「いじめ」グループは、最後がいじめをなくそうみたいなスローガンになっちゃって、みんながいじめをなくしたい気持ちはわかるけど、その前になんでいじめが起きるのか考えてみよう、と問いかける。なんでいじめるの？「泣かせたい」なんで？「弱いとこが見たい」なんで？シーン・・・人をいじめたい気持ちはもしかしたら自分の中にもあるかもしれないよ、なんでいじめるの？「ストレスの発散」どうしてストレスがあるの？「家でDVにあってる」なるほど！じゃあ大人はなんでこどもにあたるの？誰かが「お金」とぽつりと言った。じゃあそれを手がかりに明日はなぜいじめが起きるのか考えながらもう一度作り直そう、ということにする。<br />４「冒険旅行」グループは、たとえばKくん（残念ながらこの日はお休みだったけど）が宇宙のように誰もいない空間に行ってみたいと書いてくれたけど、本当にそこに行ったらどんな気持ちになるだろう、そこまで行くのは簡単だろうか？ということを考えながら、もう一度作り直すこと。<br />５「ひとり暮らし」グループは、もっと現実的に、たとえば自分が一人暮らしをするとしたらまずどうする？「家具を買う」「家を買う」「家賃を払う」「料理する」「買い物する」「ネットする」いろいろな答えがあがる。そういうふうに、具体的になにするか、どういう時にさみしいと思うか、考えてきて、とする。<br /><br />震災や死やいじめの話をした時、こどもたちは一瞬シンとなった。<br />小学生にこんな話をするのは初めてだった。<br />小学生に、よく知らないわたしのような者がこんな話をしてもいいんだろうか、と話しながら疑問も生まれたが、こどもたちの目は真剣で、深くわたしの言葉を受け止めてくれているのがわかった。<br />この子たちなら大丈夫、と思った。<br /><br />この5つのショートストーリーは、実はつながっていることも明かす。これらのテーマは「過去・現在・ここという内の世界」から「未来・未知（外）の世界」へ、というふうになっていて、もしこれがちゃんとできたら、５の次にもう一度１をつなげて、外の世界を体験してきた後、もう一度今ここに戻った時、自分のいる場所がどんなふうに見えるだろうか、というふうにしたかったんだけど、それはもっと長期的な作業が必要になる。今回はとにかくお話や表現の「でき」は二の次、こどもたちがいかに立ち止まって自分の内なる声や不安や怖れと対話できるか、いかに自己や他者や世界についてなにか発見や再確認ができるか、ということを主軸にしているので、長期でできる機会があれば、表現まで完成させて保護者や下級生に発表する、というところまでいけたらいいなと思う。<br /><br />今回、創作と発表を二回おこなう理由は、このクラスのようにやりたがりの子たちが多い場合（やりたがりの俳優と同じように）、まずは好きなようにやって発散してもらって、次にこちらの話を聞いてもらいやすい状態にするためと、それから一度目に好きにやってもらうことでこどもたちの考えや様子がわかり、二度目にそれをベースにしてできるだけこどもたちのアイデアのいいところを生かしながら一緒に作り直しができるからだ。<br /><br />でとりあえずみんなそれぞれ課題を家でも考えてくる、ということで一日目のワークショップは終了した。<br /><br />放課後、スタッフと先生たちとのフィードバック。こういう時間がしっかりとってもらえるのは嬉しい。いじめや死の話を思わずしたことは自分でもけっこうショッキングなことで、こんなことを小学生に話したのは初めてだったことを先生方に伝えた。<br />でも最近ワークショップでは先生の注文を聞いて道徳的になりすぎていると自分で感じていて、学校では道徳的なことをおしえなければならないのはよくわかるが、たとえば「いじめはよくないからやめよう」と言う前に、どうしていじめが起きるのかを立ち止まってくわしく考えてみよう、ってことをしたかったので、今回は本当にやりたかったことをやらせてもらっている、今日こどもたちが作ったのもとても道徳的な物語だった、と話すと、「道徳的なのはこどもたちなんですよ」と、校長先生がぽりつと言った。<br />N先生は、「自分の中にもいじめたい気持ちがあるから、いじめる演技ができるんだ」と、「自分の中にいじめたい気持ちはない？」とわたしが聞いた時答えなかったこどもたちのことを言った。<br />この答えは、やっぱりN先生が演劇を勉強していたからだろうか？他の先生方にどれくらいこんな話は通じるんだろう？<br />学校でワークショップをする時、先生方と意思疎通がうまくいくことは少なくて、どうしたらもっと理解してもらえて、演劇を教育にとりいれる活動を普及できるだろうかと思うのだ。<br /><br /><br /><br /><br /><br />
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<item rdf:about="http://abehatsumi.dreamlog.jp/archives/5064928.html">
<title>出産育児をテーマに／北九州</title>
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<description>北九州芸術劇場で行う勉強会のテーマはたしか「出産育児を表現にいかす」だと思っていたけど、正確にはなんだったかな？と思い、確認のため、北九のHPの「アーティスト往来プログラム」を見てみたら、以下のような説明になっていた。http://www.kitakyushu-performingartscen...</description>
<dc:creator>drecom_abehatsumi</dc:creator>
<dc:date>2011-11-07T14:33:53+09:00</dc:date>
<dc:subject>演劇ワークショップ</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[北九州芸術劇場で行う勉強会のテーマはたしか「出産育児を表現にいかす」だと思っていたけど、正確にはなんだったかな？と思い、確認のため、北九のHPの「アーティスト往来プログラム」を見てみたら、以下のような説明になっていた。<br /><br />http://www.kitakyushu-performingartscenter.or.jp/entry/2011/0425artist.html<br />勉強会<br />
				      【内容】阿部氏のこれまでの活動と、出産・子育て等をテーマに作品製作・ワークショップ実施の可能性を探ります。<br /><br />ということは、わたしの活動についての話でいいのかな？<br /><br />以前ブログにも書いたように、「出産・子育て」のテーマは、演劇の世界ではほぼ切り捨てられてきたゆえ、いずれこれをテーマに作品を作りたいと思っている。<br />ワークショップに関しては、数年前に、親子対象の演劇ワークショップはできないものか？という相談を受けていたのだが、こどもを持たないわたしには実際的、具体的に考えつかなかった。ところが、自分がこどもを産んでみたら、また都内の某劇場から「子育てを考える」をテーマに親子対象のワークショップの依頼があり、今度は自分もこどもを持っているので、自分の体験をもとに、ワークショップの内容を考えることができた。<br /><br />それは今まで作ってきた「アトミック・サバイバー」などのドキュメンタリー作品の製作の方法を利用したもので、「子育て」のいろんな要素を、人形を使ったり、映像を使ったり、歌を使ったり、語りやリーディングを使ったりしながら、いろんな表現の方法で表現を試みて、最後に短いシーンをつなげて試験的に発表会をする、というアイデアだった。<br />これならなんだか楽しくできそうだ、と思った。<br />しかし対象は親子に限らず、子育てに関心のある人ならば年齢性別を問わず、誰でも参加可で、むしろその方がありがたく、たぶん詳しい内容はいつものごとく、参加メンバーによって決まる。わたしはいつもワークショップでは、集まったメンバーの特性を見て、なにをしたら面白くなるかを考えている。<br />なので、それがつかみきれない一日かぎりのワークショップが苦手なのだが。<br /><br />以前こどもを持たない時には考えられなかったプログラムが考えられるようになったことには感謝である。<br />そして来年度に都内で行うこの「子育てを考える」ワークショップの内容は、きっと作品作りにつながる要素を持つものになると思う。<br /><br />テーマは、「出産・育児」を通してわたしたちは何を見たり体験したりすることができるのだろう。<br />というあたりから出発してみようかな。<br />勉強会に来てくださる方にもそのへんを聞いてみよう。<br /><br /><br /><br /><br />
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<item rdf:about="http://abehatsumi.dreamlog.jp/archives/5064904.html">
<title>「見る/見られる」、育児と演劇／北九州</title>
<link>http://abehatsumi.dreamlog.jp/archives/5064904.html</link>
<description>「見る／見られる」は、演劇を成立させる基本的動作だが、最近、Kを見ていて、この「見る／見られる」について、少し思うところがでてきた。Kはとにかく嫌々が激しいこどもで、とくに体を触られるのがあまり好きじゃないらしい。あかちゃんの時から抱っこをしても機嫌がよく...</description>
<dc:creator>drecom_abehatsumi</dc:creator>
<dc:date>2011-11-07T11:09:30+09:00</dc:date>
<dc:subject>演劇ワークショップ</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[「見る／見られる」は、演劇を成立させる基本的動作だが、最近、Kを見ていて、この「見る／見られる」について、少し思うところがでてきた。<br /><br />Kはとにかく嫌々が激しいこどもで、とくに体を触られるのがあまり好きじゃないらしい。<br />あかちゃんの時から抱っこをしても機嫌がよくならなかったし、泣きやまなかった。おんぶも好きじゃなかった。一才半過ぎた頃やっと、ほんとうに時たま自分から「抱っこ」というようになって、めずらしいなと思った。<br />だから歯磨きをさせられたり、鼻水を吸われたり、薬を飲まされたりする時に、体を押さえられるのをものすごく嫌がる。でも押さえないと逃げてしまうので、押さえざるを得ない。どんなにほめられてもこればかりは嫌、という感じだ。<br />ところが最近、歯磨きのために率先して仰向けになり、口をあけるような事態が起こった。<br />わたしが人形を二つ手に持ち、「わーすごいねー、K、歯磨きするんだって、あ、おおきいおくちあけてるよ、えらいねー、パパに歯磨きしてもらうんだって、いいねー」とやったら、わたしがいくらほめても効果がなかったのに、この小さな見物たちに言われたことで、すっかり得意になって、積極的に歯磨きに協力し始めたのだ。<br />もっと嫌な「鼻吸い」でさえ、この手を使ったらみずから仰向けになった。その得意げな様子はホント、笑いをこらえるのが必死なくらいおかしかった。<br />それ以来、Kはこの人形たちをわたしのところに持ってきてはぜひとも人形劇をやってくれとせがむ。<br />この小さな見物人たちの視線を必要としているようだった。<br /><br />話は飛ぶが、よく公園に動物なんかの形をした、こどもが乗るとバネでぴょんぴょん動く乗り物がある。一才をすぎた頃、Kが初めてこれに乗ったときのこと。最初、馬かなんかの形のに乗っていると、すぐに隣にある虫の形の方に乗りたがった。「あっち、あっち」というので、馬からおろして虫に乗せるとまたすぐに馬をさして「あっち、あっち」と言う。でまた馬に乗るとすぐに虫をさして「あっち、あっち」というのだ。それ以来、この手の乗り物ではいまだにこれを繰り返している。<br /><br />Kは、はじめ視覚的に馬に興味を持って乗りたがったのだが、実際自分が乗ってしまうと馬は見えなくなってしまい、今度は全体が見える隣の虫の方に乗りたがったのだが、虫に乗ると今度は虫が見えなくなって、全体が見える馬にまた乗りたがり、これの繰り返しになってしまうということだ。<br />Kは馬に乗っている自分も馬も見えないので、自分が乗りたかった馬に乗っているという実感が得られなかったのだろう。<br />しかしたとえばこの時、あの小さな見物人たちがやってきて、「わあーすごいねー、Kがおうまさんにのってるよー、いいなー」なんてやったらどうだろうか。もしかしたらまた得意げな顔で馬を操作し始めるかもしれない。<br /><br />この見物人たちは、Kにとって、自分のおかれている状況を客観的に見る装置としての役割を果たしている。<br />その装置によって、主観的には嫌な状況だと思っていたら、まわりの他者から客観的に見ると実はいい状況だったらしい、とか、大人っぽくふるまうことで賞賛されたいとか、客観的に自分を認識しなおして行動を変えるという作業を行っている。<br />これは大人でもよくあることだが、演劇的にはこれは「異化」と言われるものにあたる。<br />あたりまえにこうだと思っていたものが、ちょっとしたきっかけで違って見えてくることをさす。<br /><br />人は、自分という存在やまわりの状況がわからない時、他者の視線を通して自分を客観的に見ることによって、自分のおかれている状況や自分という存在を認識する。<br />そしてそれは言語化するという行為なのだろうかと思ったが、そうでもない。たとえば自分を見る他者に笑顔が見られればそれでことは足りる話だ。<br /><br />Kにこんなそぶりが見られたのは、もっと赤ちゃんの頃からだった。それは人形ではなかったが、「たかいたかい」をしてもらう時、たいていの場合、ちかくにいるわたしや他の大人の顔を見ていた。<br />見られていることを通して、「たかいたかいしてもらっている」自分の存在を確認していたのかもしれない。<br /><br />話が前後していることに気づいた。<br />Kは赤ちゃんの時、たかいたかいをしてもらっている自分を見られることで、自分の存在やおかれた状況を確認し、喜んでいた。<br />一才半を過ぎて言葉の理解が進み、世界の認識が進み、自分が少しではじめてくると、見られることで、自分の存在やおかれた状況を客観的に認識しなおし、さらに自ら行動を変えるということをするようになってきた、ということだ。<br /><br />「見られる」だけでなく、「見る」ことでもこどもは行動を変える。<br />よくこども番組で、実際のこどもが歯磨きをしたり、おトイレで用を足したり、ご飯を食べたり、服をきたり、靴下や靴を履いたりする短い映像が流れているが、あれは、そういう生活の基本的な習慣を嫌がる多くのこどもが、おともだちがやっているのを見て、だったら自分もやってもいいという気持ちになるのをねらうものだ。実際Kもあれを見て、歯磨きの第一関門を突破できた。もちろん映像より、生のおともだちの方がよくて、一時保育に通ううちに、年上のこどもたちの様子を見ながら、ずいぶんいろんなことができるようになっていった。<br />自分は嫌だと思っている歯磨きをおともだちは嫌がらずにやっていて、そして大人がその様子を賞賛している、となればなおさら、自分だってやってやるーという気持ちになるらしい。もし大人がその様子を賞賛していなかったとしても、まんざら嫌なものでもないのかもしれない、と嫌がるのをやめるのかもしれない。<br />こどもは自分と同じくらいの年齢のこどものすることにとても興味を持つ。そして対抗心をもったりするらしい。だから歯磨きの時、いくらわたしがほめても効果がなかったのに、小さな見物人＝「おともだち」にほめられたことで、Kは行動を自らただしたのだろう。<br /><br />こうして「見る／見られる」を通してこどもは成長していくのだ。<br /><br />そしてそのような原理を根本に持つ演劇も、人を成長させることは間違いない。<br /><br /><br /><br /><br />
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<item rdf:about="http://abehatsumi.dreamlog.jp/archives/5064396.html">
<title>育児の方法／北九州</title>
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<description>じんましんがでたり、軽い喘息の発作が時々でたりはするものの、ここのところあんまり病気しないな、と思っていたら、Kの中耳炎をきっかけにわたしも熱をだし、ここ一週間なかなか回復しない。ゆうべは太田省吾作「砂の駅」の初日を見に行くはずだったのに、夕方になっても熱...</description>
<dc:creator>drecom_abehatsumi</dc:creator>
<dc:date>2011-11-04T11:43:49+09:00</dc:date>
<dc:subject>Life</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[じんましんがでたり、軽い喘息の発作が時々でたりはするものの、ここのところあんまり病気しないな、と思っていたら、Kの中耳炎をきっかけにわたしも熱をだし、ここ一週間なかなか回復しない。<br /><br />ゆうべは太田省吾作「砂の駅」の初日を見に行くはずだったのに、夕方になっても熱が下がらず、長く起きていることもできず、とうとうキャンセルしてしまった。今朝は昨日よりは少しいいみたいだけど、やっぱりまだ長く起きていられず、動こうとするとめまいがしてくる。公演は日曜までだから、回復すればなんとか見に行きたいところだけど。<br /><br />だいたい病気は決まってKの病気から始まる。Kの病気は保育園でもらってくることが多い。<br />多いのは風邪だ。鼻水がみえたと思ったら即中耳炎になり、中耳炎になると夜中に何度も泣くからこっちも寝不足になる。ご飯とか固形物を食べなくなったり、小児科でもらう抗生剤の影響もあったりして下痢をする。一日にたくさん水みたいなうんちをする。皮膚が弱いので、すぐとりかえないとお尻がかぶれて真っ赤になるのに、痛がってよけいにオムツ替えを嫌がり、嘘をついたり逃げ回ったり、力づくで抵抗するのをこっちも負けずに力をだして足をおさえてなんとかオムツ替えをする。お尻かぶれに薬を塗る。一日4回、嫌がる薬を飲ませる。牛乳や野菜ジュースしか飲みたがらないKになんとか固形物を食べさせる。その間にも後から後から出続ける鼻水を吸う、もちろんこれも泣き叫んで抵抗するので力づくになる。これだけの重労働に、睡眠不足が重なって、そもそも基礎体力が落ちてるから、すぐこっちも病気になる。病気になって眠ったり休んだりしたくてもKがそれをさせてくれない。横になって半部うとうとすると、寝せるまいと泣きながらわたしの頭を持ち上げようとする。<br />こうしてがんばって対応しているので、まだ切開にはいたらずに済んでいるが、中耳炎とはとても恐ろしい病気なのだ。<br />しかしこどもによっては、どんなに鼻水をたらしていても全く中耳炎にならない子もいるので、親はこんな苦労はしなくて済むのだが。<br /><br />そんな状況の中、今月下旬にせまった北九州での「育児出産を表現に結びつける勉強会」の準備でまた出産育児について考えている。まとまらないまま思うことを少しずつ書いてみる。<br /><br />近頃、Kより少し上、3歳のこどもを持つ旧友Mちゃんと産後初めて会って話をした。<br />お互いこどもをつれているとほとんど話ができないので、こどもはあずけて会った。Mちゃんとわたしは同世代なので悩むところは本当に一緒だった。わたしより一年半はやく「母」になったMちゃんには、これまでも携帯でなんどもやりとりし、いろんな助言をもらって助かっていた。実は結婚もそうで、わたしが結婚できたのもMちゃんの助言によるところが大きい。<br />Mちゃんの夫はイギリス人なので、こどもはハーフになるのだが、わたしの知り合いにはなぜかハーフの子が多い。ハーフのこどもたちはみんな決まってパワフルで、その子たちにくらべるとKなどぜんぜん手がかからないほうじゃないか？とさえ思えてくる。親たちはよくやっている。<br /><br />Mちゃんは、とても考え方のしっかりした女性だ。やっぱりママ友のグループ作りには参加していない。Mちゃんは育児についても少しは学校で教えるべきだ、と言っていた。たしかに、わからないことが多すぎるのだ。<br />わたしより10年以上はやくこどもを産んだKさんは、わたしが「育児がこんなにたいへんだとは知らなかった！」と言うと、「みんながそれを先に知ってたらこどもを産む人がいなくなっちゃうじゃない」と言っていて、それも一理あるかとも思った。<br />学校で教えないかわりに、自治体が妊婦向けに開く「ママ教室」があったり、産後の母子対象イベントがあったりするのだろうが。そこで習うことは、自分たちの親世代の子育て観とまっこうから対立し、イコール母vs祖母という対立を生む。わたしもそれが原因で母親や母親世代の女性たちと育児の方法について何度対立したかわからないし、まわりでもそういう声を多く聞く。<br />昔はわからずに当たり前にされていたことが、科学的に実証されて今は禁止されていたりするのだが、実績があるからと昔の方法にこだわって今のやり方を受け入れない母親世代と、今の方法を固守しようとする娘世代の対立だ。<br />たとえば、今は口移しと砂糖の多い食べ物を与えることを3歳くらいまで禁止すれば、ほぼ一生虫歯にならない強い歯が作れるということが科学的にわかり、歯科衛生士が徹底して指導し、親たちががんばるので、昔にくらべて虫歯のある子が少なくなっているというが、そんな話はテレビでもやってないし、聞いたことがない母親世代は、そう説明しても信じようとしない。<br />大きな病院の薬剤師の女性も知らないと言い、薬をアイスクリームにまぜて食べさせるのは常識、と言い切る。<br />それから母乳と粉ミルク。母親世代は粉ミルクがいいという考え方がアメリカから入ってきたことによって、母乳ではなく粉ミルクで育てたという女性も多い。ところが今は、母乳の方が、いろいろなリスクから赤ん坊を守れるということが科学的に実証されたので、母乳育児が推奨されている。<br />ちなみに産院の母乳教室では、できれば母乳は2年以上あげられると、母体にもいい影響があり、その後カルシウムリバウンドがおこって、カルシウムの吸収率があがることが科学的にわかっている、と聞いた。わたしもなんとか2年、と思ったが、あまりのきつさに1年半で断念した。<br />母は母乳の出がよかったため、母乳で苦労したことはないと言っていたが、わたし自身は最初のうち母乳の出が悪かった。母は孫のかわいさに粉ミルクを自分で与えたがったが、粉ミルクばかり飲ませていると、母乳の出はさらに悪くなるという話を産院で聞き、母にミルクばかりあげるのはやめてほしいと頼んだが、産後の対立で感情的になっていた母は、「母乳なんかやめればいい」と返してきた。<br />産後しばらくはホルモンの関係でこっちも感情的でナーバスになっているので、ひと月の里帰りは毎日が「帰る」「出ていけ」の大喧嘩だった。<br />ひと月の里帰りが終わってしばらく距離ができて時間がたつと双方反省して、また歩み寄りはあったものの、産後の一番体のきつい時にこの大喧嘩は、本当にこたえた。<br />それから母乳またはミルクをあげる間隔、紙オムツと布オムツ、白湯と果汁、離乳食、対立の要素は他にもまだまだある。<br /><br />物理的な世話の他、しつけなど精神的な面での育児もある。<br />泣き続けるこどもをどうしたらいいのか、しつけはいつから始めればいいのか、嫌がる生活の基礎的な習慣をどうつけさせたらいいのか、本当にわからないことだらけなのだ。<br />わたしより少しはやく育児を始めた友人Yも、「育児書を何冊読んだかわからない」と言っていた。そしてその後「結局どの本を読んでも答えは出なかったから読むのをやめた」と続けた。<br />わたしもずいぶん育児書はかじり読みした。よく育児中に本なんか読めるねと言われたけど、救われたい一心で、まだこどもが今よりは昼寝してくれた頃に、ちょこちょこと必死で救いの一文を求めて拾い読みしていた。しかしその大半は、Yのいうように同じようにあたりさわりのないことしか書いていない、結局のところ救いのない、一冊あればいいような本ばかりだった。<br /><br />しかしその中にも出会えて救われた珠玉の数冊がある。<br /><br />■親だからできる赤ちゃんからのシュタイナー教育 こどもの魂の、夢みるような深みから<br />ラヒマ・ボールドウィン著<br />「赤ちゃんは愛です。赤ちゃんは親を愛しています。親が赤ちゃんを愛するよりもたくさん愛しているのです。子どもは、自分を虐待する親でさえ愛するのです。でも親の方は、忙しい日常の中に、二十四時間注意を必要とする別の存在を割り込ませるという結びつきを作っていかなければならないのです。子どもは、愛と信頼をたっぷり持ってこの世に入ってきます。かれらはまだ善と悪を見分けることができず、全てを自分にとって良いもの、吸収し無意識のうちに模倣するのにふさわしいものとして受け取るのです。」<br />初めて出会った救いの言葉。赤ちゃんが愛おしい存在であることを思い出させてくれた。<br />「赤ちゃんと一緒に生きるということは、たくさんの繰り返しをすることでもあります。おむつ替え、授乳、洗濯などなど。こういったものは創造的な発展のない、維持するだけの仕事のように見えます。ですから夫が仕事から帰ってきて、「今日はどんなことをしたの？」と聞いたりすると、あなたはわっと泣き出すのです。私は最初の二ヶ月で、赤ちゃんの世話以外のことは、もし幸運に恵まれれば一日に一つだけ達成できる、ということがわかりました、行動的で社会的だった人間にとっては、これは本当にショッキングなことです。」<br />やっぱりそうだったのか、はやく言って〜！と思った。<br /><br />■子どもはあなたに大切なことを伝えるために生まれてきた 「胎内記憶」からの88のメッセージ<br />池川明著<br />こどもの胎内記憶のリサーチをしてきた産科医の本。とても興味深い胎内記憶のデータから、池川氏が読みとくメッセージは不思議な説得力に満ちていて、育児に苦労する多くの親が読んだらどれだけ救われるだろうと思う。妊娠中に出会いたかった。88のメッセージはどこから読んでもいいので、短いこまぎれの時間でちょこちょこ読めるのも助かる。<br /><br />■手のかかる子の育て方<br />山田真著<br />ご自身も障害を持つ子を育てられたベテラン小児科医の本。親を悩ませる、病気もふくめたこどもの問題のデータと対処法がわかりやすく書かれていて助かったけど、それよりこの著者の親としてのたおやかな強さ、優しさ、潔さ、行動力に脱帽。つまるところ育児に正解はない、とおしえられた本。こどもの問題を通した社会批評を書いたあとがきがすごくいい。以前、「4.48サイコシス」という作品を作ったときに取材した「べてるの家」を思い出した。<br />しかし育児に正解はなく自由にしていい、と言われたとき、今の親たちはむしろそちらに困難さを感じるのではないだろうか。しかし自分の親世代の育児の仕方を見ていると、「こうしたい！」というのがはっきり見えて、それはわたしたちには考えられないようなユニークな方法で、だから自分のような人間が育ったのか、、と半ば納得させられるのがなんとも言いようのない気持ちだけど、やっぱり団塊の世代は個性的でパワフルでユニークだな、と思う。<br /><br />それから今年「くれよんハウス」で出会った本たちがまたよくて、それはまた次回。<br /><br /><br /><br /><br /><br />
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<item rdf:about="http://abehatsumi.dreamlog.jp/archives/5062271.html">
<title>結婚とか育児とか仕事とか人生とか</title>
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<description>アメリカに住む友人と4年ぶりに再会した。旦那が週一回のノー残業デイだったので、こどもをあずけてひさしぶりに夜外に出た。こんな日が時々でもあると本当にリフレッシュできる。アメリカに住む彼女は日本人だけど、アメリカの大学で演劇の先生をしていて、自分で作品も作る...</description>
<dc:creator>drecom_abehatsumi</dc:creator>
<dc:date>2011-10-21T14:00:43+09:00</dc:date>
<dc:subject>Life</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[アメリカに住む友人と4年ぶりに再会した。<br />旦那が週一回のノー残業デイだったので、こどもをあずけてひさしぶりに夜外に出た。<br />こんな日が時々でもあると本当にリフレッシュできる。<br /><br />アメリカに住む彼女は日本人だけど、アメリカの大学で演劇の先生をしていて、自分で作品も作るパフォーマーでもあり演出家でもある。もう長いことそんなふうに異国の地で暮らしている。時々話を聞くと、彼女が住むのは、とても強い自己主張を求められる競争の激しい世界で、人を簡単に信用してはならず、常に警戒心を持って生きることを要求するような場所だった。そんなふうに生きてたら時々精神がおかしくなるんじゃないか？とか、とてもわたしはそんなところで生きてはいけないと思った。それでもそんな過酷な世界でがんばっている彼女を見てすごいなあと常々思ってきたのだけれど、やっぱり聞けばそれなりにいろんなことがあって、でも肩肘はって生きてきた彼女は、4年ぶりに再会してみるとよけいな力が抜けてどこかやわらかな雰囲気を漂わせていた。これまで受け入れてこなかったたくさんのことを受け入れて、自分との間に折り合いをつけつつあるんだなと思い、そんな彼女の変化がとても喜ばしいものに思えた。<br />お互いの近況を話すうちに、わたしも今自分の中にある複雑な思いや葛藤に肯定的に向き合うことができた。<br /><br />彼女と会わなかった4年の間に、わたしは結婚してこどもを産んだ。<br />わたしが結婚したことにたくさんの知人友人が驚いて、こどもを産んだことにはもっと驚いたという人が多かったけど、こどもに関してはわたし自身も驚きだったからまわりが驚くのも当然だ。<br />一度仕事でご一緒した美術の学芸の女性Oさんは、結婚という制度にとらわれたくないということで、彼はいるけど結婚はしないと言っていた。でも話を聞くとその彼との半同棲の生活はとても幸せそうで、プライベートでも自分のポリシーをつらぬき通す彼女の強さをとてもすてきだなと思った。<br />たしかに結婚は制度である。結婚はしたってしなくたって問題は中身だからパッケージにこだわる必要はない、と確かに思う。でもわたしは結婚した。理由はすごく簡単で、「みんなずっとそうしてきたから」。演劇と一緒で、長く続く慣習には人類の知恵がつまっていて、それなりの効果をあげてきたから、その制度をなくそうよという話にならないんだろうと思う。しかもわたしはお見合い結婚をしているのだが、一度しかしなかった「お見合い」もなかなかいいものだと思ったし、「結婚」もなかなかいいものだと思っている。それらの慣習制度につまった人類の知恵には、なるほどと感心させられることも多い。<br /><br />結婚したいと思ったのは、まずは「生活者」であることを大切にしたかったからである。<br />家族を作ることで生きのびてきた人類の営みの列に自分も並びたかったし、その営みはとても愛おしいものに思えてならなかった。<br />独身時代はほんとうに仕事一筋で、持てる時間とエネルギーのほぼすべてを仕事に向けてきたけど、「生活」をなくしてしまうことはいつも恐れていたので、できるだけ家事もしたし植物を育てたりもした。<br />ものを作るときにも、「生活者」としての視点をなくしてはならないとずっと思ってきた。<br />これはもしかしたら師、太田省吾ゆずりなのかもしれないとふと思う。<br /><br />すぐにこどもを産んだのは実は想定外で、かなり焦った。<br />そういう人類の営みに参加したいと思っていたので、結婚したらこどもを持つこともぼんやりとは考えたけど、リアリティは全くなかったし、なにしろ仕事で多忙をきわめていたので、そのうち考えましょう、とのんきにかまえていたのだが、ぜひともうちに来たかったこども、Kは待ちきれなかったようで、それじゃ遅いようー、となにもこんなタイミングでこなくても、、というタイミングでやってきた。Kは生まれた時からせっかちなタイプだから、おおかたそんなところだろう。<br />想定外妊娠で、仕事上の多くの関係者に迷惑をかけてしまうことになった。自分も苦しかったし、Kもおなかの中でずいぶん苦しい思いをしたと思う。あんまり幸せな妊娠期間じゃなかった。そんな状況もすでにKのからだのどこかに刻印されているのだろうかと思うとちょっと不憫に思え、人生の始まりの不可思議さを感じずにはいられない。<br />でもKはたぶんわたしの助けになりたくて、わたしのところへやってきたに違いなく、根拠もないのになぜかわたしはそう感じている。まだやっと一才半だけど、頼めばよくお手伝いをしてくれるし、わたしが喜んだりありがとうというと本当にうれしそうにするからやっぱりたぶんそうなんだろう。<br />きっとわたしがいなくなった後も、彼はわたしの代わりに、世界になにか働きかけていくだろう。<br />だから今は一生懸命彼に愛情をそそがなくてはと思う。そうすれば、きっと人を愛することができる人間になるだろう。日々のばたばたの中ではこれは本当にたいへんなことなんだけど。<br /><br />アメリカの友人との間で、「資本主義のすりこみ」の話がでた。<br />主婦という人生には価値がない、社会的に認められることもなく、台所で包丁を持って、なんで「こんなこと」してなくちゃならないの？と思ってしまう、こういうのってそもそも資本主義のすりこみだよねと。<br /><br />わたしは台所で包丁を持つととても幸せな気持ちになるので、「こんなこと」とは思わないが、育児で家にこもらなければならず、社会的な活動ができないことにはものすごいストレスを感じる。<br />出産前に「こどもができたら満たされちゃって作品を作りたいなんて思わなくなるんじゃないのか？」と言われたことがあり、まさかそんなことあるわけない、と思ったが、そういう女性も多いと聞いて、そんなものだろうかとも思ったけど、やっぱりそんなことはなかった。<br />こどもの頃からおさえつけられればられるほど、自由になりたい気持ちが強くなるたちで、こうして家にしばりつけられていると本当にやりたいことをやりたいという思いは強くなっていく。<br />今はそういう思いをためこんでいこうと思う。<br /><br />しかし、実際自分が「主婦」を経験する前までは、専業主婦なんて楽なもんだなーと想像していたけど、そんなことは全くない。こどものいない主婦はいざしらず、こどもがいたら本当にたいへんだ。<br />わたしは仕事をそんなに楽にやってきたつもりは全くないけど、それにしても仕事してた方がどんなに楽かわからないくらい育児はたいへんだ。<br />「生きる」という行為や本能がむきだしのままだ。息つく暇なく、こどもは日々体当たりしてくる。<br />子育てに「傍観」という態度はありえない。こどもがそれを許さない。<br />こどもは大人を世界の当事者に引きずりおろす。感情むきだし。<br />自分でも感情で生きてると思う。よく笑うしよく泣くようになった。<br />こどもは大人にかっこつけさせてくれない。<br />素直になったかもしれない。<br />もっと素直でもいいのにな、と前々から自分のことをそう思っていたが、こどもがそうさせてくれてるのかもしれない。<br /><br />育児で半休業中のこんな時間を、肯定的に積極的に見ようとするようになってきたのは、まだつい最近のことだ。<br />男の演出家は（演出家に限らないけど）、こどもを持っても仕事のキャリアを中断することなく日々積み重ねていくのに、なぜ女のわたしはキャリアを中断し、ブランクをつくらなければならないのか、本当に世の中は不公平にできている、と去年は一年嘆き続けていた。<br />稼いでもらわなければ困るというのに、夫が当たり前の顔で毎日仕事に出かけていくことすら疎ましく思えた。<br />でもどこか意識の奥の方で、なぜかこの世の不公平を肯定する気持ちもあった。<br />こどもが生まれたら女が家にこもりがちなのは、生物学上の理由で、男には授乳ができないからだろう。もちろんミルクで育てることもできるし、そうする家庭もあるけど、今では、免疫なんかの関係でミルクよりは母乳の方がいいのは明らかになっている。だからわたしもできるだけ母乳で育ててあげたいと思ったし、そのためには一日中こどもの側にいなければならないから仕事は当然できなくなる。<br />自然がそういうふうにできている、ということにはけっこう素直に従いたくなるので、悪かった母乳の出を一生懸命よくしようとがんばりもした。<br />その一方でなんでわたしだけこんなふうに家にこもりきりで育児しなきゃいけないのー、わたしにも仕事させてーとよく泣きわめいていた。<br />とても理不尽なことを言っていると自分でわかっているけど、どっちも本当の気持ちだから、折り合いがつけられず、この矛盾を抱えたまま、時々愚痴愚痴文句を言ったりして今も日々過ごしている。<br /><br />そして「生活者」であることを大事としながら、生活者としては「新米ママ」ということになった自分がどうふるまってよいやら見当もつかず、自治体が主催するママと赤ちゃんのイベントなんかに行ってみると、新米ママたちががっちりグループを組んでママ友作りにはげんでいて、その姿は「KY」や「キャラ分け」に苦しみつつもはげんでしまう高校生たちと重なった。妊娠中のママ教室で一緒だった知人はわたしを見つけると笑顔で近寄ってきたが、遠くに「ママ友」の姿を見つけると、「わたしいつもあの人と一緒にいるからごめんね！」と去っていった。すごく孤独だったけど、それでもわたしはここにはいられない、と心から思った。たった一度行ったきり、それ以来その手のイベントには行っていない。<br /><br />最近知り合ったマンションの上の階に住む台湾人のママPさんも、同じことを言っていた。<br />日本人のつきあいは難しい。。。<br />北九州の「出産育児を表現にいかす勉強会」と来年の「子育てワークショップ」の用意も始めなければ。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />
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<item rdf:about="http://abehatsumi.dreamlog.jp/archives/5061957.html">
<title>新しいワークショップ／北九州</title>
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<description>9月あたまに小倉に行って以来、しばらくばたばただった。足を故障してほとんど歩けなくなっていた実家の母が、手術のために入院することになった。実家は小さな印刷屋を営んでいて、両親はサラリーマンならとうに引退の年齢だし、今はさほどの仕事もないと見えるのに、店を閉...</description>
<dc:creator>drecom_abehatsumi</dc:creator>
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<dc:subject>演劇ワークショップ</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[9月あたまに小倉に行って以来、しばらくばたばただった。<br /><br />足を故障してほとんど歩けなくなっていた実家の母が、手術のために入院することになった。実家は小さな印刷屋を営んでいて、両親はサラリーマンならとうに引退の年齢だし、今はさほどの仕事もないと見えるのに、店を閉めたがらず、父は母の通院には送り迎えのみで付き添うこともほとんどなく、病院から「家族の方も来るように」と言われたと聞き、母の入院中、こどもと二人で実家の手伝いをすることにして、しばらく実家で過ごしていた。大正生まれの祖母に「男子台所に入るべからず」というしつけを受けた父は、料理や家事をほとんどしないままこの年まできたのだ。両親には、わたしが倒れたときもこどもと一緒にまとめて面倒をみてもらったので、今回はその恩返しもかねてのつもりだったが、こんなふうに家族のために時間を過ごすことは今までほとんどなかった。<br /><br />実家の親が老いてきたり、自分も子育てと仕事と家事でヒィヒィしていたりするので、もう少し実家にアクセスのよいところに引っ越そうかという話がでて、東京よりの埼玉に物件を見に行くと、ローン控除の有効期間などを不動産屋で聞いたりして、年内に引っ越さなければならなくなり、物件探しと契約手続きで数週間があっという間にすぎていった。<br /><br />で一段落したところで、やっと北九州•小倉の小学生のワークショップの準備にとりかかる。<br />せっかく9月あたまに会えたのに、あれからひと月以上も経ってしまって、もっと記憶が鮮明なうちに準備を始めたかったけど、会えたおかげでこどもたちの様子は少しつかめたので考えやすい。<br /><br />9月の1コマは聞き取り調査に時間を使った。質問事項はあらかじめプリントしていったので、後で記入して送り返してもらえるようにお願いした。<br />こどもたちは元気で、「ちょっと静かにして〜！」を何度も言わなければならなかったけど、なかには後ろの方に隠れてかたくなにほとんど話をしてくれなかった子もいた。<br /><br />一回かぎり、あるいは短期ワークショップでつらいのは、こどもたちを叱るのが難しいということだ。<br />小学生くらいだととくに男の子たちはすぐにふざけてはしゃいでしまう。まったく集中しない場合もあるし、嫌がってやりたがらないこともある。<br />そういう時、そういう態度をこちらが叱るとかえって反発をまねいたり、下手をしたら「演劇」を嫌いになってしまう可能性だってある。それは一番困る。もちろん全員に届けばいいけど、何人かがひっかかってくれればいいといいう考え方もある。全員にわかってほしい、と望むのは欲張りすぎなんだろうか。<br />これが長期のワークショップになると、信頼関係が作れれば叱ってもほとんど問題はないし、むしろ叱るくらいの方がかえって信頼してくれたりもするのだ。<br /><br />今回の小学校は、学区が狭く、一年生から同じメンバーで過ごすので、中学生になって外に出たとき知らない人とのコミュニケーションでつまづく子が多い、ということで、そこを考慮した質問をしてみた。もちろんこの地域をテーマにもしている。<br /><br />まず、自分の街の好きなところ、嫌いなところ。<br />これはとても面白い結果がでた。<br />好きなところでは、人に関する記述がとても多かった。知らない人が挨拶してくれる、元気がいい、協力しあう、仲がいい、やさしいなどなど。男の子にかぎっては店がたくさんあるというのもいくつか。<br />嫌いなところは、環境に関することが多かった。川がきたないがとても多く、ついでゴミが落ちてる、空気がきたない、工場がたくさんある、坂が多いなど。女の子にかぎっては店が少ない、が数人。言葉がきたないというのもあったけど。<br />ここから見えてくるのは、こどもたちにとっての「元気で仲のいい人たちが住むきたない街」で、男の子の好きなゲームセンターやゲームを売る店があり、女の子の好きなファッション雑貨系の店がない街だ。<br />それにしてもこどもたちはいつから美しい環境とそうでない環境を識別するようになるのだろう。<br />自分のこどもをみていると、親やまわりの大人が教えさえしなければ、与えられた環境を当たり前として嫌だと思うことなく生きていきそうに見える。<br />そしてそのように、クラスの男の子たちの中には、嫌いなところは「ない」と答えた子も数人いた。<br />好きなところが「ない」という子はいなかった。<br />この小学校は小倉の北に位置していて、南には美しい山があり、この辺の人たちはよく友達や家族で出かけるそうで、きたないというのは近くにある美しい南と比較してでてきた言葉かもしれない。<br /><br />次の質問は自分の地域の外の世界に関すること。<br />今まで行った一番遠い場所と、そこで感じたこと。それから行ってみたい場所とその理由。<br />これはほぼ想像の域をでない一般的な答えが多く、男の子は言葉が少なすぎてほとんど足しにならないような結果になった。まあしかしなにごとも聞いておいて損はなく、なにかに使えるかもしれないし、見ようと思えばその少ない言葉にもいろんな思いは感じられるし、それにひとつ気になる答えもあった。行きたい場所の質問に「ない」と答えた男の子が一人いたのだ。大人でもよく男性で「どこにも行きたくない、家が一番」という人がいるけど、こんなこどものうちから家が一番なんだろうか。<br />それでもほとんどの子はあちこち行ってみたい場所を書いていたので、外の世界に対する好奇心や冒険心は健全に育っているようだ。<br /><br /><br />それから未来に関する質問が続く。<br />まず、これから自分が経験するだろうことで不安だったり怖かったりすることは？というもの。<br />これは空白と「ない」という答えが多く、ついで「人類滅亡」が多かった。なんだか都市伝説っぽいもので、今年の10月26日に人類が滅亡するようなことが起こるという噂がたっているらしく、みんなそれにおびえているらしい。わたしたちの頃にもノストラダムスの大予言があって、たしか1999年の7の月に人類が滅亡するとかいうものだったけど、7月になっても8月になっても人類は滅亡せず、ほっとしたのとあっけにとられたのをおぼえている。こういうのは小学生らしい一面だなと思う。<br />それから自分や家族の死を恐れたり、中学生になって友達ができるか心配という子も男女あわせて数人いた。最近よく「進学したら友達ができるか心配」という言葉を聞く。高校生も、大学に行って友達ができるか心配したりしている。わたしは友達はできるものと思いこんでいたしそんなことを心配したことは一度もなかったので、この現象はとても気になっている。<br />しかし、ここでも怖いことは「ない」という答えが男子に多いことに驚く。こども時代の一瞬に、本当にそんな心境になっているのだろうか、それとも想像力が乏しいだけなのか。<br />それから311の震災を受けてか、地震・津波・火事も数名いたけど、予想よりは少なく、先生によるとやはり遠いところのこととしてあまりリアリティは感じていないようだということだった。<br /><br />さらに未来。将来してみたいこと。<br />これは男の子に空欄や「ない」の答えが多く、質問の意味がわかってないのか、ほんとに「ない」のかちょっとよくわからなかった。ほかにはお金に関することが数人、あとはばらばらだったけど、女の子はとにかくここは熱心にうめているのがよくわかった。パーマをかけたい、おしゃれがしたい、ブランドのバッグが買いたい、大人買いしたい、料理がしたい、車の免許がとりたいなどなど、女の子たちは大人の日々を夢みている。それでも一人、「ひとり暮らし」と書いた女の子がいて、理由は、「いざひとりになってしまった時のために慣れておいた方がいいから」と消極的な理由が目をひいた。<br /><br />最後も未来に関して、将来なりたい職業は？<br />バスケ、野球、サッカー、空手、男の子たちは圧倒的にスポーツ選手という答えが目立つ。<br />女の子たちはなぜかしめしあわせたかのように、ファッションデザイナーか保育士が多い。<br />全体で見ると半数は見果てぬ夢を見、半数は現実を見ている、という印象。<br />ほかには、おじいちゃんがしている自動車整備工に憧れて自分もなってみたいとか、銀行員とか、ゲーム会社で働くとか、ガソリンスタンドとか、レンタルビデオショップ、ケーキ屋さん、なぜか「アルバイト」という答えもあった。<br /><br />今回の質問は、こどもたちにとっての地域の内と外、外につながる未来の時間に関するものだったが、この結果から、全体に関してはとくに大きな危機的な問題はないと判断した。クラスも男女ともに仲がよく、言いたいことを傷つけあうことなく言い合える関係もできている。街の大人たちは知らないこどもたちにもよく挨拶し、声をかけてくれる。こんな街で育つこどもは幸せだ。わたしもこんな街で育ちたかったと思う。<br />ということで、今回は個人によりそう形で内容を考えてみた。<br />たとえば、工場の街で暮らすということ、怖いものがないということ、行きたいところがないということ、南極や深海に行くということ、それらはどんなことなのか、立ち止まって考えながらみんなで表現を作っていきたいと思う。<br />テーマ選びは慎重になる必要がある。短期ワークショップではあまり心に大きな痛みをともなうテーマを選ぶことはできない。その後フォローができないからだ。長期で信頼関係を作れれば、少しくらいの冒険はできるのだが。だからといって短期でも、深められないようなテーマを選んでは意味がない。<br />そしてテーマが決まったら、みんなでスクリプトを考える。<br />ここにはわたしたち大人の目が必要になる。面白い要素を引き出したり、のばしたり、一緒に質問しながら進めることが必要不可欠で、でなければこどもたちの、リアリティのない勝手な空想の世界で終わってしまいがちだからだ。<br /><br />手法は、今回は人形劇の形をとることにした。<br />実際会ってみたこどもたちの数人はすでに思春期の入り口に立っていて、なにかを自分で演じてみることにはきっと抵抗をしめすと思われたし、担任の先生もそうおっしゃっていた。わたし自身も演じてみろと言われてもどうやっていのかわからず途方に暮れた経験がある。これも演劇嫌いの原因になるので、高校演劇部対象以外のほとんどのワークショップでは、役を演じるという内容はしてきていない。<br /><br />人形の表現をはじめて作品で取り入れたのは、「アトミック・サバイバー」からだったが、この原発をテーマにした作品では、当時タブーも多く、硬直した状況をユーモアとかわいらしさで緩和しながら話題にできる、とても有効な表現手段になった。<br />この方法をワークショップにしようとしたのはさかのぼって4年前、YCAMのDくんの助言からだったが、実施日数の関係で、このワークショップができたのは、試験的に山口市内の高校生を対象に実施した一度のみだった。その結果は、参加メンバーがよかったせいもあるが、本当にすばらしいもので、いつかまたやってみたいと思いつつも、なかなか条件が合わず、そのままになっていた。そういえば博報堂でも一度やらせてもらったことがあった。<br />自分自身で演じることに抵抗がある大人もこどもも、人形でなら遊び感覚で演じることができることが多いし、かえって自分や友だちの意外な面が出てきてはっとしたり、客観的に関係や内容、自己や他者を見ることにつながる。異化効果も作りやすい。なにをしてもユーモラスになるから気楽に表現できる。<br />今度は人形が人数分いるからこれはたいへんだけど。<br /><br />しかしこれでとにかくメインの内容は詰めていけそうな気がする。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />
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