おかげさまでやっと引っ越し先が決まって、契約も済んで一安心。ちょっと郊外の方に棲むことになりました。あとは引っ越しだ~。。。
先週末、フランケンズの『44マクベス』観てきました、面白かったです。いわき総合高校の石井先生との嬉しい再会もありました。
今、占いに男性客が急増中とか。魔女は今なら占い師ってとこでしょうか??アフタートークでは中野くんが、異質な俳優をブレンドするとなぜ面白いのかを探って話をしてましたが、わたしもスタッフ(異ジャンルからゲストを招いたり)キャストともに異質ブレンドを好んでしていて、なぜそれが面白いかと言えば、そもそも世界はそのように成り立っているからで、それに健全さを感じるから、なのですがどうなんでしょう。
そして昨日は仕事仲間の俳優、ノムさんのお誕生日会、いつもこの時期は稽古場か劇場でのお祝いでしたが、今年はノム夫妻宅での小さなパーティ。ノムさんおめでとうでした
さて「家を建てる」ということについて考えています。
今年6月に上演予定の太田省吾作『更地』の夫婦は、子どもが独立し、夫婦で残された時間を過ごすための家を立て替えようとしているわけですが、この作品が書かれたのはバブル崩壊直後の1990年頃。崩壊直後とは言っても、その余波はしばらく続いています。
社会学者のチャーリー(鈴木謙介さん)は、バブル期を、実際には格差が増大し、高度成長期に生まれた「マイホーム」という夢が、土地の高騰などの要因によってくずれ、あまったカネを小さな消費に振り向けた時代と分析しています。
わたしもこのバブル期を高校、大学で体験した世代ですが、高校の頃はみんなこぞってブランド服を買い求め、大学の頃はちょっと熱心にバイトすれば簡単にお金が手に入るという感覚があり、消費の仕方は今よりずっと贅沢だった記憶があります(というか今が貧乏すぎ??)。知り合いからは、韓国にランチを食べに日帰り旅行、なんて話も聞きました。
こんなふうにちょっと浮かれた時代に、太田さんは、マイホームの建て替えを実現させようとする夫婦の話を書くわけですが、そこにはこの時代背景のような浮かれた気分はなく、むしろこのような消費社会の喧噪の中で失われていく「生」の実感のようなものを取り戻すべく、この作品を書き上げたのではないかと思うのです。
この「家を建て替える」という行為が、今振り返るとバブル期らしいもののように思えたのですが、当時も「郊外のマンションが関の山」が大半だったということですし、今は格差は進んでいるものの、上演地、川崎市アートセンターのある新百合ヶ丘では、新築マンションがあっという間に林立し、そこが飛ぶように売れているとか。そしてこの世界不況のまっただ中に、家を建てたり建て替えたりする人々がどのくらいいるのかはわかりませんが、ここはリアルに考えずに、「家を建て替える」ことはきっかけで、むしろ人生における一時的な「更地」状態を体験することを目的として考えた方が、やっぱり自由度の高い読み方ができるのでしょう。そしてそれはそもそも太田さんの作品に一貫するテーマに沿った読みになり、これを逸脱してしまうと作品世界が成り立たなくなって、だったら違う作品を書くなり選ぶなりした方がいい、という結論にいたるんですね。
ということで、やっぱりどんなふうに「更地」状態を作り出すのか、が鍵になりそうですね。
先週末、フランケンズの『44マクベス』観てきました、面白かったです。いわき総合高校の石井先生との嬉しい再会もありました。
今、占いに男性客が急増中とか。魔女は今なら占い師ってとこでしょうか??アフタートークでは中野くんが、異質な俳優をブレンドするとなぜ面白いのかを探って話をしてましたが、わたしもスタッフ(異ジャンルからゲストを招いたり)キャストともに異質ブレンドを好んでしていて、なぜそれが面白いかと言えば、そもそも世界はそのように成り立っているからで、それに健全さを感じるから、なのですがどうなんでしょう。
そして昨日は仕事仲間の俳優、ノムさんのお誕生日会、いつもこの時期は稽古場か劇場でのお祝いでしたが、今年はノム夫妻宅での小さなパーティ。ノムさんおめでとうでした
さて「家を建てる」ということについて考えています。
今年6月に上演予定の太田省吾作『更地』の夫婦は、子どもが独立し、夫婦で残された時間を過ごすための家を立て替えようとしているわけですが、この作品が書かれたのはバブル崩壊直後の1990年頃。崩壊直後とは言っても、その余波はしばらく続いています。
社会学者のチャーリー(鈴木謙介さん)は、バブル期を、実際には格差が増大し、高度成長期に生まれた「マイホーム」という夢が、土地の高騰などの要因によってくずれ、あまったカネを小さな消費に振り向けた時代と分析しています。
わたしもこのバブル期を高校、大学で体験した世代ですが、高校の頃はみんなこぞってブランド服を買い求め、大学の頃はちょっと熱心にバイトすれば簡単にお金が手に入るという感覚があり、消費の仕方は今よりずっと贅沢だった記憶があります(というか今が貧乏すぎ??)。知り合いからは、韓国にランチを食べに日帰り旅行、なんて話も聞きました。
こんなふうにちょっと浮かれた時代に、太田さんは、マイホームの建て替えを実現させようとする夫婦の話を書くわけですが、そこにはこの時代背景のような浮かれた気分はなく、むしろこのような消費社会の喧噪の中で失われていく「生」の実感のようなものを取り戻すべく、この作品を書き上げたのではないかと思うのです。
この「家を建て替える」という行為が、今振り返るとバブル期らしいもののように思えたのですが、当時も「郊外のマンションが関の山」が大半だったということですし、今は格差は進んでいるものの、上演地、川崎市アートセンターのある新百合ヶ丘では、新築マンションがあっという間に林立し、そこが飛ぶように売れているとか。そしてこの世界不況のまっただ中に、家を建てたり建て替えたりする人々がどのくらいいるのかはわかりませんが、ここはリアルに考えずに、「家を建て替える」ことはきっかけで、むしろ人生における一時的な「更地」状態を体験することを目的として考えた方が、やっぱり自由度の高い読み方ができるのでしょう。そしてそれはそもそも太田さんの作品に一貫するテーマに沿った読みになり、これを逸脱してしまうと作品世界が成り立たなくなって、だったら違う作品を書くなり選ぶなりした方がいい、という結論にいたるんですね。
ということで、やっぱりどんなふうに「更地」状態を作り出すのか、が鍵になりそうですね。