阿部初美のブログ

演劇の演出家です。

学童保育

今日は、K市の某学童保育施設を訪ねる。
学校教材を販売する某会社のSさんから、ここで試験的に演劇ワークショップをやってみないかとお声をかけていただいたことがきっかけで、「教育に演劇を」と考える人がまた一人いたことを知って、とても嬉しく思ったのでした。
いわき総合の石井先生をはじめ、去年はいい出会いに恵まれました。
でもこの立て続けの出会いは、だんだん演劇の教育的意義が認知される方向に向かっていることをしめしているのかも!??
しかし一般的には、「演劇ワークショップ」というと、まだまだ「???」というリアクションが多く、「演劇ワークショップ」といっても、劇を演じるだけではなく、シアターゲームのような、自己解放やコミュニケーション、想像力をテーマにしたゲーム形式の、気軽に親しめるものもあって・・・と、まずご理解いただくまでに一苦労。
そういう内容ならば、「演劇ワークショップ」というネーミングはよろしくないであろうというご指摘があった。

今回は学童保育施設とあって、対象は、小学校全学年で、今までのケースだと、小学校は5・6年生からだったので、今回のような小学校低学年向けはわたしも初めての体験になる。
支部長と保育士のみなさんとの打ち合わせの中で、今日も、いろんなお話を聞くことができた。
『アトミック・サバイバー』のツアーで訪れた高知でも、親子向けワークショップはできないものかと相談を受けたのだけれど、今日もこの話が持ち上がる。
親子もさりながら、親同士のコミュニケーションも必要なのだということである。
コミュニケーション問題は、演劇が力を発揮するところである。
「今こそ教育や地域作りに演劇を~」です。

とりあえず、春休みに試験的にワークショップを行う方向で話がまとまる。
小学校1年生、「未知との遭遇」です。
はて~、どこまで日本語が通じるんだろうか~???・・・それは来月のお楽しみ。



「世界の終わりとショートケーキ」終了

いわき総合高校アトリエ公演を終えて、昨夜いわきから帰りました。

まず、ご来場いただいたお客様には、不完全な形の作品をお見せする事態になってしまったことをあらためてお詫びいたします。
そして、にもかかわらず最後まで作品を鑑賞してくださったことに感謝いたします。

GP前日のある事件がきっかけとなり、GP終了後、出演予定だった生徒の一人が出演できなくなり、初日の朝、急遽その生徒をのぞいて残った9人と全シーンを作り直すというありえない事態が起こりました。
全員で話し合いのすえ、公演の決行を決めました。苦労して一緒に作品を作ってきた10人全員で、上演できなかったことはとても悔しかったです。
でも残る9人が、初めての舞台、一人仲間が欠けてしまったこと、初日の後の事故など、たくさんの困難に動揺しつつも、それを乗り越えて、最後までがんばってくれたこと、そしてこの経験を通して成長してくれたことが救いでした。みんながとても頼もしく思えました。
みんながこれからまたどんなふうに成長していくのか、どんな道を歩んでいくのか、とても楽しみです。
わたしも今回は、いろんなことを学びました。
この経験は今後の活動に必ず生きると思います。

そしていわきのおいしい食べ物、豊かな自然や温泉とのお別れもとってもさびしいです。
でもかならずまた会いにいきます。

石井先生、谷代先生、そして10人の系列2年生に心から感謝です、本当にありがとうございました。
自分自身もふくめ、全員の「健闘を祈ります」(!)。



演劇をすることの意味

昨日は川崎市アートセンターとの打ち合わせのため一時帰京。
センターのみなさんとは「アトミック・サバイバー」ツアー以来、みなさんお元気そうで何よりでした。

さていわき総合高校アトリエ公演の当日パンフ原稿も書き稿終わりました。
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演劇をすることの意味                               

いわき総合高校との出会いは、昨年2008年秋に、『アトミック・サバイバー』という作品を、いわきアリオスで上演したことがきっかけでしたが、演劇を授業に取り入れている学校が日本にもあることを知り、とても嬉しく思いました。
というのも、先進諸国では「演劇は教育に不可欠」という認識はごく一般的で、演劇を学校教育に取り入れている国も多いのですが、日本では、「河原者」や「左翼」など、国の「体制の秩序を乱す表現活動」として危険視された歴史などもあり、今だにその価値は低くさしおかれ、演劇の持つ教育的な機能も、ほぼ生かされずにいるからです。
演劇は、人間の在り方を描く表現ジャンルです。シェイクスピアは、世界を鏡のように映し出すのが演劇の使命だと考えましたが、鏡は、人に「己の姿を認識させる役割」を持っています。有史以来、人間は理想の社会を実現しようと、さまざまな改革を行ってきましたが、いつの時代も、人々の間の矛盾や葛藤や対立はなくなることはありませんでした。演劇は、それらを鏡のように映し出し、人々に己の姿を認識させることによって、「気づき」をもたらし、次の時代へと人々を推し進めていく機能も担ってきたのです。
「現実の認識」を深めるためには、まず現実を「よく見ること」から始めなければなりません。ふだん気にとめない自己や他者の心の動きや体の振る舞いを、立ち止まってよく見ること、なぜそうなのか考えてみること、それをよく見える形で表現し、他者と共有すること、これが演劇の作業です。そのためには、自分をさまざまな「抑圧や緊張から解放」する必要がありますし、また共同作業の相手と、うわべだけでない「コミュニケーション」をしなければなりません。そして、他者の立場に立って、物事を考える「想像力」や「分析力」、またそれを的確に心と体で「表現する力」も必要です。もうこれだけでも、演劇がなぜ教育に役に立つのか、お分かりいただけるのではないかと思います。社会で他者とともに生きていくのに必要なことばかりですね。そして、演劇を学ぶということは、人間の生き方や社会を学ぶことに等しいのです。

今回の作品作りの過程で、「系列・演劇」の2年生たちとも、以上のような作業を行ってきましたが、この間、彼女/彼らは、ふだんの生活ではありえないような密度で、自己や他者と懸命に向き合い続けてきました。
この『世界の終わりとショートケーキ』は、彼女/彼たちとの対話や即興などの共同作業を通して、現在の高校生の抱える問題をテーマに作り上げた作品ですが、創作の間には、高校生の問題の背景にある、現代の大人社会が抱えている問題にも思いをめぐらさずにはいられませんでした。
テレビドラマのようにはっきりとした筋立てや起承転結はなく、現実には起こりえないようなことが起こる、まるで「夢」のような作品ですが、お楽しみいただければ幸いです。

このような充実の時間をいただけたこと、また、演劇教育の意味を熟知し、日頃から熱心に学校での活動に取り組まれ、今回の創作にあたっても多くの助言とご協力をいただいた石井路子先生、そして温かく現場を見守り、進行を支えてくださった谷代克明先生に、心から感謝いたします。
  
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