昨日は川崎市アートセンターとの打ち合わせのため一時帰京。
センターのみなさんとは「アトミック・サバイバー」ツアー以来、みなさんお元気そうで何よりでした。
さていわき総合高校アトリエ公演の当日パンフ原稿も書き稿終わりました。
* * * * * * * * * * * *
演劇をすることの意味
いわき総合高校との出会いは、昨年2008年秋に、『アトミック・サバイバー』という作品を、いわきアリオスで上演したことがきっかけでしたが、演劇を授業に取り入れている学校が日本にもあることを知り、とても嬉しく思いました。
というのも、先進諸国では「演劇は教育に不可欠」という認識はごく一般的で、演劇を学校教育に取り入れている国も多いのですが、日本では、「河原者」や「左翼」など、国の「体制の秩序を乱す表現活動」として危険視された歴史などもあり、今だにその価値は低くさしおかれ、演劇の持つ教育的な機能も、ほぼ生かされずにいるからです。
演劇は、人間の在り方を描く表現ジャンルです。シェイクスピアは、世界を鏡のように映し出すのが演劇の使命だと考えましたが、鏡は、人に「己の姿を認識させる役割」を持っています。有史以来、人間は理想の社会を実現しようと、さまざまな改革を行ってきましたが、いつの時代も、人々の間の矛盾や葛藤や対立はなくなることはありませんでした。演劇は、それらを鏡のように映し出し、人々に己の姿を認識させることによって、「気づき」をもたらし、次の時代へと人々を推し進めていく機能も担ってきたのです。
「現実の認識」を深めるためには、まず現実を「よく見ること」から始めなければなりません。ふだん気にとめない自己や他者の心の動きや体の振る舞いを、立ち止まってよく見ること、なぜそうなのか考えてみること、それをよく見える形で表現し、他者と共有すること、これが演劇の作業です。そのためには、自分をさまざまな「抑圧や緊張から解放」する必要がありますし、また共同作業の相手と、うわべだけでない「コミュニケーション」をしなければなりません。そして、他者の立場に立って、物事を考える「想像力」や「分析力」、またそれを的確に心と体で「表現する力」も必要です。もうこれだけでも、演劇がなぜ教育に役に立つのか、お分かりいただけるのではないかと思います。社会で他者とともに生きていくのに必要なことばかりですね。そして、演劇を学ぶということは、人間の生き方や社会を学ぶことに等しいのです。
今回の作品作りの過程で、「系列・演劇」の2年生たちとも、以上のような作業を行ってきましたが、この間、彼女/彼らは、ふだんの生活ではありえないような密度で、自己や他者と懸命に向き合い続けてきました。
この『世界の終わりとショートケーキ』は、彼女/彼たちとの対話や即興などの共同作業を通して、現在の高校生の抱える問題をテーマに作り上げた作品ですが、創作の間には、高校生の問題の背景にある、現代の大人社会が抱えている問題にも思いをめぐらさずにはいられませんでした。
テレビドラマのようにはっきりとした筋立てや起承転結はなく、現実には起こりえないようなことが起こる、まるで「夢」のような作品ですが、お楽しみいただければ幸いです。
このような充実の時間をいただけたこと、また、演劇教育の意味を熟知し、日頃から熱心に学校での活動に取り組まれ、今回の創作にあたっても多くの助言とご協力をいただいた石井路子先生、そして温かく現場を見守り、進行を支えてくださった谷代克明先生に、心から感謝いたします。
センターのみなさんとは「アトミック・サバイバー」ツアー以来、みなさんお元気そうで何よりでした。
さていわき総合高校アトリエ公演の当日パンフ原稿も書き稿終わりました。
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演劇をすることの意味
いわき総合高校との出会いは、昨年2008年秋に、『アトミック・サバイバー』という作品を、いわきアリオスで上演したことがきっかけでしたが、演劇を授業に取り入れている学校が日本にもあることを知り、とても嬉しく思いました。
というのも、先進諸国では「演劇は教育に不可欠」という認識はごく一般的で、演劇を学校教育に取り入れている国も多いのですが、日本では、「河原者」や「左翼」など、国の「体制の秩序を乱す表現活動」として危険視された歴史などもあり、今だにその価値は低くさしおかれ、演劇の持つ教育的な機能も、ほぼ生かされずにいるからです。
演劇は、人間の在り方を描く表現ジャンルです。シェイクスピアは、世界を鏡のように映し出すのが演劇の使命だと考えましたが、鏡は、人に「己の姿を認識させる役割」を持っています。有史以来、人間は理想の社会を実現しようと、さまざまな改革を行ってきましたが、いつの時代も、人々の間の矛盾や葛藤や対立はなくなることはありませんでした。演劇は、それらを鏡のように映し出し、人々に己の姿を認識させることによって、「気づき」をもたらし、次の時代へと人々を推し進めていく機能も担ってきたのです。
「現実の認識」を深めるためには、まず現実を「よく見ること」から始めなければなりません。ふだん気にとめない自己や他者の心の動きや体の振る舞いを、立ち止まってよく見ること、なぜそうなのか考えてみること、それをよく見える形で表現し、他者と共有すること、これが演劇の作業です。そのためには、自分をさまざまな「抑圧や緊張から解放」する必要がありますし、また共同作業の相手と、うわべだけでない「コミュニケーション」をしなければなりません。そして、他者の立場に立って、物事を考える「想像力」や「分析力」、またそれを的確に心と体で「表現する力」も必要です。もうこれだけでも、演劇がなぜ教育に役に立つのか、お分かりいただけるのではないかと思います。社会で他者とともに生きていくのに必要なことばかりですね。そして、演劇を学ぶということは、人間の生き方や社会を学ぶことに等しいのです。
今回の作品作りの過程で、「系列・演劇」の2年生たちとも、以上のような作業を行ってきましたが、この間、彼女/彼らは、ふだんの生活ではありえないような密度で、自己や他者と懸命に向き合い続けてきました。
この『世界の終わりとショートケーキ』は、彼女/彼たちとの対話や即興などの共同作業を通して、現在の高校生の抱える問題をテーマに作り上げた作品ですが、創作の間には、高校生の問題の背景にある、現代の大人社会が抱えている問題にも思いをめぐらさずにはいられませんでした。
テレビドラマのようにはっきりとした筋立てや起承転結はなく、現実には起こりえないようなことが起こる、まるで「夢」のような作品ですが、お楽しみいただければ幸いです。
このような充実の時間をいただけたこと、また、演劇教育の意味を熟知し、日頃から熱心に学校での活動に取り組まれ、今回の創作にあたっても多くの助言とご協力をいただいた石井路子先生、そして温かく現場を見守り、進行を支えてくださった谷代克明先生に、心から感謝いたします。