予定日より一週間遅れた日曜の朝。
仕事で疲れてぐっすり眠っていた夫を起こし、陣痛が始まったことを伝え、一緒に病院へ向かう。
このあたりでは一番大きい産婦人科のY病院まで徒歩3分。まるでこの病院で産むために、ここに引越してきたみたいだ。
3月、まだ寒い朝。陣痛を感じながら一歩一歩、ゆっくり歩き、Y病院に着く。定期検診の時には一階正面の玄関を使っていたが、今日は脇の「夜間通用口」から、2階へ続く階段を上がる。とうとうこの階段を上がる日が来た。

でもまだ気持ち的には余裕があった。
ドアを開けるとすぐ柱を囲むように円形のベンチがあり、その右奥に受付がある。受付その右には診察室に続く廊下があった。
病院の寝巻を着たひとりの女性が、ぐったりした様子で、椅子に座って診察を待っているようだった。
わたしも明日にはあんなふうになるんだろうかと思うと、ちょっと恐ろしくなった。

名前を呼ばれて診察室に入る。最後の検診をしてくれた先生だった。「ほらね、入院の話をしてたら入院になったでしょ?」この先生はとても明るい人なので少し安心する。
先生は、問診表のわたしの渡航歴をみると、なぜこんなに渡航歴が多いのか尋ねた。ほとんどが、演劇の文化交流事業での海外公演だと伝える。隣にいた看護婦さんが「すばらしいお仕事ですね。」と、まるでヨーロッパの友人たちのように率直な表情で言った。日本でこんなふうに評価してもらうことはほとんどなかった。

診察を受けると、破水していることがわかった。「破水」って、どんなものなのか、ぜんぜんわからなかった。
産前の最後の仕事となったいわきでのワークショップの帰り、大きなおなかをかかえて電車に乗ると、隣の年配の女性がわたしのおなかを見て、何ヶ月か尋ねた。間もなく臨月ですと答えると、「まあ、電車の中で破水でもしちゃったら大変じゃないの!」と慌てて言った。
「破水」という言葉すら、聞き慣れないものだった。
「破水」とは、赤ちゃんを包んでいる羊膜が破れて、中の羊水が外へ流れ出すことを言う。破水がおこると、外界の雑菌が胎内に入りこんで、感染症を引き起こし、赤ちゃんに危険が及ぶ。
そのため、臨月近くなったら、家や病院から遠いところには行かずに生活するように指導があるのだ。

破水しているというが、どうも実感できなかった。
看護婦さんが「お印」のついたナプキンを見せながら、「この透明なのが羊水ですよ」と教えてくれた。
破水していたので、即入院となった。
「子宮が全開になって赤ちゃんの頭が出る直前に破水すれば、流れる水の勢いで赤ちゃんが楽に外に出てこられるの。」
確定申告に行ったときにつきそってくれた市のパート職員の女性の話を思い出した。赤ちゃんの頭がでるそのずいぶん前に破水してしまった。

ということで連れていかれたのは、「陣痛室」というところだった。