このところ、ひと月以上体調をくずしてなかなか回復しない。
検査の結果、ストレス性だとわかって、二週間弱、こどもとふたり実家で面倒をみてもらっていた。
ストレスが原因と聞いて、たしかにここのところ、精神的にも体力的にも厳しい日々が続いていたと思いあたる。
大きな原因は育児にある。
きっかけは一時保育でこどもがもらってきた風邪が始まりだった。
こどもは風邪をひいて鼻水をたらすと、そこから中耳炎になる可能性が高い。今回も中耳炎になりかけで、耳が痛いのか、夜中に何度も泣くのでこっちもそれに付き合ってすっかり寝不足になり、抵抗力が落ちたところでこどもの風邪がうつった。
それからは高熱、鼻の奥や喉の痛み、咳、下痢、と症状はどんどん変化し、治りかけてはまた振り返し、こどもとわたしの風邪は二重奏みたいに続いて、だんなはその間、何度もこどもとわたしを乗せて、夜間休日救急病院に車を走らせた。
独身時代、まわりに子育てをする知り合いがほとんどいなかっせいもあり、出産後の想像以上にハードで未知な育児生活にはとまどうことも多かった。
そこで、市が主催する講座に参加したり、栄養士さんや育児のプロである保育士さんに話を聞いたり助言を求めたりもしたが、そこで言われたことは、体を壊した今考えれば、育児家事仕事を抱える身にはとうてい実現困難なことが多かった。果ては「こどもがご飯を食べないのはお母さんの味付けが悪いからじゃないですか」とまで言われた。
バランスのいい食事、一人でできるだけ日常のことができるように練習させる、家庭の中では親が上だと認識させる、しつけは生まれた時から始める、などなど。
これを守るべく、かなり無理をしていたと思う。
たしかによその子をみると、よくご飯や野菜を食べていたけど、わたしのこどもは野菜を食べようとしなかったし、食事の量も少なかったし、とにかく手がかかった。
一秒もじっとしていない、椅子やテーブルの上に乗って立ち上がる、ダメ、と言えばご飯を食べなくなる、癇癪を起こす余計にやりたがる。オムツがえもイヤ、お着替えもイヤ、毎日がこどもとの知恵くらべ、闘いのようだった。
そこに海外との共同作業のお誘いがあった。
こんな状況じゃなければ、二つ返事で参加したい話だった。しかし現実的には、一時保育は月9日が限度、だんなも最低限しか休みをとれず、実家も遠くて気軽にあてにできず、という今の状況で、海外での作品製作は難しかった。
ドイツでは、子育てで自分の仕事をあきらめる人はほとんどいない。みんな現場にこどもを連れてくるし、かわるがわる面倒をみるし、それを嫌がる人はいない、と聞いて、ますます育児のために仕事をあきらめなければならない日本の状況が苦しく思えた。
そうこうするうちにも体調は日々悪化し、とうとうこどもの世話もできなくなり、出産直後の里帰り以来はじめて実家に頼ることになった。
実家での最初の一週間はもうひたすら眠っていた。
そこで目が覚めている時にみた、祖父母の孫と接する姿は頭をひっくり返されるようなものだった。
それは今まで育児のプロから指示されたやり方とはまるで反対のやり方だったけど、こどもはのびのび生き生きと動き始めたのだ。
祖父母に愛されているという安心感が伝わってくる。
そのうち、しぶしぶながら言うこともきくようにまでなった。自宅では全くしなかった行動もするようになったし、語彙もふえていった。
昔、わたしたちがこどもだった頃の子育てはもっとおおらかだったのかもしれない。
核家族化は面倒な近所・家族の付き合いから、個人を解放したけど、こうして絵にかいたようなマンションでの密室育児を経験してしてみると、人間も本来は集団で生活するのが自然な動物なんじゃないかとつくづく思えてくる。
そして育児の専門家たちが言うのは理想かもしれないけど、名もない民間の子育てには独自のやり方が受け継がれてきたのかもしれないと思うようになった。
科学的には間違ったこともあるかもしれないけど、いろいろ役に立つ知恵もありそうだ。
核家族化はそういう知恵の引き継ぎを途絶えさせ、かわりに公共が科学的な知識と情報を提供する。
そこに頼る親は、そのようにはうまくいかない子育てに葛藤し、自信を失い、日々が闘いになる。こどもを叱り、こどもにあたる。
もしかしたら、こんなふうにしても虐待は生産されるのかも。
という考えが頭をよぎる。
こどもの心は愛でみたされて安心する。こどもじゃなくたってそうだけど。
わかっていたはずのことが子育ての過程ではよくあれ?となってしまう。
最近、第2子を出産した友人が、こどもが寝静まるとふと冷静になるけど、起きているときは感情の生き物、と言っていたけど、本当にその通りだと思う。
自分には今言葉が必要だと思う。体調はいつ回復するかわからないけど、言葉が助けてくれる、と直感的に思ってひさびさに夜中に長い日記を書いてみた。
もっともっと、言葉を探したり出したりすることが必要だと思う。
検査の結果、ストレス性だとわかって、二週間弱、こどもとふたり実家で面倒をみてもらっていた。
ストレスが原因と聞いて、たしかにここのところ、精神的にも体力的にも厳しい日々が続いていたと思いあたる。
大きな原因は育児にある。
きっかけは一時保育でこどもがもらってきた風邪が始まりだった。
こどもは風邪をひいて鼻水をたらすと、そこから中耳炎になる可能性が高い。今回も中耳炎になりかけで、耳が痛いのか、夜中に何度も泣くのでこっちもそれに付き合ってすっかり寝不足になり、抵抗力が落ちたところでこどもの風邪がうつった。
それからは高熱、鼻の奥や喉の痛み、咳、下痢、と症状はどんどん変化し、治りかけてはまた振り返し、こどもとわたしの風邪は二重奏みたいに続いて、だんなはその間、何度もこどもとわたしを乗せて、夜間休日救急病院に車を走らせた。
独身時代、まわりに子育てをする知り合いがほとんどいなかっせいもあり、出産後の想像以上にハードで未知な育児生活にはとまどうことも多かった。
そこで、市が主催する講座に参加したり、栄養士さんや育児のプロである保育士さんに話を聞いたり助言を求めたりもしたが、そこで言われたことは、体を壊した今考えれば、育児家事仕事を抱える身にはとうてい実現困難なことが多かった。果ては「こどもがご飯を食べないのはお母さんの味付けが悪いからじゃないですか」とまで言われた。
バランスのいい食事、一人でできるだけ日常のことができるように練習させる、家庭の中では親が上だと認識させる、しつけは生まれた時から始める、などなど。
これを守るべく、かなり無理をしていたと思う。
たしかによその子をみると、よくご飯や野菜を食べていたけど、わたしのこどもは野菜を食べようとしなかったし、食事の量も少なかったし、とにかく手がかかった。
一秒もじっとしていない、椅子やテーブルの上に乗って立ち上がる、ダメ、と言えばご飯を食べなくなる、癇癪を起こす余計にやりたがる。オムツがえもイヤ、お着替えもイヤ、毎日がこどもとの知恵くらべ、闘いのようだった。
そこに海外との共同作業のお誘いがあった。
こんな状況じゃなければ、二つ返事で参加したい話だった。しかし現実的には、一時保育は月9日が限度、だんなも最低限しか休みをとれず、実家も遠くて気軽にあてにできず、という今の状況で、海外での作品製作は難しかった。
ドイツでは、子育てで自分の仕事をあきらめる人はほとんどいない。みんな現場にこどもを連れてくるし、かわるがわる面倒をみるし、それを嫌がる人はいない、と聞いて、ますます育児のために仕事をあきらめなければならない日本の状況が苦しく思えた。
そうこうするうちにも体調は日々悪化し、とうとうこどもの世話もできなくなり、出産直後の里帰り以来はじめて実家に頼ることになった。
実家での最初の一週間はもうひたすら眠っていた。
そこで目が覚めている時にみた、祖父母の孫と接する姿は頭をひっくり返されるようなものだった。
それは今まで育児のプロから指示されたやり方とはまるで反対のやり方だったけど、こどもはのびのび生き生きと動き始めたのだ。
祖父母に愛されているという安心感が伝わってくる。
そのうち、しぶしぶながら言うこともきくようにまでなった。自宅では全くしなかった行動もするようになったし、語彙もふえていった。
昔、わたしたちがこどもだった頃の子育てはもっとおおらかだったのかもしれない。
核家族化は面倒な近所・家族の付き合いから、個人を解放したけど、こうして絵にかいたようなマンションでの密室育児を経験してしてみると、人間も本来は集団で生活するのが自然な動物なんじゃないかとつくづく思えてくる。
そして育児の専門家たちが言うのは理想かもしれないけど、名もない民間の子育てには独自のやり方が受け継がれてきたのかもしれないと思うようになった。
科学的には間違ったこともあるかもしれないけど、いろいろ役に立つ知恵もありそうだ。
核家族化はそういう知恵の引き継ぎを途絶えさせ、かわりに公共が科学的な知識と情報を提供する。
そこに頼る親は、そのようにはうまくいかない子育てに葛藤し、自信を失い、日々が闘いになる。こどもを叱り、こどもにあたる。
もしかしたら、こんなふうにしても虐待は生産されるのかも。
という考えが頭をよぎる。
こどもの心は愛でみたされて安心する。こどもじゃなくたってそうだけど。
わかっていたはずのことが子育ての過程ではよくあれ?となってしまう。
最近、第2子を出産した友人が、こどもが寝静まるとふと冷静になるけど、起きているときは感情の生き物、と言っていたけど、本当にその通りだと思う。
自分には今言葉が必要だと思う。体調はいつ回復するかわからないけど、言葉が助けてくれる、と直感的に思ってひさびさに夜中に長い日記を書いてみた。
もっともっと、言葉を探したり出したりすることが必要だと思う。