阿部初美のブログ

演劇の演出家です。

2011年10月

結婚とか育児とか仕事とか人生とか

アメリカに住む友人と4年ぶりに再会した。
旦那が週一回のノー残業デイだったので、こどもをあずけてひさしぶりに夜外に出た。
こんな日が時々でもあると本当にリフレッシュできる。

アメリカに住む彼女は日本人だけど、アメリカの大学で演劇の先生をしていて、自分で作品も作るパフォーマーでもあり演出家でもある。もう長いことそんなふうに異国の地で暮らしている。時々話を聞くと、彼女が住むのは、とても強い自己主張を求められる競争の激しい世界で、人を簡単に信用してはならず、常に警戒心を持って生きることを要求するような場所だった。そんなふうに生きてたら時々精神がおかしくなるんじゃないか?とか、とてもわたしはそんなところで生きてはいけないと思った。それでもそんな過酷な世界でがんばっている彼女を見てすごいなあと常々思ってきたのだけれど、やっぱり聞けばそれなりにいろんなことがあって、でも肩肘はって生きてきた彼女は、4年ぶりに再会してみるとよけいな力が抜けてどこかやわらかな雰囲気を漂わせていた。これまで受け入れてこなかったたくさんのことを受け入れて、自分との間に折り合いをつけつつあるんだなと思い、そんな彼女の変化がとても喜ばしいものに思えた。
お互いの近況を話すうちに、わたしも今自分の中にある複雑な思いや葛藤に肯定的に向き合うことができた。

彼女と会わなかった4年の間に、わたしは結婚してこどもを産んだ。
わたしが結婚したことにたくさんの知人友人が驚いて、こどもを産んだことにはもっと驚いたという人が多かったけど、こどもに関してはわたし自身も驚きだったからまわりが驚くのも当然だ。
一度仕事でご一緒した美術の学芸の女性Oさんは、結婚という制度にとらわれたくないということで、彼はいるけど結婚はしないと言っていた。でも話を聞くとその彼との半同棲の生活はとても幸せそうで、プライベートでも自分のポリシーをつらぬき通す彼女の強さをとてもすてきだなと思った。
たしかに結婚は制度である。結婚はしたってしなくたって問題は中身だからパッケージにこだわる必要はない、と確かに思う。でもわたしは結婚した。理由はすごく簡単で、「みんなずっとそうしてきたから」。演劇と一緒で、長く続く慣習には人類の知恵がつまっていて、それなりの効果をあげてきたから、その制度をなくそうよという話にならないんだろうと思う。しかもわたしはお見合い結婚をしているのだが、一度しかしなかった「お見合い」もなかなかいいものだと思ったし、「結婚」もなかなかいいものだと思っている。それらの慣習制度につまった人類の知恵には、なるほどと感心させられることも多い。

結婚したいと思ったのは、まずは「生活者」であることを大切にしたかったからである。
家族を作ることで生きのびてきた人類の営みの列に自分も並びたかったし、その営みはとても愛おしいものに思えてならなかった。
独身時代はほんとうに仕事一筋で、持てる時間とエネルギーのほぼすべてを仕事に向けてきたけど、「生活」をなくしてしまうことはいつも恐れていたので、できるだけ家事もしたし植物を育てたりもした。
ものを作るときにも、「生活者」としての視点をなくしてはならないとずっと思ってきた。
これはもしかしたら師、太田省吾ゆずりなのかもしれないとふと思う。

すぐにこどもを産んだのは実は想定外で、かなり焦った。
そういう人類の営みに参加したいと思っていたので、結婚したらこどもを持つこともぼんやりとは考えたけど、リアリティは全くなかったし、なにしろ仕事で多忙をきわめていたので、そのうち考えましょう、とのんきにかまえていたのだが、ぜひともうちに来たかったこども、Kは待ちきれなかったようで、それじゃ遅いようー、となにもこんなタイミングでこなくても、、というタイミングでやってきた。Kは生まれた時からせっかちなタイプだから、おおかたそんなところだろう。
想定外妊娠で、仕事上の多くの関係者に迷惑をかけてしまうことになった。自分も苦しかったし、Kもおなかの中でずいぶん苦しい思いをしたと思う。あんまり幸せな妊娠期間じゃなかった。そんな状況もすでにKのからだのどこかに刻印されているのだろうかと思うとちょっと不憫に思え、人生の始まりの不可思議さを感じずにはいられない。
でもKはたぶんわたしの助けになりたくて、わたしのところへやってきたに違いなく、根拠もないのになぜかわたしはそう感じている。まだやっと一才半だけど、頼めばよくお手伝いをしてくれるし、わたしが喜んだりありがとうというと本当にうれしそうにするからやっぱりたぶんそうなんだろう。
きっとわたしがいなくなった後も、彼はわたしの代わりに、世界になにか働きかけていくだろう。
だから今は一生懸命彼に愛情をそそがなくてはと思う。そうすれば、きっと人を愛することができる人間になるだろう。日々のばたばたの中ではこれは本当にたいへんなことなんだけど。

アメリカの友人との間で、「資本主義のすりこみ」の話がでた。
主婦という人生には価値がない、社会的に認められることもなく、台所で包丁を持って、なんで「こんなこと」してなくちゃならないの?と思ってしまう、こういうのってそもそも資本主義のすりこみだよねと。

わたしは台所で包丁を持つととても幸せな気持ちになるので、「こんなこと」とは思わないが、育児で家にこもらなければならず、社会的な活動ができないことにはものすごいストレスを感じる。
出産前に「こどもができたら満たされちゃって作品を作りたいなんて思わなくなるんじゃないのか?」と言われたことがあり、まさかそんなことあるわけない、と思ったが、そういう女性も多いと聞いて、そんなものだろうかとも思ったけど、やっぱりそんなことはなかった。
こどもの頃からおさえつけられればられるほど、自由になりたい気持ちが強くなるたちで、こうして家にしばりつけられていると本当にやりたいことをやりたいという思いは強くなっていく。
今はそういう思いをためこんでいこうと思う。

しかし、実際自分が「主婦」を経験する前までは、専業主婦なんて楽なもんだなーと想像していたけど、そんなことは全くない。こどものいない主婦はいざしらず、こどもがいたら本当にたいへんだ。
わたしは仕事をそんなに楽にやってきたつもりは全くないけど、それにしても仕事してた方がどんなに楽かわからないくらい育児はたいへんだ。
「生きる」という行為や本能がむきだしのままだ。息つく暇なく、こどもは日々体当たりしてくる。
子育てに「傍観」という態度はありえない。こどもがそれを許さない。
こどもは大人を世界の当事者に引きずりおろす。感情むきだし。
自分でも感情で生きてると思う。よく笑うしよく泣くようになった。
こどもは大人にかっこつけさせてくれない。
素直になったかもしれない。
もっと素直でもいいのにな、と前々から自分のことをそう思っていたが、こどもがそうさせてくれてるのかもしれない。

育児で半休業中のこんな時間を、肯定的に積極的に見ようとするようになってきたのは、まだつい最近のことだ。
男の演出家は(演出家に限らないけど)、こどもを持っても仕事のキャリアを中断することなく日々積み重ねていくのに、なぜ女のわたしはキャリアを中断し、ブランクをつくらなければならないのか、本当に世の中は不公平にできている、と去年は一年嘆き続けていた。
稼いでもらわなければ困るというのに、夫が当たり前の顔で毎日仕事に出かけていくことすら疎ましく思えた。
でもどこか意識の奥の方で、なぜかこの世の不公平を肯定する気持ちもあった。
こどもが生まれたら女が家にこもりがちなのは、生物学上の理由で、男には授乳ができないからだろう。もちろんミルクで育てることもできるし、そうする家庭もあるけど、今では、免疫なんかの関係でミルクよりは母乳の方がいいのは明らかになっている。だからわたしもできるだけ母乳で育ててあげたいと思ったし、そのためには一日中こどもの側にいなければならないから仕事は当然できなくなる。
自然がそういうふうにできている、ということにはけっこう素直に従いたくなるので、悪かった母乳の出を一生懸命よくしようとがんばりもした。
その一方でなんでわたしだけこんなふうに家にこもりきりで育児しなきゃいけないのー、わたしにも仕事させてーとよく泣きわめいていた。
とても理不尽なことを言っていると自分でわかっているけど、どっちも本当の気持ちだから、折り合いがつけられず、この矛盾を抱えたまま、時々愚痴愚痴文句を言ったりして今も日々過ごしている。

そして「生活者」であることを大事としながら、生活者としては「新米ママ」ということになった自分がどうふるまってよいやら見当もつかず、自治体が主催するママと赤ちゃんのイベントなんかに行ってみると、新米ママたちががっちりグループを組んでママ友作りにはげんでいて、その姿は「KY」や「キャラ分け」に苦しみつつもはげんでしまう高校生たちと重なった。妊娠中のママ教室で一緒だった知人はわたしを見つけると笑顔で近寄ってきたが、遠くに「ママ友」の姿を見つけると、「わたしいつもあの人と一緒にいるからごめんね!」と去っていった。すごく孤独だったけど、それでもわたしはここにはいられない、と心から思った。たった一度行ったきり、それ以来その手のイベントには行っていない。

最近知り合ったマンションの上の階に住む台湾人のママPさんも、同じことを言っていた。
日本人のつきあいは難しい。。。
北九州の「出産育児を表現にいかす勉強会」と来年の「子育てワークショップ」の用意も始めなければ。
















新しいワークショップ/北九州

9月あたまに小倉に行って以来、しばらくばたばただった。

足を故障してほとんど歩けなくなっていた実家の母が、手術のために入院することになった。実家は小さな印刷屋を営んでいて、両親はサラリーマンならとうに引退の年齢だし、今はさほどの仕事もないと見えるのに、店を閉めたがらず、父は母の通院には送り迎えのみで付き添うこともほとんどなく、病院から「家族の方も来るように」と言われたと聞き、母の入院中、こどもと二人で実家の手伝いをすることにして、しばらく実家で過ごしていた。大正生まれの祖母に「男子台所に入るべからず」というしつけを受けた父は、料理や家事をほとんどしないままこの年まできたのだ。両親には、わたしが倒れたときもこどもと一緒にまとめて面倒をみてもらったので、今回はその恩返しもかねてのつもりだったが、こんなふうに家族のために時間を過ごすことは今までほとんどなかった。

実家の親が老いてきたり、自分も子育てと仕事と家事でヒィヒィしていたりするので、もう少し実家にアクセスのよいところに引っ越そうかという話がでて、東京よりの埼玉に物件を見に行くと、ローン控除の有効期間などを不動産屋で聞いたりして、年内に引っ越さなければならなくなり、物件探しと契約手続きで数週間があっという間にすぎていった。

で一段落したところで、やっと北九州•小倉の小学生のワークショップの準備にとりかかる。
せっかく9月あたまに会えたのに、あれからひと月以上も経ってしまって、もっと記憶が鮮明なうちに準備を始めたかったけど、会えたおかげでこどもたちの様子は少しつかめたので考えやすい。

9月の1コマは聞き取り調査に時間を使った。質問事項はあらかじめプリントしていったので、後で記入して送り返してもらえるようにお願いした。
こどもたちは元気で、「ちょっと静かにして〜!」を何度も言わなければならなかったけど、なかには後ろの方に隠れてかたくなにほとんど話をしてくれなかった子もいた。

一回かぎり、あるいは短期ワークショップでつらいのは、こどもたちを叱るのが難しいということだ。
小学生くらいだととくに男の子たちはすぐにふざけてはしゃいでしまう。まったく集中しない場合もあるし、嫌がってやりたがらないこともある。
そういう時、そういう態度をこちらが叱るとかえって反発をまねいたり、下手をしたら「演劇」を嫌いになってしまう可能性だってある。それは一番困る。もちろん全員に届けばいいけど、何人かがひっかかってくれればいいといいう考え方もある。全員にわかってほしい、と望むのは欲張りすぎなんだろうか。
これが長期のワークショップになると、信頼関係が作れれば叱ってもほとんど問題はないし、むしろ叱るくらいの方がかえって信頼してくれたりもするのだ。

今回の小学校は、学区が狭く、一年生から同じメンバーで過ごすので、中学生になって外に出たとき知らない人とのコミュニケーションでつまづく子が多い、ということで、そこを考慮した質問をしてみた。もちろんこの地域をテーマにもしている。

まず、自分の街の好きなところ、嫌いなところ。
これはとても面白い結果がでた。
好きなところでは、人に関する記述がとても多かった。知らない人が挨拶してくれる、元気がいい、協力しあう、仲がいい、やさしいなどなど。男の子にかぎっては店がたくさんあるというのもいくつか。
嫌いなところは、環境に関することが多かった。川がきたないがとても多く、ついでゴミが落ちてる、空気がきたない、工場がたくさんある、坂が多いなど。女の子にかぎっては店が少ない、が数人。言葉がきたないというのもあったけど。
ここから見えてくるのは、こどもたちにとっての「元気で仲のいい人たちが住むきたない街」で、男の子の好きなゲームセンターやゲームを売る店があり、女の子の好きなファッション雑貨系の店がない街だ。
それにしてもこどもたちはいつから美しい環境とそうでない環境を識別するようになるのだろう。
自分のこどもをみていると、親やまわりの大人が教えさえしなければ、与えられた環境を当たり前として嫌だと思うことなく生きていきそうに見える。
そしてそのように、クラスの男の子たちの中には、嫌いなところは「ない」と答えた子も数人いた。
好きなところが「ない」という子はいなかった。
この小学校は小倉の北に位置していて、南には美しい山があり、この辺の人たちはよく友達や家族で出かけるそうで、きたないというのは近くにある美しい南と比較してでてきた言葉かもしれない。

次の質問は自分の地域の外の世界に関すること。
今まで行った一番遠い場所と、そこで感じたこと。それから行ってみたい場所とその理由。
これはほぼ想像の域をでない一般的な答えが多く、男の子は言葉が少なすぎてほとんど足しにならないような結果になった。まあしかしなにごとも聞いておいて損はなく、なにかに使えるかもしれないし、見ようと思えばその少ない言葉にもいろんな思いは感じられるし、それにひとつ気になる答えもあった。行きたい場所の質問に「ない」と答えた男の子が一人いたのだ。大人でもよく男性で「どこにも行きたくない、家が一番」という人がいるけど、こんなこどものうちから家が一番なんだろうか。
それでもほとんどの子はあちこち行ってみたい場所を書いていたので、外の世界に対する好奇心や冒険心は健全に育っているようだ。


それから未来に関する質問が続く。
まず、これから自分が経験するだろうことで不安だったり怖かったりすることは?というもの。
これは空白と「ない」という答えが多く、ついで「人類滅亡」が多かった。なんだか都市伝説っぽいもので、今年の10月26日に人類が滅亡するようなことが起こるという噂がたっているらしく、みんなそれにおびえているらしい。わたしたちの頃にもノストラダムスの大予言があって、たしか1999年の7の月に人類が滅亡するとかいうものだったけど、7月になっても8月になっても人類は滅亡せず、ほっとしたのとあっけにとられたのをおぼえている。こういうのは小学生らしい一面だなと思う。
それから自分や家族の死を恐れたり、中学生になって友達ができるか心配という子も男女あわせて数人いた。最近よく「進学したら友達ができるか心配」という言葉を聞く。高校生も、大学に行って友達ができるか心配したりしている。わたしは友達はできるものと思いこんでいたしそんなことを心配したことは一度もなかったので、この現象はとても気になっている。
しかし、ここでも怖いことは「ない」という答えが男子に多いことに驚く。こども時代の一瞬に、本当にそんな心境になっているのだろうか、それとも想像力が乏しいだけなのか。
それから311の震災を受けてか、地震・津波・火事も数名いたけど、予想よりは少なく、先生によるとやはり遠いところのこととしてあまりリアリティは感じていないようだということだった。

さらに未来。将来してみたいこと。
これは男の子に空欄や「ない」の答えが多く、質問の意味がわかってないのか、ほんとに「ない」のかちょっとよくわからなかった。ほかにはお金に関することが数人、あとはばらばらだったけど、女の子はとにかくここは熱心にうめているのがよくわかった。パーマをかけたい、おしゃれがしたい、ブランドのバッグが買いたい、大人買いしたい、料理がしたい、車の免許がとりたいなどなど、女の子たちは大人の日々を夢みている。それでも一人、「ひとり暮らし」と書いた女の子がいて、理由は、「いざひとりになってしまった時のために慣れておいた方がいいから」と消極的な理由が目をひいた。

最後も未来に関して、将来なりたい職業は?
バスケ、野球、サッカー、空手、男の子たちは圧倒的にスポーツ選手という答えが目立つ。
女の子たちはなぜかしめしあわせたかのように、ファッションデザイナーか保育士が多い。
全体で見ると半数は見果てぬ夢を見、半数は現実を見ている、という印象。
ほかには、おじいちゃんがしている自動車整備工に憧れて自分もなってみたいとか、銀行員とか、ゲーム会社で働くとか、ガソリンスタンドとか、レンタルビデオショップ、ケーキ屋さん、なぜか「アルバイト」という答えもあった。

今回の質問は、こどもたちにとっての地域の内と外、外につながる未来の時間に関するものだったが、この結果から、全体に関してはとくに大きな危機的な問題はないと判断した。クラスも男女ともに仲がよく、言いたいことを傷つけあうことなく言い合える関係もできている。街の大人たちは知らないこどもたちにもよく挨拶し、声をかけてくれる。こんな街で育つこどもは幸せだ。わたしもこんな街で育ちたかったと思う。
ということで、今回は個人によりそう形で内容を考えてみた。
たとえば、工場の街で暮らすということ、怖いものがないということ、行きたいところがないということ、南極や深海に行くということ、それらはどんなことなのか、立ち止まって考えながらみんなで表現を作っていきたいと思う。
テーマ選びは慎重になる必要がある。短期ワークショップではあまり心に大きな痛みをともなうテーマを選ぶことはできない。その後フォローができないからだ。長期で信頼関係を作れれば、少しくらいの冒険はできるのだが。だからといって短期でも、深められないようなテーマを選んでは意味がない。
そしてテーマが決まったら、みんなでスクリプトを考える。
ここにはわたしたち大人の目が必要になる。面白い要素を引き出したり、のばしたり、一緒に質問しながら進めることが必要不可欠で、でなければこどもたちの、リアリティのない勝手な空想の世界で終わってしまいがちだからだ。

手法は、今回は人形劇の形をとることにした。
実際会ってみたこどもたちの数人はすでに思春期の入り口に立っていて、なにかを自分で演じてみることにはきっと抵抗をしめすと思われたし、担任の先生もそうおっしゃっていた。わたし自身も演じてみろと言われてもどうやっていのかわからず途方に暮れた経験がある。これも演劇嫌いの原因になるので、高校演劇部対象以外のほとんどのワークショップでは、役を演じるという内容はしてきていない。

人形の表現をはじめて作品で取り入れたのは、「アトミック・サバイバー」からだったが、この原発をテーマにした作品では、当時タブーも多く、硬直した状況をユーモアとかわいらしさで緩和しながら話題にできる、とても有効な表現手段になった。
この方法をワークショップにしようとしたのはさかのぼって4年前、YCAMのDくんの助言からだったが、実施日数の関係で、このワークショップができたのは、試験的に山口市内の高校生を対象に実施した一度のみだった。その結果は、参加メンバーがよかったせいもあるが、本当にすばらしいもので、いつかまたやってみたいと思いつつも、なかなか条件が合わず、そのままになっていた。そういえば博報堂でも一度やらせてもらったことがあった。
自分自身で演じることに抵抗がある大人もこどもも、人形でなら遊び感覚で演じることができることが多いし、かえって自分や友だちの意外な面が出てきてはっとしたり、客観的に関係や内容、自己や他者を見ることにつながる。異化効果も作りやすい。なにをしてもユーモラスになるから気楽に表現できる。
今度は人形が人数分いるからこれはたいへんだけど。

しかしこれでとにかくメインの内容は詰めていけそうな気がする。














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