アメリカに住む友人と4年ぶりに再会した。
旦那が週一回のノー残業デイだったので、こどもをあずけてひさしぶりに夜外に出た。
こんな日が時々でもあると本当にリフレッシュできる。
アメリカに住む彼女は日本人だけど、アメリカの大学で演劇の先生をしていて、自分で作品も作るパフォーマーでもあり演出家でもある。もう長いことそんなふうに異国の地で暮らしている。時々話を聞くと、彼女が住むのは、とても強い自己主張を求められる競争の激しい世界で、人を簡単に信用してはならず、常に警戒心を持って生きることを要求するような場所だった。そんなふうに生きてたら時々精神がおかしくなるんじゃないか?とか、とてもわたしはそんなところで生きてはいけないと思った。それでもそんな過酷な世界でがんばっている彼女を見てすごいなあと常々思ってきたのだけれど、やっぱり聞けばそれなりにいろんなことがあって、でも肩肘はって生きてきた彼女は、4年ぶりに再会してみるとよけいな力が抜けてどこかやわらかな雰囲気を漂わせていた。これまで受け入れてこなかったたくさんのことを受け入れて、自分との間に折り合いをつけつつあるんだなと思い、そんな彼女の変化がとても喜ばしいものに思えた。
お互いの近況を話すうちに、わたしも今自分の中にある複雑な思いや葛藤に肯定的に向き合うことができた。
彼女と会わなかった4年の間に、わたしは結婚してこどもを産んだ。
わたしが結婚したことにたくさんの知人友人が驚いて、こどもを産んだことにはもっと驚いたという人が多かったけど、こどもに関してはわたし自身も驚きだったからまわりが驚くのも当然だ。
一度仕事でご一緒した美術の学芸の女性Oさんは、結婚という制度にとらわれたくないということで、彼はいるけど結婚はしないと言っていた。でも話を聞くとその彼との半同棲の生活はとても幸せそうで、プライベートでも自分のポリシーをつらぬき通す彼女の強さをとてもすてきだなと思った。
たしかに結婚は制度である。結婚はしたってしなくたって問題は中身だからパッケージにこだわる必要はない、と確かに思う。でもわたしは結婚した。理由はすごく簡単で、「みんなずっとそうしてきたから」。演劇と一緒で、長く続く慣習には人類の知恵がつまっていて、それなりの効果をあげてきたから、その制度をなくそうよという話にならないんだろうと思う。しかもわたしはお見合い結婚をしているのだが、一度しかしなかった「お見合い」もなかなかいいものだと思ったし、「結婚」もなかなかいいものだと思っている。それらの慣習制度につまった人類の知恵には、なるほどと感心させられることも多い。
結婚したいと思ったのは、まずは「生活者」であることを大切にしたかったからである。
家族を作ることで生きのびてきた人類の営みの列に自分も並びたかったし、その営みはとても愛おしいものに思えてならなかった。
独身時代はほんとうに仕事一筋で、持てる時間とエネルギーのほぼすべてを仕事に向けてきたけど、「生活」をなくしてしまうことはいつも恐れていたので、できるだけ家事もしたし植物を育てたりもした。
ものを作るときにも、「生活者」としての視点をなくしてはならないとずっと思ってきた。
これはもしかしたら師、太田省吾ゆずりなのかもしれないとふと思う。
すぐにこどもを産んだのは実は想定外で、かなり焦った。
そういう人類の営みに参加したいと思っていたので、結婚したらこどもを持つこともぼんやりとは考えたけど、リアリティは全くなかったし、なにしろ仕事で多忙をきわめていたので、そのうち考えましょう、とのんきにかまえていたのだが、ぜひともうちに来たかったこども、Kは待ちきれなかったようで、それじゃ遅いようー、となにもこんなタイミングでこなくても、、というタイミングでやってきた。Kは生まれた時からせっかちなタイプだから、おおかたそんなところだろう。
想定外妊娠で、仕事上の多くの関係者に迷惑をかけてしまうことになった。自分も苦しかったし、Kもおなかの中でずいぶん苦しい思いをしたと思う。あんまり幸せな妊娠期間じゃなかった。そんな状況もすでにKのからだのどこかに刻印されているのだろうかと思うとちょっと不憫に思え、人生の始まりの不可思議さを感じずにはいられない。
でもKはたぶんわたしの助けになりたくて、わたしのところへやってきたに違いなく、根拠もないのになぜかわたしはそう感じている。まだやっと一才半だけど、頼めばよくお手伝いをしてくれるし、わたしが喜んだりありがとうというと本当にうれしそうにするからやっぱりたぶんそうなんだろう。
きっとわたしがいなくなった後も、彼はわたしの代わりに、世界になにか働きかけていくだろう。
だから今は一生懸命彼に愛情をそそがなくてはと思う。そうすれば、きっと人を愛することができる人間になるだろう。日々のばたばたの中ではこれは本当にたいへんなことなんだけど。
アメリカの友人との間で、「資本主義のすりこみ」の話がでた。
主婦という人生には価値がない、社会的に認められることもなく、台所で包丁を持って、なんで「こんなこと」してなくちゃならないの?と思ってしまう、こういうのってそもそも資本主義のすりこみだよねと。
わたしは台所で包丁を持つととても幸せな気持ちになるので、「こんなこと」とは思わないが、育児で家にこもらなければならず、社会的な活動ができないことにはものすごいストレスを感じる。
出産前に「こどもができたら満たされちゃって作品を作りたいなんて思わなくなるんじゃないのか?」と言われたことがあり、まさかそんなことあるわけない、と思ったが、そういう女性も多いと聞いて、そんなものだろうかとも思ったけど、やっぱりそんなことはなかった。
こどもの頃からおさえつけられればられるほど、自由になりたい気持ちが強くなるたちで、こうして家にしばりつけられていると本当にやりたいことをやりたいという思いは強くなっていく。
今はそういう思いをためこんでいこうと思う。
しかし、実際自分が「主婦」を経験する前までは、専業主婦なんて楽なもんだなーと想像していたけど、そんなことは全くない。こどものいない主婦はいざしらず、こどもがいたら本当にたいへんだ。
わたしは仕事をそんなに楽にやってきたつもりは全くないけど、それにしても仕事してた方がどんなに楽かわからないくらい育児はたいへんだ。
「生きる」という行為や本能がむきだしのままだ。息つく暇なく、こどもは日々体当たりしてくる。
子育てに「傍観」という態度はありえない。こどもがそれを許さない。
こどもは大人を世界の当事者に引きずりおろす。感情むきだし。
自分でも感情で生きてると思う。よく笑うしよく泣くようになった。
こどもは大人にかっこつけさせてくれない。
素直になったかもしれない。
もっと素直でもいいのにな、と前々から自分のことをそう思っていたが、こどもがそうさせてくれてるのかもしれない。
育児で半休業中のこんな時間を、肯定的に積極的に見ようとするようになってきたのは、まだつい最近のことだ。
男の演出家は(演出家に限らないけど)、こどもを持っても仕事のキャリアを中断することなく日々積み重ねていくのに、なぜ女のわたしはキャリアを中断し、ブランクをつくらなければならないのか、本当に世の中は不公平にできている、と去年は一年嘆き続けていた。
稼いでもらわなければ困るというのに、夫が当たり前の顔で毎日仕事に出かけていくことすら疎ましく思えた。
でもどこか意識の奥の方で、なぜかこの世の不公平を肯定する気持ちもあった。
こどもが生まれたら女が家にこもりがちなのは、生物学上の理由で、男には授乳ができないからだろう。もちろんミルクで育てることもできるし、そうする家庭もあるけど、今では、免疫なんかの関係でミルクよりは母乳の方がいいのは明らかになっている。だからわたしもできるだけ母乳で育ててあげたいと思ったし、そのためには一日中こどもの側にいなければならないから仕事は当然できなくなる。
自然がそういうふうにできている、ということにはけっこう素直に従いたくなるので、悪かった母乳の出を一生懸命よくしようとがんばりもした。
その一方でなんでわたしだけこんなふうに家にこもりきりで育児しなきゃいけないのー、わたしにも仕事させてーとよく泣きわめいていた。
とても理不尽なことを言っていると自分でわかっているけど、どっちも本当の気持ちだから、折り合いがつけられず、この矛盾を抱えたまま、時々愚痴愚痴文句を言ったりして今も日々過ごしている。
そして「生活者」であることを大事としながら、生活者としては「新米ママ」ということになった自分がどうふるまってよいやら見当もつかず、自治体が主催するママと赤ちゃんのイベントなんかに行ってみると、新米ママたちががっちりグループを組んでママ友作りにはげんでいて、その姿は「KY」や「キャラ分け」に苦しみつつもはげんでしまう高校生たちと重なった。妊娠中のママ教室で一緒だった知人はわたしを見つけると笑顔で近寄ってきたが、遠くに「ママ友」の姿を見つけると、「わたしいつもあの人と一緒にいるからごめんね!」と去っていった。すごく孤独だったけど、それでもわたしはここにはいられない、と心から思った。たった一度行ったきり、それ以来その手のイベントには行っていない。
最近知り合ったマンションの上の階に住む台湾人のママPさんも、同じことを言っていた。
日本人のつきあいは難しい。。。
北九州の「出産育児を表現にいかす勉強会」と来年の「子育てワークショップ」の用意も始めなければ。
旦那が週一回のノー残業デイだったので、こどもをあずけてひさしぶりに夜外に出た。
こんな日が時々でもあると本当にリフレッシュできる。
アメリカに住む彼女は日本人だけど、アメリカの大学で演劇の先生をしていて、自分で作品も作るパフォーマーでもあり演出家でもある。もう長いことそんなふうに異国の地で暮らしている。時々話を聞くと、彼女が住むのは、とても強い自己主張を求められる競争の激しい世界で、人を簡単に信用してはならず、常に警戒心を持って生きることを要求するような場所だった。そんなふうに生きてたら時々精神がおかしくなるんじゃないか?とか、とてもわたしはそんなところで生きてはいけないと思った。それでもそんな過酷な世界でがんばっている彼女を見てすごいなあと常々思ってきたのだけれど、やっぱり聞けばそれなりにいろんなことがあって、でも肩肘はって生きてきた彼女は、4年ぶりに再会してみるとよけいな力が抜けてどこかやわらかな雰囲気を漂わせていた。これまで受け入れてこなかったたくさんのことを受け入れて、自分との間に折り合いをつけつつあるんだなと思い、そんな彼女の変化がとても喜ばしいものに思えた。
お互いの近況を話すうちに、わたしも今自分の中にある複雑な思いや葛藤に肯定的に向き合うことができた。
彼女と会わなかった4年の間に、わたしは結婚してこどもを産んだ。
わたしが結婚したことにたくさんの知人友人が驚いて、こどもを産んだことにはもっと驚いたという人が多かったけど、こどもに関してはわたし自身も驚きだったからまわりが驚くのも当然だ。
一度仕事でご一緒した美術の学芸の女性Oさんは、結婚という制度にとらわれたくないということで、彼はいるけど結婚はしないと言っていた。でも話を聞くとその彼との半同棲の生活はとても幸せそうで、プライベートでも自分のポリシーをつらぬき通す彼女の強さをとてもすてきだなと思った。
たしかに結婚は制度である。結婚はしたってしなくたって問題は中身だからパッケージにこだわる必要はない、と確かに思う。でもわたしは結婚した。理由はすごく簡単で、「みんなずっとそうしてきたから」。演劇と一緒で、長く続く慣習には人類の知恵がつまっていて、それなりの効果をあげてきたから、その制度をなくそうよという話にならないんだろうと思う。しかもわたしはお見合い結婚をしているのだが、一度しかしなかった「お見合い」もなかなかいいものだと思ったし、「結婚」もなかなかいいものだと思っている。それらの慣習制度につまった人類の知恵には、なるほどと感心させられることも多い。
結婚したいと思ったのは、まずは「生活者」であることを大切にしたかったからである。
家族を作ることで生きのびてきた人類の営みの列に自分も並びたかったし、その営みはとても愛おしいものに思えてならなかった。
独身時代はほんとうに仕事一筋で、持てる時間とエネルギーのほぼすべてを仕事に向けてきたけど、「生活」をなくしてしまうことはいつも恐れていたので、できるだけ家事もしたし植物を育てたりもした。
ものを作るときにも、「生活者」としての視点をなくしてはならないとずっと思ってきた。
これはもしかしたら師、太田省吾ゆずりなのかもしれないとふと思う。
すぐにこどもを産んだのは実は想定外で、かなり焦った。
そういう人類の営みに参加したいと思っていたので、結婚したらこどもを持つこともぼんやりとは考えたけど、リアリティは全くなかったし、なにしろ仕事で多忙をきわめていたので、そのうち考えましょう、とのんきにかまえていたのだが、ぜひともうちに来たかったこども、Kは待ちきれなかったようで、それじゃ遅いようー、となにもこんなタイミングでこなくても、、というタイミングでやってきた。Kは生まれた時からせっかちなタイプだから、おおかたそんなところだろう。
想定外妊娠で、仕事上の多くの関係者に迷惑をかけてしまうことになった。自分も苦しかったし、Kもおなかの中でずいぶん苦しい思いをしたと思う。あんまり幸せな妊娠期間じゃなかった。そんな状況もすでにKのからだのどこかに刻印されているのだろうかと思うとちょっと不憫に思え、人生の始まりの不可思議さを感じずにはいられない。
でもKはたぶんわたしの助けになりたくて、わたしのところへやってきたに違いなく、根拠もないのになぜかわたしはそう感じている。まだやっと一才半だけど、頼めばよくお手伝いをしてくれるし、わたしが喜んだりありがとうというと本当にうれしそうにするからやっぱりたぶんそうなんだろう。
きっとわたしがいなくなった後も、彼はわたしの代わりに、世界になにか働きかけていくだろう。
だから今は一生懸命彼に愛情をそそがなくてはと思う。そうすれば、きっと人を愛することができる人間になるだろう。日々のばたばたの中ではこれは本当にたいへんなことなんだけど。
アメリカの友人との間で、「資本主義のすりこみ」の話がでた。
主婦という人生には価値がない、社会的に認められることもなく、台所で包丁を持って、なんで「こんなこと」してなくちゃならないの?と思ってしまう、こういうのってそもそも資本主義のすりこみだよねと。
わたしは台所で包丁を持つととても幸せな気持ちになるので、「こんなこと」とは思わないが、育児で家にこもらなければならず、社会的な活動ができないことにはものすごいストレスを感じる。
出産前に「こどもができたら満たされちゃって作品を作りたいなんて思わなくなるんじゃないのか?」と言われたことがあり、まさかそんなことあるわけない、と思ったが、そういう女性も多いと聞いて、そんなものだろうかとも思ったけど、やっぱりそんなことはなかった。
こどもの頃からおさえつけられればられるほど、自由になりたい気持ちが強くなるたちで、こうして家にしばりつけられていると本当にやりたいことをやりたいという思いは強くなっていく。
今はそういう思いをためこんでいこうと思う。
しかし、実際自分が「主婦」を経験する前までは、専業主婦なんて楽なもんだなーと想像していたけど、そんなことは全くない。こどものいない主婦はいざしらず、こどもがいたら本当にたいへんだ。
わたしは仕事をそんなに楽にやってきたつもりは全くないけど、それにしても仕事してた方がどんなに楽かわからないくらい育児はたいへんだ。
「生きる」という行為や本能がむきだしのままだ。息つく暇なく、こどもは日々体当たりしてくる。
子育てに「傍観」という態度はありえない。こどもがそれを許さない。
こどもは大人を世界の当事者に引きずりおろす。感情むきだし。
自分でも感情で生きてると思う。よく笑うしよく泣くようになった。
こどもは大人にかっこつけさせてくれない。
素直になったかもしれない。
もっと素直でもいいのにな、と前々から自分のことをそう思っていたが、こどもがそうさせてくれてるのかもしれない。
育児で半休業中のこんな時間を、肯定的に積極的に見ようとするようになってきたのは、まだつい最近のことだ。
男の演出家は(演出家に限らないけど)、こどもを持っても仕事のキャリアを中断することなく日々積み重ねていくのに、なぜ女のわたしはキャリアを中断し、ブランクをつくらなければならないのか、本当に世の中は不公平にできている、と去年は一年嘆き続けていた。
稼いでもらわなければ困るというのに、夫が当たり前の顔で毎日仕事に出かけていくことすら疎ましく思えた。
でもどこか意識の奥の方で、なぜかこの世の不公平を肯定する気持ちもあった。
こどもが生まれたら女が家にこもりがちなのは、生物学上の理由で、男には授乳ができないからだろう。もちろんミルクで育てることもできるし、そうする家庭もあるけど、今では、免疫なんかの関係でミルクよりは母乳の方がいいのは明らかになっている。だからわたしもできるだけ母乳で育ててあげたいと思ったし、そのためには一日中こどもの側にいなければならないから仕事は当然できなくなる。
自然がそういうふうにできている、ということにはけっこう素直に従いたくなるので、悪かった母乳の出を一生懸命よくしようとがんばりもした。
その一方でなんでわたしだけこんなふうに家にこもりきりで育児しなきゃいけないのー、わたしにも仕事させてーとよく泣きわめいていた。
とても理不尽なことを言っていると自分でわかっているけど、どっちも本当の気持ちだから、折り合いがつけられず、この矛盾を抱えたまま、時々愚痴愚痴文句を言ったりして今も日々過ごしている。
そして「生活者」であることを大事としながら、生活者としては「新米ママ」ということになった自分がどうふるまってよいやら見当もつかず、自治体が主催するママと赤ちゃんのイベントなんかに行ってみると、新米ママたちががっちりグループを組んでママ友作りにはげんでいて、その姿は「KY」や「キャラ分け」に苦しみつつもはげんでしまう高校生たちと重なった。妊娠中のママ教室で一緒だった知人はわたしを見つけると笑顔で近寄ってきたが、遠くに「ママ友」の姿を見つけると、「わたしいつもあの人と一緒にいるからごめんね!」と去っていった。すごく孤独だったけど、それでもわたしはここにはいられない、と心から思った。たった一度行ったきり、それ以来その手のイベントには行っていない。
最近知り合ったマンションの上の階に住む台湾人のママPさんも、同じことを言っていた。
日本人のつきあいは難しい。。。
北九州の「出産育児を表現にいかす勉強会」と来年の「子育てワークショップ」の用意も始めなければ。