阿部初美のブログ

演劇の演出家です。

2011年12月

引っ越します

今月26日に引っ越すというのに、こどもがいる時は作業が全くできないこともあって、荷造りがなかなか進まない。昨日は本当にありがたいことに仕事の仲間だった制作のSちゃんとノムさんが手伝いに来てくれた。
Sちゃんは、ずっと作品を一緒に作ってきた人で、なぜか一緒のタイミングで結婚が決まり、新居探しをし、そして信じられないことに一週間違いで妊娠し、ちょうど一週間違いでSちゃんは女の子を、わたしは男の子を無事に産んだ。一緒に仕事してきたとはいえ、そこまで一緒じゃなくても〜、、、と冗談みたいな話で本人たちもびっくりだった。
今回はSちゃんの子Mちゃんも一緒にお泊まりに来てくれた。前の晩はSちゃんのお母さんやノムさんも来てくれて、本当にひさしぶりにみんなでにぎやかに過ごした。仕事をしていた頃は時々こんなふうにうちに集まってご飯を一緒に食べたりやっていたが、産後は初めてのことだ。今はちっちゃいのが二人チョロチョロして、それがなんとも和やかな風景で、こんなふうににぎやかなところでこどもを育てられたらどんなにいいだろうと思った。しかし子育て中の家には、以前の友だちも誰もほとんど人は来てくれず、それは社会から排除されたような、本当に孤独な日々なのだ。大人だって同じ人とずっとこもりきりで一緒にいたらおかしくなるだろうと想像つくように、母親だって大人の刺激が全く得られないところでずっとこどもといることはできないし、こどもを産んだからといってこどもと一緒にいるのが楽しくて仕方ないというふうにはならない。こどもだって母親以外の人と触れることで、社会性をみにつけ、違う価値観と出会い、解放されていく。二人きりの関係は煮詰まりやすい。
「ママ友」という言葉もあるが、こどもを産んだという共通の体験だけで親しい友だちとしてつきあうなんてほとんど不可能だ。という困難な状況に多くの母親はさらされている。
Sちゃんは、「社会復帰」という言葉は、子育て中の母親は社会に含まれていない、つまり社会に存在を認められていない存在だということをしめしていると言っていたが、本当にその通りだと思う。こんな社会をわたしたちは本当にのぞんでいるのだろうか?
Sちゃんとは産後数回あったがそんなにゆっくり話もできずだったが、今回はこどもたちが寝静まった後、夜更かししてずいぶんいろんな話をした。同じ世界で仕事をし、同じタイミングで仕事を休んだSちゃんとは、感じていることにやっぱりたくさん共通点があった。

わたしがワークショップの仕事で少しずつまた自分の活動を始めたように、行動力のあるSちゃんもまた自分の活動を始めていた。なにができるかわからないけど、これから今感じている違和感を少しでも解消できるような活動がまた一緒にできたらいいと思う。
Sちゃんちと近所だったらどんなにいいだろうと思うが、Sちゃんちは神奈川で、うちは今度は埼玉なので、まだまだ離れたままだ。

ということで、この夜はまた北九州の勉強会の続きのような夜になり、勉強会のフィードバックがまだできていないので早くやりたいのだが、引っ越しの準備が終わらなそうなので、荷造りのめどがついたところか、引っ越したあとでまとめたいと思う。


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今回のワークショップの結果

今回のワークショップがどうだったのか、今後のためにもしっかりふりかえっておこうと思う。

■目的

こどもたちに自己や他者、世界への気づきの体験を目的としていた。知らなかった面を見たり、こうだと思っていたら意外と違うところもあった、とか、わかっていたと思っていたことがわからなくなったり、疑問が生まれたり、そんな体験をしてほしいと思っていた。
これは普段作品製作の現場でも、作品が観客にとってそういうものであってほしいと思っているのだが、それを称して「思考の場としての演劇」という文章を書いたことがある。今回の目的ももっと単純に「立ち止まって考えたり感じたりしてみること」としてしまってもよかったのかもしれない。
そしてその思いを表現すること。
こどもたちに気づきの体験がどの程度あったのかを知るのは後のアンケートはあるが難しいし、その気づきはずっと未来にやってくるものもあるだろう。
立ちどまって考えたり感じたりすることができたか否かは、こどもたちのその場の反応でわかる。
今回は急ぎ足で作業に追われたことによって、こどもたち自身が気づきを気づきとして認識する時間、自己や他者の変化を認識する時間、立ち止まって感じてみる時間が足りなかったが、特定のグループや一部のこどもたちには問題に対する態度にはっきりと変化が見られ、わたし自身はそれなりの手応えを感じることができた。

■方法

人形劇というスタイル:
嫌がる子も若干いたけど、とりあえず全員参加できた。自分自身が演じるよりはやりやすかったと思う。声を自分の普段の声ではなく作り声にしてねと言ったけど、これがけっこう難しく、できた子は半数くらいだろうか。意外な結果だった。恥ずかしいからだろうか?そうかもしれない。自分が小6の頃のことを思い出すと、やっぱり恥ずかしがりだったから、作り声をやれと言われても確かに難しかったかもしれない。でもなにかのきっかけさえあればできそうな気もする。もっと軽い気持ちになってほしいのだ。これは今後の課題。「人形にあわせて声を変える」を強調したらやりやすいだろうか。

人形:
劇場スタッフが人数分集めてくださったおかげで予算をかけずにできて助かった。
手を入れて操作できるタイプの人形はやっぱり使いやすく、とくにカメなんか表現も面白かったけど、全部手を入れるタイプになってしまってもアバウトさがなくなって面白くないので、大小ごちゃまぜでよかったと思う。

小道具:
出発直前になって、こどもたちが小道具を使いたいと言い出したらどうしよう、と急に思いたって、学芸スタッフに紙とクレヨンなどを急遽用意してもらったのだが、学芸スタッフのNさんの「こどもたちがそっちに集中してしまうとやることがずれてしまうので、ない方がいい」というお言葉どうり、なくてなにも問題はなかったし、ない方がよかった。そのおかげでこどもたちは想像力で「見立て」をしながらより演劇的に表現を作っていった。

人数とグループ数:
5、6人グループ×5グループ。1グループの人数はこれが限界。グループは使える時間に対してちょっと多かったので、ほとんど関わってあげられないグループができてしまったのが申し訳なかった。今回のような時間と人数の場合、1グループの人数を増やしてグループ数を減らすことは難しいので、これはどう解消したらいいだろうか。単純に時間を増やせれば解消はできるだろうが、その他の方法はないだろうか。今後の課題。

日数:
1回目、学校との事前打ち合わせとこどもたちの授業見学(英語1コマ)ー7月
2回目、こどもたちとの事前対面質疑応答(1コマ)ー9月
3回目、ワークショップ一日目(4コマ)
4回目、ワークショップ二日目(4コマ)
以上のように、今回はトータルで4回(4日間)、9コマを使わせてもらった。
今回のプログラムはやはりワークショップだけで最低でも二日は必要だった。
しかしこの内容ができたのは、事前にこどもたちと会ったり、アンケートに答えてもらったり、学習発表会のビデオ映像を送ってもらって家で見たりして、ワークショップの前に、こどもたち26人の一人一人を知る努力をかなりして、一人一人をどこでどう生かせるかを考えていたからだ。
おかげで今回はひさしぶりにこどもたち一人一人の顔が見えるワークショップができたし、それはちゃんとみんなに伝わっていたと思う。自分のことも見ててくれてると思うとこどもたちはけっこうそれに応えてくれるし、それで内容の質はぐっとあがる。今回は事前調査まで含めてそれがぎりぎりできる最低限の日数だったと思う。
しかしせっかく作りかけたこどもたちの人形劇を、保護者や下級生たちに見せられるくらいにするには、最低でもあと2日くらいはいるだろうと思う。

スケジュール:
タイムスケジュールと最低限の進行表はあらかじめ作っておいたので、それに従ってだいたい滞りなく進行できた。
今回は1日目を練習、2日目を本番みたいに使った。
1日目にやりたいことをやってもらって、こどもたちのやる気やアイデアを引き出したり、一人一人を把握する時間として使い、2日目は1日目に出てきたものを生かしつつこちらからのコメントをふまえて作り直してもらったが、自分自身はこれはいつものパターンなのでやりやすかった。まずそれぞれ素材をよく見た上でどこをどう生かしたらいいか考え、それをふまえて一緒に作るという方法で、これは作品製作の時もワークショップの時も変わらない。これが一番やりやすい。なので、これができない一日だけのこどものワークショップはけっこうきつい。対象が高校生以上大人の場合は話が通じるので一日だけというのもアリなのだが、小中学生、とくに小学生は厳しい。
時間はよく押してしまうのでいつも注意が必要。今回は講評の時間が足りなかったのに、アシスタントのお二人にもコメントしてもらってしまったが、まず自分一人で言って、補足があったら足してもらうようにしたら時間がオーバーせずにすんだだろう。

場所:
視聴覚室。普通の教室ほどの大きさ。体を動かしたりということではなかったので、十分だった。
教室のように個人のモノが置いていなかったので、作業はしやすかったかもしれない。

それぞれのテーマと目的:

1工場の街にすむ子の物語
「自分の足下からの出発。自分の街を架空の街に置き換えることで客観的に見てみる。」を目的にしていた。一日目に彼らが作ったのは、ファンタジー要素の強い単純なストーリーで、自分たちの街との共通点は「空気が汚い」こと以外なかった。二日目にはもっと自分たちの街に近い話として、具体的に考えてもらったらよくなったが、時間が足りず目的を共有してもらうところまでは行けなかった。しっかり最後まで作れたら、他のグループの物語とつなげて、自分の住む町を違う角度から見てみるという体験ができるのではないだろうか。今回このグループの子たちが体験したことは、街のことを考えたというよりも、「一日目にできなかったことが、二日目にうまくできた」ということの方が大きかったかもしれない。それでも嫌だと思っていた工場の街を、一面的ではなく、いいところ悪いところ両方考えた、ということは記憶に残ってくれるかもしれない。

2怖いものがない子の物語
「<怖いものがない>とはどういうことなのか、本当に<ない>のか考えてみる。」が目的だったが、これは一日目の終わりに「こわいものはあるよ〜」というこどもたちの告白で、なんだやっぱりあるんじゃんうそつきー、ということであっさりと裏切られたテーマ。なら「こわいものはない、と言いたがる子の物語」に変更すればよかったと今思いつくが、じゃその目的はなに?と考えると今回はそうしてみてもそれほど有意義なテーマにはならなかっただろう。こどもたちは簡単にウソもつくし、考えはころころ変わる、ということを念頭において今後に備えましょう。
でもここのチームはみんなで協力して表現を作る、ということをとても楽しんでいたし、よくできていたと思う。
しかし本当に怖いものについて考える、というのは難しいことだとつくづく思った。

3いじめにあったらどうしようと思っている子の物語
「未知の世界の扉の前に立つ時に生じる不安や怖れと向き合ってみる。」
この目的は最低限は達成できたと思う。もっと掘り下げて考えてもよかった。実際のいじめがないこのクラスだからできることだった。

4冒険旅行をした子の物語
「大きなスケールのファンタジーを通して、未知の世界の困難や楽しさを表現してみる。」という目的の遂行は、こちらの意図していたこととしては難しかったと思う。やっぱりもう少し自分たちに近づけて考えてほしかったし、このグループの発表をみて、ほかのこどもたちが困難があっても冒険楽しそうだなと思ってくれるような作品を生みたかった。でも時間の関係でこのグループにはわたし自身はほとんど関われなかったので残念。

5一人暮らしをした子の物語
「現実にいつかおとずれる「ひとり立ち」を、「一人暮らし」のテーマを通して想像してみる。」
これもある程度うまくいったケース。いじめのテーマ同様に自分事になりやすかったし、表現も具体的で面白かった。

総合的にみてみると、こどもたちにとっては自分たちの関心事や普段の生活から離れたテーマほど、自分事にしたり、具体的にするのが難しかったことがわかる。うまくいった「いじめ」と「一人暮らし」のテーマはこどもたちの中で強い感情をかきたてるテーマだし、いじめは経験もあるだろうから、「自分事・具体的」になりやすかったのだろう。それにこの二つはほとんど負の方向だからよけいだ。ここで自分の中にある漠然とした不安や怖れと向き合い、問題を客観的にみてみたり、角度をかえて考えてみることで、必要以上におびえることはないということに気づいたり、問題に対処していこうとする積極性が生まれたり、という変化が起きる。
たとえば今回、すべてのグループが「いじめ」のテーマで作品を作ったらどうだっただろうか。それもありだったと思うが、このこどもたちの場合、それは現在ではなく過去か未来の出来事になるからそのまま扱えば地域のテーマからは遠ざかるもはずれないか、と思う。

こどもたちへの接し方:
ひさしぶりに勘がもどった。妊娠出産でホルモンバランスが崩れたせいか、「自分」がどんな人間であるかという自己イメージまで壊れる体験をして以来、ワークショップでこどもたちにどんなふうに接していたか忘れてしまっていた。なんだかどう接したらよいやら困っていたが、今回ワークショップの少し前に勘がもどってきて、これだ、と思い出したことがあった。なぜかわからないが、少し前に授乳をやめたので、またホルモンバランスが崩れて妊娠前に体が戻ったからだろうか?
こどもたちの一人一人の存在を肯定するように、ほんとにストレートに接していただけだったのだけれどこれがなかなか思い出せなかった。こどもは大人よりももっともっとストレートにいく必要があるのだった。
これを忘れてこどもたちに接して、叱ろうものなら一瞬にして関係も雰囲気も崩れてしまう。
アシスタントのノムさんにも、こどもたちをできるだけ叱らないようにお願いしていたが、今回は「厳しいプロから指導を受けるということだから厳しく、叱ってもらってもOK」という校長先生の許可がおりた。叱ることについては今回のように事前に先生方との役割分担と合意をとっておくとスムーズだと思った。


■終了後のアンケート(記名)とインタビューの結果

見えてきたのはけっこう意外な効果だった。

楽しかったかどうか、また参加したいかどうかという質問には、ありがたいことに全員が「楽しかった」「また参加したい」に○をつけてくれた。これは終わったあとのこどもたちの表情が充実していたことから、ウソではないだろうと思う。

参加してどう感じたかという質問(複数回答)に、「みんなで一緒に何かを作ったり、協力することが楽しかった」という答えが17、「阿部初美さんと一緒に劇を作ったり、活動したりして楽しかった」が10(一緒にできた子がかぎられてしまい申し訳ないです)、「自分の気持ちを動きや言葉で伝えることができた」が7、「今までは知らなかった友だちのよいところを発見できた」が5、という結果だった。
みんなでの作業が楽しかった、という答えが圧倒的に多かったし、youtubeにアップされたインタビューでも三人のこどもたちが同じことを言っていて、これは前のブログにも書いたように、ふだんはこういうふうに、対面で話しながらアイデアを出しながらみんなで共同作業をする、ということが普段あまりないかららしい。インタビューされたFくんがそう話していた。この年頃の多くの男の子たちのように、同じ空間にいてもゲーム機を一人一つ手にしてほとんど会話もなく、という遊びが主流であれば、本当にこんな共同作業をする機会はめったにないだろう。
そういえば担任のN先生も、「このこたちはマイペースで、共同作業は苦手です」とおっしゃっていた。
演劇の「共同作業」はコミュニケーション能力を培うのにもとても適したツールかもしれない。
わたし自身も演出なんて仕事を選んでおきながら、人前で話すのがとても苦手なタイプだった。どういう内容を、誰に、どう伝えたらわかってもらえるか、ということは、演出の仕事を続けるうちに本当によく学ばせられた。おかげで今では3時間であっても4時間であってもまだまだ足りない、というくらいお話するようになってしまったのだが。。。
質問事項に、「考えること」や「発見」に関する質問も入っていたらよかったねと、あとでアンケートを作成した学芸Mさんと話しあった。

次の質問はヒットだった。「この授業を何度か受けるとどんな風に自分が変わると思うか?」という質問(複数回答)だ。もっとも多く、とても驚いたのは、「自分のすることや言うことに自信が持てるようになる」という答えで、これが16人。「今までより自分の気持ちを友だちや家族にわかりやすく伝えられるようになる」が、ついで13、「自分や友だちのいいところや知らなかったところを発見できるようになる」が7、「授業中に発表するのがはずかしくなくなる」も同じく7、という結果だった。
一番トップにきたのは、こちらがあまり意識して目的に組み込んでいないことだったので驚いた。
しかしこれは実はわたし自身が現場でモットーとしていることで、それはそこにいる誰もが気兼ねなく話せるような雰囲気を作ることなのだが、そのためにどの人どの子の言うことも尊重して聞くことを心がけている。だからわたしの現場ではたしかにみんな言いたいことを言うようになる。これが伝わったんだろうかと思う。しかし意図ではなかったとしても、そうなってくれたらそれは本当に嬉しい。今後はここにも「考えることが楽しくなる」とかの答えも入れておいてほしい。
この質問のヒットたるゆえんは、演劇ワークショップを普及させるにあたって、体験したこどもたちの言葉で、その予想効果を語ってもらっていることにある。こどもたち自身がそういうならと、こどものためを思う大人を考えさせてくれるだろう。今までなぜこういう質問がなかったのだろうかと不思議に思う。

放課後のフィードバックでは口数の少なかったN先生も、終了後のインタビューでは「もっとやってもよかった」と、もう少し長期のワークショップを希望してくださっていたという話を聞いた。今回のワークショップについて、よくご理解くださり、こどもたちのためになると判断してくださったんだなと思う。

■学芸スタッフとの作業

今回はとても合理的、スムーズに仕事ができた。自分一人では迷うことも、学芸のNさんMさんから助言をいただき、うまく進められたことも多々あってありがたかった。なにしろやりやすかったのは、みんな私的な感情に惑わされることなく、どうしたら目的をうまく遂行できるか、それだけを考えて動いていたことだ。
これは本当は当たり前のことだけれど、もっと力関係とか、私的な欲とか、いろんなものに惑わされて目がくもり、言いたい事が言えなくなったり、言いたい事と違うことを言ってしまったり、本来の目的に向かって合理的に動けなくなってしまうこともたくさんあるのだ。
なのでこういうふうにストレートに仕事ができることは珍しく、本当に気持ちがよかった。
Mさんは人の都合も考えずじゃんじゃん連絡してきてくれて、目的のためならどんなにだって動く、という気合いが伝わってくる。それで抜けもカバーできるし、催促されることでなんとか時間をとってこちらも進めようと努力できたので本当に助かった。連絡を遠慮されるのはとてもさみしい。
Nさんの肝の大きさには驚かされることもあった。今回は初めてのプログラムということもあり、自分自身、かなり用意をしてきたが、それに理解をしめしてくださると、ワークショップ前日の打ち合わせでは、「ここまでやったんだから、結果の分析さえしっかりできれば、あとは失敗してもなにしてもいいですよ」と、ぽん、と言えてしまうような度量の深さである。この言葉にはどれほど救われたかわからない。今は「失敗はゆるされない」ような風潮や雰囲気が広がっているが、人は失敗から学ぶのである。そのことを忘れていない、希有な人なのだ。さらにワークショップ終了後の食事の最中だったか、こちらがやれることを最大限やって、それでも結果がでないと学校側が言うとしたら「それがおたくのお子さんたちの実力ですよ、ってことですよ」と、ぽんと言い切るような厳しさ。Nさんは、地元で一つの学校で7年間、アウトチーチ事業を継続し、ひとつの文化活動を作った人で、その厳しくあたたかく筋の通った言葉は、こういう経験からでてくるのかもしれない。
今回のプログラムは、Mさんからの「新しい内要、地域に関すること」というオーダーとNさんの「信じてますから」という信頼を受けて開発したものだったが、今までで一番自分らしいワークショップができたのではないかと思う。これは感謝である。「新しい内要」は時に失敗のリスクをともなうが、それでもこういうチャレンジングなオーダーをしてくれる人がいると、それがいろんな変化を起こすきっかけになるので、本来必要なものなのだし、Mさんのような若手が失敗を恐れずにチャレンジして成功したり失敗して学んだりして活躍することで、劇場もどんどんいい変化を起こすことができるだろう。それにNさんのようなベテランとの共同作業やサポートがあるのはすばらしい。

今回に関してはだいたいこんなところだろうか。

残った今後の課題については引き続き考えていきたいと思う。
北九州三日目の劇場での「勉強会」についても、来年都内の劇場で行う「子育てを考える」ワークショップにつながっていくので、時間を見つけてしっかり振り返っておきたい。






ワークショップ(小学生) in 北九州2続

■6時間目

5時間目の発表に対する感想と意見交換、講評の時間であるが、発表がおしてしまったため、あまり時間がない。感想意見交換は少しすっとばし気味で講評をメインにする。

1工場グループはとにかくちゃんと発表ができたことがよかった。いいところ悪いところ両方入って具体的になったし、演技も緊張感があってとてもよかった。この緊張感はとても大切で、それは相手を尊重する気持ちにつながってるんだよと伝える。

2怖いものなしグループはたしかに表現も工夫しててうまいし、本当に怖いもの「津波」がひとつ入ったけど、どうだった?とみんなに問う。まっとうに答えてくれそうなSくんを指名するとSくんは「あんなお母さんでも死んじゃったら悲しい」と答えた。予想的中、「わたしの言いたい事は今Sくんが言ってくれたよ」。本当に怖いものを入れたけど、このグループはそれまで笑いの表現にしちゃったよね。一瞬でもいいから、本当に怖いことを笑いにしないでしっかり感じてみる時間がほしかったな。と言うと、こどもたちはしんとなって、ちゃんとこの言葉は届いたようだった。しかしそれを想像するのはとても怖いことでもあるし、本当に想像できるかどうかわからないことでもある。この課題やこの講評は、彼らだからできたことで、もっと怖がりな子たちのいる学校、クラスでは難しい。

3いじめグループは、話し合いはとてもよかったけど、物語を作って表現を考えて練習する時間がぜんぜん足りなかった。でも話し合いはとてもよかった。初めはやっぱり「いじめ」というテーマで、不安そうな顔をしていたこどもたちは、いじめる側はなぜいじめるのか、と考えを進めるうちにみんなだんだんおびえが消えてとても冷静な表情になっていったのがとても印象的だった。こういう変化を見るのはとても嬉しい。しかし彼らは二日間というあまりに短い時間を目の前の作業に夢中で過ごしているので、自分自身でこの変化に気づくことができない。このワークショップが終わってしばしのち、いつか気づくことがあるのかもしれないが、本人たちにも先生たちにも気づいてもらえないのはあまりにもったいないと思い、このことを講評で指摘しておいた。自分でちょっと強引だなと思った。本当は言いたくなかった。長期ワークショップだと、わざわざこんなことをわたしが言わなくても、先生たちにもこどもたちの変化は手にとるようにわかるし、こどもたちも自分自身の変化を暗黙のうちに受け入れており合いをつけていく。そうすると演劇ワークショップの意義は〜、なんて説明しなくてもすむようになるのだ。
しかしこの「いじめ」のテーマができたのも、このクラスこのこどもたちの間に本物のいじめがなかったからだ。本物のいじめが存在するようなクラスでは、ダイレクトにいじめをテーマにすることは難しいケースがほとんどだろう。その場合はもっと遠まわりでそっと近づいていかなければならない。

4冒険旅行グループは、表現は工夫が見られて面白かったけど、なんでこういうお話にしたのかわからなかったことを伝えた。ここはけっこうお勉強できる子が多いチームなので、それでわかってくれたみたいだったけど、もう少し手伝ってあげたかった。

5一人暮らしグループは、上演時間は長かったけど、表現も具体的になったし、それぞれの子たちの人生が見えて本当に面白かったこと、いじめグループの子たち同様、「一人暮らし」のテーマにとても不安そうな顔をして作業を始めたMさんも、だんだん楽しんできるようになって、発表でもとてもユニークな表現ができてよかったことを伝えた。みんなも満足そうな顔をしていた。

終了時間がずいぶんオーバーしてしまって、長時間の集中を強いられていたこどもたちはやっぱり少しお疲れのようだったけど、本当にみんな最後までよくがんばってくれたと思う。うまく表現できた子たちも、時間が足りなかった子たちもみんなそれなりに満足そうな顔をしていた。その証拠に、劇場からの事後アンケートでは全員が「楽しかった」に○、「また参加してみたい」に○をつけてくれていた。
とりあえず今回はそれぞれなにかを体験してもらえたかな、と思う。

劇場スタッフがクラスから3人のこどもたちにインタビューをしていた。その様子はYoutubeにアップされているが、限定公開のようなので、公表できないのが残念だが、みんなくちぐちに、「みんなで考えながら表現を作っていくのが楽しかった」と言っている。なるほどと思う。遊ぶ時も同じ空間にいても一人一個ゲームを持ってバラバラに遊ぶことが多い中、たしかにこんなふうに対面で話し合いながら、ぶつかったり協調したり折り合いをつけたりしながら、生のコミュニケーションで共同作業をする時間は少ないのかもしれない。

■放課後、フィードバック

今日は校長先生がお留守なので、教頭先生が一日ところどころ抜けながらもおつきあいくださったので、まず教頭先生からお話をうかがう。この教頭先生も何度かお会いしているが、とても笑顔のさわやかな裏表のないような明るい先生で、こんな先生方のいるこの学校はうらやましいなと思う。
夏の事前調査の一コマでは、わたしの質問にがちゃがちゃ騒がしかったこどもたちをどなりつけて喝を入れてくださった教頭先生もこの日はまったく怒鳴ることなく穏やかにこどもたちを見守っていた。
「こどもたちはちゃんと作業の中に入ってやってたと思います」と、教頭先生もこどもたちのがんばりを認めた。そしてつづけた。
学校では発表会と言えばプロセスよりも結果重視にならざるを得ないところがあり、M(一人暮らしグループで活躍した女の子)なんかは、普通だったら「声が小さい(からしっかり出せ)!」ということになるんだけど、今日はとても彼女らしい表現ができていたと思う。最近は「ものを考える」ことがカッコ悪い、という風潮があって、照れ隠しでふざけたり笑いに走ったりしてしまう。当たり前のことを当たり前に言うのが難しくなっている。
という貴重な先生の思いを聞かせてくださった。こんなふうに日頃本当に感じている難しさを話してくれる先生も少ない。

先生方との話では、自分とこの学校はこんな取り組みもあんな取り組みもやっています、という学校自慢になってしまうこともよくあるのだ。演劇ワークショップの意義を説明しても、それならうちだってこういうことをやってます、となってしまい、これは「本来うちでは演劇ワークショップなど必要ないのにやってあげてるんですよ」と言われているのと同じだし、それで一日限りのワークショップだったりするとなんのためにやったの?的な感じで、やっぱりこれは必要なし、となり、本来の演劇の力は発揮されず、それで助かったかもしれないこどもも助からなくなる。
今回のようないい学校、いい先生ほど、本音で話をしてくれるし、目的を許容、共有してくれるのだ。

遅れてN先生がやってくる。N先生は口数が少ないながらも、劇場スタッフのどうでした?という問いかけに、「K(いじめグループの女の子)なんかは本当に自分の思いを表現にできたんじゃないかな」とぽそっと言った。
そのうち校長先生がお戻りになり、こちらにすぐに来てくださった。この女性の校長はなかなかの人物で、学校をよくするためならなんだってやる、とても行動力のある方で、今回の二日間ではあるがこの贅沢な企画を受け入れてくださったのであるが、校長先生にはわたしのワークショップについて、どれだけご理解いただけたのだろうかと心に残る。本当に自分の文脈で理解した、という時先生方は、目を輝かせながら「演劇ワークショップって、こういうことなんですね?」と、自分の言葉で確認されに来ることが多いのだが、校長先生は最後までなにかを探っているようだった。なにかもっと、校長先生にヒットするような要素や言葉が見つかればよかったのに、と思う。
それにしてもいい学校だった。先生方とも別れがたいような気持ちになった。あの子たちの今後の成長の様子もまた知りたいと思った。

そしてこの夜は、山口YCAMでの高校演劇ワークショップで育ってくれた元高校生たちと顧問の先生が、山口からわざわざ関門海峡を越えてわたしにその成長した姿を見せに来てくれたのだった。こういう再会は本当に嬉しい。

今回のワークショップの結果は、またこのブログで分析していきたい。








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