阿部初美のブログ

演劇の演出家です。

2012年03月

出産育児体験を表現/北九州

北九州で「出産育児体験を表現に生かす」勉強会をしたのは、小学校でのワークショップを終えた翌日、劇場内の稽古場のような場所で、約3時間程度のものだった。

そもそも劇場内スタッフも含め小規模にやろうということで、参加者はみんなで17名。
その中には、山口で高校演劇ワークショップをしていた時の参加者たち、顧問の先生と、今はもう大学生や社会人になったなつかしい顔ぶれもある。今回は関門海峡を渡って北九州まで会いに来てくれていた。
テーマが理由か、集まったのは2名をのぞいて全員女性。
貴重な男性2名のうちひとりはその山口の演劇部の顧問の先生、もう一人は妊娠前の活動をよく手伝ってくれていたドラマトゥルク志望のYくん。Yくんもわざわざ東京からの参加。そのYくんがこの日の流れをメモしておいてくれたおかげで、こうして時間がたってしまった今も、そのメモをもとにいろいろ思い出すことができる。感謝感謝。

3時間のうち1時間ちょっとは、学芸のNさんの希望で、演劇史におけるわたしの活動の紹介に使った。
わたしの活動はブレヒトの系譜なのだが、これをアリストテレスから始まった近代までの演劇の歴史の流れと続けて説明すると、演劇をほとんど知らない人にもよくわかってもらえる。なぜならやっぱり演劇は人間の存在や生活そのものだからだろう。この説明の仕方はそれこそ山口で高校演劇の指導を担当するうち高校生にもわかりやすい説明として考えだしたものだが、これがけっこう受けて、あちこちでこの話を頼まれるようになった。

それが終わってやっと本題に入るのだが、ここでは参加者全員に「この勉強会に参加した理由」と「出産育児」に対するイメージを話してもらうことにしていた。小規模な企画とはいえ、時間のわりに人数が多いからできるだけ簡潔にお願いしますと言ってもなかなかそうはいかない。
集まった女性もとくに子どもがいる人ばかりではなく、むしろ未婚や既婚でもこどもはいない人の方が多いくらいだ。

ここででた話をYくんのメモをもとに少しまとめてみる。

           

俳優(女性・独身):姉の子育てをみていると本当にたいへんで、自分が出産して演劇を続ける場合、演劇は作品を作るのに膨大な時間がかかるから、その両立が難しいのではないかと思っている。

高校教師(男性・既婚、中2の娘):今日は母親が娘の試験勉強につきあい、自分だけがここに出席しているという状況も育児分担の不平等問題を含んでいる。日頃も学校の仕事で日付ぎりぎりまで仕事していたりする。出産だけはかわってあげられない。妻は血のにじむような食事制限をして高齢出産を乗り切った。

会社員(女性・独身):妹は3人の子持ちだが、母親の協力で2年前からパートにでている。子育ては生き甲斐になるのでは。

看護師(女性・既婚):「イクメン」や「ワークライフバランス」という言葉が流行っているように、日本はこれから父親も一緒に育てていく方向では。こどもはいないがそれがすっぽり抜けた人生はどうなるだろうか。

学芸(女性・独身):もし障害のあるこどもが生まれたらどうしたらいいのかと思う。

大学生(女性・独身):夢はお母さんになることなので、幸せなイメージしかなかったが、みなさんの話を聞いているといろいろ問題があるんだなと思う。

主婦(女性・既婚、小1と3歳の双子):夫婦二人だけなのでサポートは夫のみ。育児は困難。イメージがないまま産んだので、補助制度はあるのかもしれないが実際には使えなかった。母親世代からは「わたしたちはそんな補助制度がない時に産み育てたんだ」と責められることも。公的な場所でも子連れに対する風当たりは強い。本当に「ベランダから」と考えたこともあった。虐待も他人事ではない。困難な時こそ芸術の必要性を感じ、育児で苦労する母親たちを芸術で癒したいと思ったが難しかった。

保育師(女性・独身):協力者がいなくてつらいと感じることもあるかもしれないが、自分が成長できるというイメージも。社会とのつながりが保育園とか限られたところしかない。まわりの理解が低い。

大学生(女性・独身):何かを得たいと思って今回の劇場の企画全部に応募した。

学芸(女性・独身):日本はまだ子育てしずらい環境。待機児童も多く、女性の社会復帰が難しい。子連れの外出が難しい。道路や公共の乗り物のインフラが足りていない。もっと子育てしやすい環境がいい。

学芸(女性・独身):小さいこどもを持つ母親が、ダンスワークショップに参加して「久々に自分のために楽しめる時間だった」と言っていた。
てんかんで投薬すると出産できなくなる?

俳優(女性・既婚、2歳):こどもをあずけて仕事をすることで、自分の心にも余裕ができ、絆が深まり、成長が感じられるようになったが、あずける時こどもが泣くとこのままでいいのかという悩みも。子どもの成長は楽しいし、自分を知ることもでき、人との向き合い方も勉強になった。

学校勤務(女性・既婚):子どもはいないが、理由は経済的なこと。まだ自分も勉強したいし。
自分のしたいことはやったりやめたりできるが、育児は止めることが出来ないので、おもしろそう、支えになるだろうとは思っても、そんな責任をおったことがないので怖い。

学芸(女性・独身、3人):自宅に産婆さんが来て産んだ。今は清潔国家で守られすぎていて、子どもを抱いて初乳を飲ませて、という感覚からかけ離れている。
五島列島に住んだ時、近所の老夫婦が午後4時になると子どもをさらっていって面倒をみてくれた。その時の経験が支えになっていて、こういう集団的育児への取り組みを広めたいと思っている。

大学生(女性・独身):適齢期の女性の話を聞いていると、仕事や経済面での問題から出産育児に対してマイナスのイメージが強くなりすぎている。

学芸(女性・独身):男に負けたくないと思って仕事をしてきたが、ふと出産育児に対する不安が自分のなかにあることに気づき、みんなで話してみたいと思った。

            

「生き甲斐」や「成長」「社会や男性の意識変化」というプラスの面も少しはでてきたものの、具体的な話ははしょったが、「男女の育児分担の不平等」「女性の社会復帰や仕事との両立の難しさ」「女性の出産における肉体的負荷」「子育て環境の悪さ」「子育ての困難さ」など、あっとう的にマイナスイメージや問題について話される時間の方が多かった。

ここででてきた話は、わたし自身もとてもリアルに感じていることばかりだ。

この勉強会では参加者はほとんど女性だったが、今年のワークショップではぜひ男性たちにも参加してもらいたいと思っている。やっぱり男性たちにもう少し理解と変化をお願いしなければ、女性たちの苦しみはなかなか取り除くことができないと思う。日本ではまだ「社会」とは=「男性に有利なルールで動く世界」のことだと強く感じる。
たとえば、いろいろ問題はあるけど一つの例として、女性が育休や産休を取らざるを得ないのに対して、男性はそうなっていないということがある。建前上、男性も育休を「取っていい」ことにはなっているが、「取らざるを得ない」ものではない。
でも男女ともに「育休」を義務づけたとしたら、雇用の機会のみならずプロセスもそれでやっと平等になる。そうしたらキャリアアップをめざす人は男女ともにこどもを持たなくなるだろうか?
それから世代間の問題もある。

ワークショップではもちろん(男性)社会の構造や世代間の問題の他にも、歴史的な視点とか、子どもの存在そのものとか、既婚未婚、子あり子なしにかかわらず、参加してくださる方々のリアルな経験や思いをもとに、いろんな角度から一緒に「子育て」について考えながら、表現を探り、作っていきたいと思う。
そしてそれによって地域に新しいつながりや活動をつくっていけたらいいなと思う。



引っ越しました

友人知人と実家の手を借りてやっとこさっとこ昨年末ぎりぎりに引っ越しが終わった。
こどもがいると全く作業ができないので、Kは一週間実家であずかってもらった。

結婚で新居に引っ越す時にだいぶたくさんのモノを処分して、夫にも処分してもらったから、余計なモノはほとんどなかったけど、それでもやっぱり人の手を借りなければ予定日の引っ越しには間に合わなかったと思う。
お忙しいなかお手伝いいただいたみなさま、本当にどうもありがとうございました。

新天地は埼玉県さいたま市浦和区。
しかし引っ越してからのまる二ヶ月はまたひさびさにしんどい日々だった。
環境の変化についていけなかったのか、ほどなくKが高熱をだした。いつもなら二日もあれば熱は下がるのに、小児科でもらった薬を飲ませてもしつこい熱はなかなかとれず、完治まで一週間かかった。やっと熱が下がったと思ったら、今度はなんと赤ちゃん返りが始まる。一日中抱っこ抱っこと泣きながらわたしを追い回すので、家事すらできなくなり、困り果てて、慣れ親しんだ実家でまた少し過ごさせることになった。実家で数日過ごしたKはなんとか自分を取り戻せたようで、やっと元気になったものの、帰るとまたすぐに熱をだしてしまった。二度目の熱は一週間は続かなかったけど、やっぱりいつもより長く下がらなかった。でまたようやく元気になって、初めて保育園に登園すると、今度は大流行中の胃腸炎にかかった。この胃腸炎は今までよりも重くて、かかり初めの日は下痢が止まらず、お水うんちが10分おきくらいにでて、おなかが痛いらしくえんえん泣く。10分おきのオムツ替えもかなりな重労働で、Kもわたしも夜にはへろへろになってしまった。うつらないように手を入念に洗ったりかなり気をつけていたのに、世話で疲れて体力がなくなっていたせいか、Kがなおりかけた頃、今度はわたしがうつってしまった。今までかかった胃腸炎で一番重かった。とにかく10分おきくらいに胃と腸のあたりに激痛がはしる。食事ができない。ノムさんに電話してすぐに来てもらって、Kをあずけてやっと病院に行って点滴をうけた。それから普通にご飯が食べられるようになるまで一週間以上かかった。

それでなんとか落ち着いてきたのが、今月に入ってからで、Kもまた一時保育で保育園に通い始め、やっとわたしも仕事を始められるような状況になってきた。
とにかくKが病気しているとわたしも家から出られないので、この二ヶ月ほとんど軟禁状態のようなものだったし、Kが家にいる時は料理と洗濯以外の用事は常に邪魔されてできないから、引っ越しはしたものの、家の中の片付けは最低限生活ができる程度しかできていない。また開かずの段ボールが3分の1程度残ってるし、将来のこども部屋はまだ行き場のわからない荷物とゴミの山で足の踏み場もない。
年賀状のお返事もほとんど書けず、各種住所変更手続きもまだ終わらない。

小さなこどもを連れた引っ越しはそうとうたいへんだと思うよと友だちに言われていたけど、まさかここまでたいへんだとは思わなかった。
新しい土地ではすぐに小児科を探さなければならなかったし、小児科も先生によって治療法が違うらしいということも知った。元気な日にKを連れて外に買い物にでて、ご近所の方に会ってご挨拶するだけでKは「いやだの」とそっぽを向き、スーパーの中でも帰る帰ると泣き出す始末。
たしかにKにすれば、理由もよくわからず今まで見知ったものが、家の中の家具やおもちゃをのぞいて何ひとつなくなってしまったわけだから、世界の不確かさに恐怖心がわいても不思議はないだろうけど、もっとこどもは順応するものかと思っていた。
引っ越してからはよく「こわいの」と言うようになった。音に敏感になって、外でなにか物音がすると泣きそうな顔でわたしのところへとんでくる。
この新しい土地もそれほど怖くはないらしいとわかってきたのはまだつい最近のことで、新しい保育園に着いて泣かなかったのは今日が初めてだった。

この場所は、Kだけでなくわたしたちにとっても新天地で、あたらしいお店やこどもの遊び場を探したり、楽しい探検が始められるようになったのもつい最近のことだ。軟禁状態の時期は、そんな楽しみもほとんどなかったせいか、引っ越し前の船橋のことばかり思い出していた。
西船橋には約3年住んだ。サラリーマンが寝に帰る街という西船橋は、はじめはとにかくまわりに何もなくてなんて不便な街だろうと思った。でも妊娠期間を過ごし、こどもを迎えるという人生の大きな出来事があった。少したつと、ちょっと遠くまで外に用をたしに出かけるのも運動になっていいかと思うようにもなり、あちこち開拓しておなじみの場所もできて、離れるとなると少しはさみしい気持ちにもなった。
離れる頃には、こどもの存在や保育園を通じたりして近所に知り合いもできてきて、やっとできたご近所との関係が終わるのもさみしかった。
西船橋はほんとになにもなかったけど、産婦人科と小児科と保育園と歯医者には恵まれた。それぞれの先生方には本当に感謝している。
先日転籍手続きでひさしぶりに船橋に行ってみると、慣れ親しんだ街はあいかわらずそこにあって、それがなんだか不思議に思え、もうここに来ることもないと思うとちょっと泣きそうな気持ちにもなった。
赤ちゃんだったKを乗せて強い日射しの中ベビーカーを押した道。その道を自転車の前にチャイルドシートをつけて初めて走った時の自由な速度。何度も何度も立った駅のホーム。よく寄った農家の直売所、事故後もよく食べた野菜。家族で通った湾岸沿いの道、店。
なぜついこのあいだまでそこにいたのに、今はいない?
3年前、船橋に引っ越す時は、その前に一人暮らししていた同じ千葉の松戸を離れることにこんなさみしさは感じなかった。船橋と松戸が近くて、行こうと思えばすぐ行ける距離だったり、十数年住んでそろそろ変化がほしいと思っていた時期だったこともあって、けっこう喜んで不便な西船橋に引っ越していった。
たぶん船橋に無自覚でも愛着を持っていたのは、やっぱりこどもを産み育てた街だからかもしれない。こどもを持つと近距離しか移動できないので、住む街との関係がクローズアップされてくる。でまた子育てはわたしにとっては苦しい思いの連続だったので、その苦しい思いとその苦しみの中で見つけた希望とかが、近所の道や街の風景とかさなりあって、それでよけいにこの船橋の街が感慨深く思い出されるのかもしれない。
もちろん仕事をする上でも苦労はあるけど、好きでやっていることだし、子育ての苦労にくらべればまだまだ軽い。
いずれこの新天地、浦和も慣れ親しんだ自分の場所に変わっていくんだろうか。

とにかくまる二ヶ月たってやっと新年度の仕事の準備を始められそうだ。
今年度はおかげさまで、去年よりワークショップの仕事が増えたし、一応演出部に所属している劇団でも研究所の前期の実習授業も担当することになった。Kは4月から週3日保育園に通い、それでまかなえないところは実家であずかってもらいながら仕事をしていく。
来年度には3歳になって毎日保育園に通うから、やっと少しは自由がきくようになるだろうか。
ママは髪を切りに自由に美容室に行けるようになるのもこどもが3歳になって保育園に入ってから、と聞いていたけど、それは本当だった。
保育園前のこどもと過ごす時間を持ちながら、仕事もまた続けるには、一時保育週3日というのはわりと理想的かもしれないと思う。
船橋では、公立保育園の一時保育は働く母親の場合、月9日が限度だった。浦和では、一時保育をやっている公立保育園はそもそも少ないので、私立に入れたが、これがけっこう手厚いので助かる。
月極通常保育で毎日保育園に通わせて仕事することも考えたが、こどもの成長は早く、これが見られない、苦しくてもこの時期を一緒に過ごせないのはちょっともったいないと思えた。それに3歳前の保育料は所得にもよるけどすごく高い。まあそれでも保育士さんたちは重労働のわりにあわないお給料で、善意でやってくださっているようなものだから仕方ないのかもしれないけど、これじゃママがせっかく働きにでても保育園の支払いで終わってしまうから、働くのは気晴らしとか社会とのつなぎ的なことだけになる。多少はいつか役に立つかもしれないけど焼け石に水の「こども手当」をもらうより、もっとこういうインフラを早くなんとかしてほしい。と思っていると、昨日だったか、「総合こども園」のニュースがあった。「こども園」の話はもうとっくにでてたのに、とにかく遅い。

そもそも新天地を浦和に決めたのは、まずはだんなの勤め先とわたしの実家までの距離との中間地点だったからだが、それにプラスして子育てインフラがいいと聞いたからだった。こどもの医療費は、船橋が一回200円だったのに対して、浦和は中学生まで無料。さらに公立志向が強く、中学も私立に行かせなくてすむ。この二点でも経済的にずいぶん助かるのだ。

今年の仕事は「子育て」がテーマのものが多い。
たぶん子育てまっただ中の今しかできないような気もするので、今年はどっぷりつかって、この2年、妊娠中もふくめると3年を振り返りながら、それぞれの土地のみなさんと、日本や土地土地の子育てについて考えていきたい。

まずはまたずいぶん時間がたってしまったけど、北九州での勉強会をふりかえって、それから各地の子育て事情をリサーチしつつ、ワークショップのプランをたてていこうと思う。



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