阿部初美のブログ

演劇の演出家です。

2012年07月

としまで子育て初めに

6月で世田谷と円の仕事が終わり、7月からとしまアートステーション構想の準備が始まったが、この夏はもうひとつ大仕事がある。
「おむつはずし」である。
隣家では家中のカーペットをはずし、おむつをはずし、いきなりパンツをはかせて姉弟ともに一週間でおむつがはずれたと聞いたので、うちも同じようにやってみているが、2週間がすぎてもいっこうにはずれる気配がない。なんとかうんちはおまるでできるようになったが、おしっこはかなり難しく一進一退を繰り返している。昨日は5回、パンツとずぼんを丸洗いした。
トイレトレーニングが始まってから、家事がいっきに2倍か3倍にふえたような感じだ。やってもやっても終わらず、いつも家のどこかで何かが山積みになっている。夏なので放置するわけにもいかず、休む間もなく働いているとだんだん疲れてきて、もう無理!と倒れ込むが、過酷な子育てにまったはない。
それに加えてこどもが着替えやらなにやらに非協力的だったりすると、だんだんイライラしてきて、最近はよくヒステリーを起こしている。で怒られてこどもがわーーーんと泣くと、それと同時にまたおしっこしちゃうので、またパンツとずぼんの丸洗い、、、となる。

こんなふうにこどものおしっことうんちとのたたかいの日々を過ごしていても、今夜はとしまアートステーションZでなにか話さなければならない。

えーと、そもそもはとしまアートステーション構想の意図と、わたしの考えがけっこう一致してたことから始まったんだけど、どのへんからなにを話したものかしら。

としまアートステーション構想とは

豊島区民をはじめ、アーティスト、NPO、学生など多様な人々が、区内各地域のさまざまな場所で自主的・自発的にまちな かにある地域資源を活用したアート活動の展開を可能にする「環境システムの構築」と、「コミュニティ形成の促進」を目的としています。人と人のつながりの ある地域には安心感があります。豊島区をそんな街にしてゆくために「アート」を用いた試みです。雑司が谷にあるとしまアートステーション「Z」を拠点に活 動を展開していきます。
本事業は「東京アートポイント計画」並びに豊島区文化政策推進プランのシンボルプロジェクトである「新たな創造の場づくり」の一環として、東京都、豊島 区、東京文化発信プロジェクト室(公益財団法人東京都歴史文化財団)、NPO法人アートネットワーク・ジャパンの四者を主体に進める取り組みです。

東京アートポイント計画とは

東京の様々な人・まち・活動をアートで結ぶことで、東京の多様な魅力を地域・市民の参画により創造・発信することを目指し、「東京文化発信プロジェクト」の一環として東京都と公益財団法人東京都歴史文化財団が展開している事業です。http://bh-project.jp/artpoint



まずなぜとしまで子育てワークショップなのか?

その発端は、個人的な出産育児体験にさかのぼる。

そもそもわたしは演出家として、ある時期からドキュメンタリー的な手法の作品を作っているが、それは演劇と社会との関係がほとんど切れてしまっていると感じてきたことによる。
美術の世界から演劇の世界に入り、たくさんの演劇を観たが、そのほとんどは自分の生活となにか関係のある表現とは思えなかった。
自分でドキュメンタリー的な作品を作るようになって、初めて演劇を通して社会と関われている感覚を得ることができた。

同じ頃から一般向けのワークショップの仕事もふえていった。ワークショップの参加者は、演劇などほとんどしたことも観たこともないような人々だったけど、実人生をいっぱいに生きてきた人々の表現には、ヘタな演劇などかなわないような説得力や存在の強さを感じることがあった。
ワークショップでは最後に発表会をやることも多かった。素人の発表会、というと学芸会同様、とるに足らない、親類縁者が見ればよいもの、という認識が一般的だし、自分もそう思っていたが、これが意外にも感動的なものになったりする。
参加者の方々がとまどいながらも、発表会に向けてどんどん変化していく姿もけっこう感動的だし、みんながぶつかりながらもいい関係を作っていく様子も、毎回、演劇ってすごいのね、と思わされる。
たったひとりでも、ひとりの人間が変化する、ということは本当にすごいことだ。
それに親類縁者が見るというのもなかなかあなどれない。普段家族の中で「お母さん」や「おじいちゃん」「おばあちゃん」、「こども」という顔をしてその役割を担っている人々が、その奥にひめた思いや記憶を「表現」を通して打ち明けるのだ。それは家族には普段見せたことのないような顔かもしれない。家族の中にどんな意識の変化がおこるだろうか。

それからわたしはこの人たちを観客と想定して作品を作ろう、と思うようになった。それまではわたしにとって「観客」とはまるで顔のないのっぺりとした不気味な集合体のような存在だった。いくら力を入れて作っても、のれんに腕押し的な、ぬるっとすりぬけて、どこに手応えがあるのかわからないようなものだったからだ。
たとえば「観客」とか「東京」とか、「震災」とかなんでもいい、そういう大きなものをイメージしようとしても、漠然としていてつかみどころがなく、なんと言ってみてももやもやした気分が残る。

世界の片隅に生きる具体的な個人、というローカルにこだわることにしか、表現に説得力を持たせることはできないんじゃないか、と思うようになっていった。地域限定性の高い演劇はそもそもローカルなものであるが。

ワークショップと作品作りはわたしにとって切り離せない、対のようなものになっていった。

そんなことを考えるうちに自分も結婚して妊娠して出産したら、突然世界が一変した。

仕事人間で、まわりに子育てしてる人もいなかったし、こどものいる生活がどんなものか想像もつかなかったから失敗した。自宅周辺には知り合いもいない。賃貸マンションばかりなので、近所に誰が住んでいるのかもわからないし、隣はすぐに入れ替わる。実家も遠い。仕事仲間の友人たちはみな忙しく家も遠く、ほとんど関係がとだえた。行政が用意した母子対象イベントにも行ってみたが、新しい母親たちは無理矢理なママ友作りにやっきになっていて、とてもじゃないけどこんなところにはいられないと思った。産まれたばかりの赤ちゃんはなにをしても泣き止まず、家事もできず、なにもできず、マンションの密室にこどもとふたりきり、いわゆる典型的な母子カプセル状態で、なかばノイローゼになっていた。

仕事もなくなり、家でこどもとだけ過ごす毎日。これは仕事を生き甲斐にばりばり働いてきた男性にとってどんなことだろうか?今は女性も仕事を生き甲斐にばりばり働く時代だから、女性の状況がこんな風に変化したら、ということを、自分の身におきかえて男性が想像することも可能だと思う。

それから2年くらいの間、夜中に何度か泣くこどものために十分な睡眠もとれず、病気になっても病院にも行けず、どんどん抵抗力がなくなって、病気続きの日々だった。この間にはずいぶんいろんなことを、根本的に考えさせられた。

こどもがいなかった時、わたしにはこどものいる人の生活など想像もつかなかった。
子育てをしてみると、「育児ノイローゼ」「虐待」こういうことが起こるのも、実感として理解できる。
「子育てを楽しもう」みたいな言葉がスローガンのようにあちこちで聞かれるのは、なかなかそうできない現実があるからじゃないんだろうか。
もちろん子育てを楽しめたらそれはそれでほんとにすばらしいけど、わたしのように、いやもっとそれ以上に、苦しい思いをかかえて孤独に子育てしてるお母さんたちはいっぱいいる。

そうしている間にもあちこちで上演されて続けている演劇は、なんのたしにもならず、こんな状況にはなんの関係もなく、なんの効力もない。子育て世帯の生活と演劇がこんなにも無関係だったとは、ちょっとショックだった。
演劇は、自分自身も含めて、子育て世帯に対してすごく冷たかったことに初めて気がついた。
こどもの芝居は時々あるけど、あれはある程度大きくなったこどもが観るものだし、親たちの思いを表現したり、共有したりする場所ではない。

そこにある日、世田谷パブリックシアターの学芸のKさんとEさんがひょっこり訪ねてきて、こんなわたしの思いや愚痴を3時間にわたって聞き続けて帰り、しばらく経った頃、世田谷で「子育てを考える」ワークショップをやってみないかという電話をくれた。

なんだかひさしぶりにわくわくしてきた。どうしたらそれができるだろう、どんな時間と空間が作れるだろう。ポイントは二つあった。
「母子だけを対象にしない」と「こどもを排除しない」ことだ。

よくある母子対象イベントは、ないよりはましという程度で、それほど母たちを救うものではない。むしろ無理してママ友を作ろうとしてかえってその関係に苦しんだりすることもある。それでも孤独よりはましだからと無理な関係を続けようとする、よくある風景だ。
それよりもっと無理のない関係、演劇ならばそれが作れる、ということは今までやってきたワークショップが実証してくれている。そして「表現」は自己と世界についての認識をうながし、受容し、現在という時間を肯定的に生きることをとりもどす行為だ。
今の社会は母子だけを密室に排除するような構造になっている。それが、多くの不健全な母子の状態を作り出し、たくさんの母親たちが苦しむ要因になっている。子育てを母親ひとりにまかせすぎている。もっと、こどもは社会で育てるもの、という意識が必要だ。そのためには母子ばかりでなく、いろんな立場の人たちとこの状況を共有する方がいい。
ということで、対象は「子育てに関心のある方ならどなたでも」となった。
夫に話すと、「フードコートみたいだね」と言った。
たしかにこどもも排除せず、いろんな人が共有できる時間と場所というとフードコートくらいかもしれない。以前「アトミック・サバイバー」のツアーで訪れた高知の商店街にある、戦後から続く「ひろめ市場」という大きな食堂街には、誰のことも排除しない、それで人に親近感を感じさせるようなユートピアチックな雰囲気があって、わたしはいっぺんでそこが好きになり、滞在中は毎日のように通っていたことを思い出す。

こんな演劇のワークショップは今までになかった。それを作れることが本当に嬉しかった。

完成された作品よりもむしろ、こういうワークショップの方が、十分に演劇のもつ力を発揮できることにも気がついた。今の日本の状況においては、演劇は「観るもの」ではなく、むしろ「やるもの」じゃないんだろうか。観て数日後には忘れられるような作品を大量に生産消費していくよりも、みんなが演劇で表現し、それを共有する場所を作った方が、演劇は役に立つ道具になる。
みんな演劇をやったらいいのに。
KYやキャラ分けに苦しむ演劇部の高校生たちに「演劇部じゃない子たちもみんな演劇をやったらそういうのしなくてもすむようになるんじゃない?」と聞くと、みんな一瞬ぽかんとしてから「そう思う!」と大きくうなづいた。

そういうわけで、としまアートステーション構想の、「みんなが表現者になる」という意図とわたしの考えが一致して、今回この企画に参加させてもらうことになった、ということでした。

タイトル副題の「子育てを考えるワークショップ」は、そのまま世田谷のタイトルを踏襲させてもらった。これは本当にいいタイトルで、わたしのワークショップの内容をよく表している。というかそのタイトルにあわせて初めに内容を考えたからあってて当然なんだけど、これからこのワークショップを全国に広めていければ、救われるお母さんたちもでてくると思うので、世田谷からの出発ということもあって、このタイトルはできればつなげていけたらいいなと思っている。快く許可してくださった世田谷学芸のみなさんに感謝です。
だからはタイトル「としまで(も)子育て〜子育てを考えるワークショップ」なんですが、今回のとしまでは唯一、最後の発表会までもっていけそうです。
内容も、世田谷では人形劇がメインだったけど、もっと他にもいろんな表現をやってみたい。
世田谷は思いがけず世田谷カラー満載のワークショップになりましたが、今度はどんなとしまカラーがでてくるのか、とても楽しみです。











としまアートステーション構想

今年4月に世田谷で始まった「子育て」ワークショップは、9月から「としまで子育て」というタイトルでとしまアートステーション構想にバトンタッチして再開します。
7月24日、雑司ヶ谷のアートステーション「Z」にて、リニューアルする「子育て」ワークショップについて語ります。


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『2年目のとしまアートステーション構想-アートで探る豊島区の可能性』
http://toshima-as.jp/events/as.html
7月24日(火)18:30 - 20:30
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としまアートステーション構想が始まって2年目。
1年目の成果報告、今後の展開や可能性について語ります。
また、今年度のアートプロジェクトや、新しく始まったアートサポートについても
紹介します。
豊島区内外を問わず、アートプロジェクトやアートのエッセンスを取り入れた生活に
興味のある方の参加、お待ちしています。ぜひ皆さんと語り合いたいと思います。

18:30-19:00
1部 としまアートステーション構想について
+としまアートステーション構想の発足から、これまでの活動についてお話します。

19:00-20:30
2部 構想2年目の活動と展開
+今年度の活動「アートプロジェクト」「アートサポート」についてご紹介します。
+アーティスト・プレゼンテーション
 -『TAble - 豊島区の可能性』岸井大輔(劇作家)
 -『としまで子育て - 子育てを考えるワークショップ』阿部初美(演出家)
 -『キッチンでの実験』EAT&ART TARO (アーティスト)× 中山晴奈(フードデザイナー)
+としまアートステーション構想の今後の展開についてお話します。


〈日時〉2012年7月24日(火)18:30-20:30
〈定員〉40名(事前申込・先着優先)
〈参加費〉無料

〈お申込方法〉
氏名・年齢・連絡先を明記の上、電話またはメールにてお申込みください。
TEL 070-5579-8538(PHS) 電話受付|日~水曜日11:00-18:00
E-mail toiawase@toshima-as.jp

〈会場〉としまアートステーション「Z」
http://toshima-as.jp/artstation.html

最終回「子育てを考える」vol.6-子育て-/世田谷

世田谷「子育て」ワークショップ最終回の記録を書かなくちゃ、と思いつつ、疲れがでたり、親知らずを抜いたり、次のとしまアートステーション構想や九州の企画の準備が始まったりでなかなか落ち着いて書く暇がない。

今年上半期の仕事が終わったところで急に放置していた親知らずが痛みだして、引っ越し前に西船橋で通っていたすざき歯科に行って抜いてもらった。すざき歯科は地元の親戚からいい歯医者として紹介されて通っていたが、本当によかった。今までいろんな歯医者さんに通ったけど、すざき先生のところほどいい歯医者さんを探すのはなかなか難しいと思う。さいたまからはちょっと通うわけにはいかないのがとても残念。
ひさしぶりに西船橋に行ったついでに以前ご近所だった友人知人に会う。西船橋はわたしたちが引っ越した後、子育てインフラがますます悪くなり、待機児童がますます増加していた。来年3歳から保育園に入れたくても空きがなく、しかたなく幼稚園に入れるしかない、そうすると仕事はある程度あきらめなくてはならない、というママたちがたくさんいた。「総合こども園」なんていらないと思ってたけど、地域によってはやっぱり必要なんですね。

ということで「子育てを考える」第6回目の最終回は、迷ったあげく、「子育て」そのものをテーマにまた人形劇をやることにした。本当は前回の終わりに、最終回は「わたしがこどもだった頃」を話してもらうので考えてきてくださいと宿題を出していて、それをもとに「こども目線」と「芸術家目線」の共通点を体験してもらって終わりにしようとしていた。でも、今回の世田谷のメンバーは、市民運動のさかんな世田谷の土地柄もあって?か、とてもディスカッションが充実する傾向にあって、他の地域でこれと同じようにできるかわからないので、世田谷は世田谷らしさを貫いて、最終回も人形劇&ディスカッションという内容にした。

テーマは「こどもとの接し方」。これについてわからないことや難しいこと、心がけていることなどをまただしてもらい、それをもとにグループで寸劇を作る。最終回は参加者がいつもより多かったので、グループは4つになった。もちろん最後の回にも初参加者はいた。もし続けたらきっとどんどん増えていくことが予想される。

それぞれのグループで話し合いが始まり、そこをうろうろして話をききかじると、なんとなくこの日は何か問題がでてきそうな予感がした。たとえばしつけ、教育、このあたりは親としては本当に難しいところだからだ。親じゃなくても、よそのこどもにどう接したらいいのか、よくわからずに悩むことも多いと思う。

そして発表。

Aグループ:兄が木登りしていると、小さな弟も登りたがる。それを危ないと怒鳴りつける大人と、それはいけないね、と理由を話しさとす大人がでてくる。兄はさとす大人の言うことをきき、弟がまねしないように木登りをやめ、さとす大人に言われたとおり、お絵描きをして兄弟で遊ぶことにする。すると兄弟は紙以外のところにも落書きしてしまう。また怒鳴る大人とさとす大人がでてきて、こどもたちはさとす大人の言うことをきく、というお話。

Bグループ:エスカレーターでこどもが遊んでいる。危ないととめる大人。そこにこどもの母親があらわれ、自分のこどもに声をかけた大人を不振に思う。そこへ店長が現れ、声をかけた大人をかばい、母親をいなす、というお話。

Cグループ:男の子と母親のスキンシップ。かわいい赤ちゃんを抱っこして「どんな子に育つのかしら?」と想像する母。幼児になった男の子は母にまとわりつく。小3、母と手をつなぐのを嫌がるようになり、子が離れていくのをさみしく思う母。中学生、寝てる時じゃないとわが子に触れない母、でも時々寄ってくるこども。

Dグループ:「Y家の昼下がり」。母が上の子を叱咤しお風呂掃除の罰を言い渡し、かわいがる下の子を連れてでかけてしまう。上の子はおばあちゃんに甘え、罰を代わってもらう。そこへ母が帰宅。義母と嫁がしつけの違いで対立する、というお話。

いつもよりグループが多いこともあって、この日はますます時間がかかり、ディスカッションが始まる頃にはもう終了時間の12時ちかくになっていた。この後、用事があって帰らなければならない人は帰り、残ったメンバーでディスカッションを始めたが、やはり時間が足りず、この日は結局最後のグループのテーマまでたどりつけずに終わってしまった。せっかく作ったのに申し訳なかったけど、やっぱり時間の関係上、一回の参加人数には限界があった。

とりあえずAグループについて。

こどもは大人がしてほしくないことをたくさんする存在だ。その時大人はどうしたらいのか。このグループの主張は「こどもはさとすことが大事。叱るのは命にかかわる時だけ」ということだった。さてこの主張は、多くの育児書にでてくる大人の心得なのであり、筋の通った主張ではあるが、はたしてこれはどうなんだろうか、とわたしは常々思っていた。

このワークショップの前日がゆとり世代の多い円の研究生の発表会だったこともあり、わたしはゆとりの子たちのことを考えながらこの寸劇を見ていた。ゆとり世代には怒られたことがないので、怒られるとそれだけで心が折れてしまう、という子もいて、こんなこどもたちが社会にでてから上司とのコミュニケーションにつまづき、その多くが新型うつにかかっている。
この事実をふまえて自分の中ではっきりしたのは、やっぱり大人として叱るべきことは叱らなければならない、ということだ。時には理不尽に怒ってしまうこともやむなしだと思う。世の中には、いつもいつも理性的にふるまえる聖人などほとんどいないし、そもそも世界は存在そのものが不可解で理不尽なものなのだ。理性や科学による問題解決は19世紀のみた夢だった。
それでも多くの育児書に判で押したように「さとしましょう、叱るのは命にかかわる時だけ」と書いてあるのは、それだけ怒る以外にしつけをどうしたらいいかわからずこどもとの関係に悩む親が多かったり、時にはしつけと称して暴力をふるう親もいたりするからかもしれない、と想像する。

それにもうひとつこのAグループの発表で気になったのは、小さな弟がまねしないようにと、兄が木登りをやめさせられた点だった。これはゆとりが経験した、みんなで手をつないでゴールしましょう、という発想と同じではないだろうか。兄は木登りできて、小さな弟はできない、これは当たり前のことで、弟は悔しさをばねに木登りをがんばるだろうし、できない子の心の痛みも知る。兄は優越感を感じ、得意なことをもっとがんばろうとする気持ちを育んでいく。そういうもんじゃないんだろうか。
小さい弟がまねしたら、大けがにつながらない程度に見守り、まねさせてやることも大事だと思う。
そうして小さなケガを積み重ねながら、こどもは体の使い方や体とのつきあい方を学んでいくのだ。

話はとぶが、この回初参加で自宅を子育てママの広場に解放しているYさんは「子どものことは、なんでも母親のせいになる」と言う。
子育てはできて当たり前のことで、ほめられはしないが、こどもが問題を起こせばなんでも母親が悪い、と言われるから母たちはモンスターペアレンツになってしまうのだ、と。
母親の方も、子どものことはなんでも自分のせいだと思いすぎるきらいもある、という意見がでる。
なぜ母親にばかり子育ての負担がかかってしまうのか。
そもそもうちはうち、よそはよそ、と他者に関心がないということに問題があるのかもしれないとう話になる。

思春期反抗期中学生のYさんの息子さんにとって、職業体験で保育園に行ってこどもと接したことがとてもいい体験になったということだった。
こどもたちを大人のワークの世界から排除したのがそもそも間違いでは?と子育てパパMさんが言う。
昔はたとえば職場の運動会なんかがあって、ふだんお父さんが一緒に仕事している人たちと家族ぐるみで接する機会がこどもにもあった。今こどもはお母さんの周辺の人としか会う機会がない。
その通りだ。そしてこどもたちが大人になって入っていかなければならないのは、育つ時にほとんど接触のなかったお父さんたちの世界なのだ。
いろんな人と接触することでこどもたちは「キャラ分け」ではなく、「使い分け」を学んでいく。

Cグループの発表に関してでたのは、スキンシップの大切さだった。しかし日本人はそもそもきわめてスキンシップの少ない国民だ。なぜスキンシップをしないような文化を作ってきたんだろうか?とても興味がわく疑問だ。

というところで、Dグループに話がおよぶ前にもうお昼もとうに過ぎていたので、このへんで終了、となってしまった。Dグループのみなさんごめんなさい。

世田谷のワークショップでは、毎回毎回いろんな方に参加していただいて、いろんな方と出会えて、一緒にいろんなことを考えて、本当に楽しく、充実した時間でした。
このワークショップを企画してくださった学芸のKさんEさん、ささえてくださった世田谷スタッフのみなさん、参加してくださった契約ファシリテーターのみなさん、参加者のみなさん、本当にどうもありがとうございました。
全国的にこういうワークショップがさかんになると、きっと子育てインフラは市民レベルからよくしていけるんじゃないかと思います。

「子育て」ワークショップは初めての試みでしたが、おかげさまで、今後も継続発展可能なワークショップを作ることができました。このワークショップは、世田谷を出発して次は豊島に行きます。
拠点は、としまアートステーションZ、雑司ヶ谷駅直結のおもしろいアート系の企画をたくさんやっている場所です。
開催は9月からの予定で、こんどは全10回程度、最後には発表会もする予定です。
お気軽に遊びにきてくださいね〜。

























「子育てを考える」vol.5-ママが働く-/世田谷

6月の最終週で、円演劇研究所の授業と世田谷パブリックシアター「子育てを考える」ワークショップが終わった。苦しくも楽しい時間だった。
終わって気が抜けたのか、どっと疲れがでてきた。昨日整体に行ってからは、なんだかぐったりして動けなくなっている。しかしまた次の豊島アートステーション構想と九州が待っている。待ってくれる人がいるというのはとても嬉しくありがたいことで、準備とか考えたりする苦労はあるものの、また今度はどんな出会いがあり、どんなことを知るんだろうと思うとわくわくしてくる。

それに最近の演劇界はすてたもんじゃないなという気がしている。
子育てしながら演劇の仕事をするのは本当にたいへんで、まわりの協力がないとやっていけないのだが、今回はずいぶんまわりの人たちに助けられた。子育て中はたいへんだからやっぱり仕事はさせないようにしようという発想ではなく、どうサポートしたら子育て中でもうまく仕事ができるか、ということをみんな考えてくれていたんだと思う。本当に感謝である。こういうことを経験すると、日本はこれから少しずつだけどいい社会になっていくかもとちょっと希望を感じることができる。

そして「子育てを考える」ワークショップvol.5のテーマも「ママが働く」で、この回もとても面白いものになった。

この回も初参加者は5人。ほんとに毎回増え続けているのがすごい。
また初めに「子育て」の関心事について語っていただき、簡単なゲームをしてから作業開始。
今回も人形劇の手法を使う。
「ママが働く」というテーマで、その問題点を8つ書き出してもらう。
それから3つのグループに分かれて、1つか2つのキーワードを選び、また5分程度の寸劇を作る。
この日はうちの旦那も含めて男性参加者が5人いたので、学芸Kさんの提案で、男性のみのチームを作った。これがなかなか面白い結果になった。

世田谷ではスタッフのFさんが毎回に記録をとってくださっていて(筆記!!!)、希望する参加者に過去の記録を配布していたが、これは資料としてもとても助かるものになっている。以下はFさんの記録より。

Aチーム ※女性のみのチーム

 ママの就職活動。面接で「子どもを預けるところを決めてから来てください」と言われる。区役所へ行くと「内定証明をもらってから来てください」と言われる。ひとまず子どもを預けようと義母を訪ねると、職場復帰には賛成だが、自分も結構忙しいので週5日子どもを預かることは難しいと言われる。夫に相談すると「疲れてるから明日にしてくれよ」と言われてしまう。


Bチーム ※男性のみのチーム。

 会社の会議中。前日の会議で女性社員Aが発案した企画がなくなっている。Aが子どもの世話のため途中で帰ったことが原因。Aは改めて別の企画を出すが、やはり子どもの世話で早めに帰ることになる。Aのアイデア自体は面白い。残った社員で相談して、翌日から会議の時間を早めることと、皆で協力してAの企画を助けることを決める。その矢先、もうひとりの女性社員Bがいきなり寿退社を宣言する。今Bに抜けられると困るが、仕方がない。また皆で考えて頑張ろう…。


Cチーム ※女性のみのチーム

子どもをどこに預けたらいいのか悩んでいる女性。彼女のところへ、色々な人がアドバイスに訪れる。

出てきたアドバイス→

『「はたらく=預ける」を変えよう! 子どもを連れて働けるようにしよう。確かに連れていける職場はあまりないが、そもそも「連れていく」という選択肢が存在しないことから変えよう』

『自分は子どもの頃、祖父母の家に預けられていたからさみしくなかった。本当の祖父母でなくてもよい。地域活性化にもつながる』

『子どもが病気になったときのために、病院の中に保育園をつくろう。小児科と保育園を一緒にしよう』


以上のような人形劇の発表のあとでディスカッションタイムに入る。

Aは働きたくても働けないママの物語。こどもをあずけるには会社で「就労証明書」をもらってきてくださいと言われ、会社で働くには保育園にこどもをあずけられるようにしてからきてくださいと言われ、実家も夫もあてにならず、、、こんなばかな話はないと思うが、よくある話だ。さらにこどもをあずけられたとしても、保育料はとても高額なので、せっかく働いてもそのお金は保育園に横流れしていき、あとに残るのはわずかなもの、という問題もある。
行政で働いた経験のあるMさんは、役所では産休育休や復帰に関する制度がしっかりしているため、行政サイドはこういうことで苦労している母親の苦しみがわからないと思う(だからサポート制度が遅れている)、という。

なぜ女性は出産を機に退社する人が多いんだろうか?

会社の産休、育休制度がしっかりしていないのと、社内に妊娠を喜ばしいことと思わない雰囲気があるので、一旦は退社せざるをえないという意見がでる。

それに仕事が激務だったり就労時間が長い職種では、出産後も同じように働くことができないということもある。
それに、会社というものは女性の寿退社や産休育休をみこして、女性には責任のある仕事をまかせない、重要なポストにつかせないという工夫をしているので、キャリアアップの望みのない女性たちや、派遣で働く女性たちは、だったら家庭に入った方がいいと、消極的な理由から仕事をやめるというケースも多いと思う。

Bチームはそんな会社の事情を男性目線で表現したお話になっていた。男性側から見ると、女性には大事な時に抜けられてしまうので困る、能力を持っていても期待できない、という世界だ。
しかし例えばこどものお迎えで早く帰宅しなければならない女性のために会議の開始時間を早くするなど、ちょっとした改善策で、お互いに仕事しやすい環境を作ることができるので、最近は企業側も努力しているということだった。
しかしそもそも女性の社会進出がこれだけ進んでしまった今、もう一昔前の就労形態は時代に合わなくなってきているんじゃないだろうか?就労形態の流動化は少し前から言われ始めたことだが、そこにはたしかに女性の出産育児をうまくとりこめる可能性があるかもしれない。

そしてCチームが作ったのは、働くママのユートピアだ。
そもそも保育園にあずけなくても、こどもを連れて職場に行けるのは、こどもをそばに置いておけるのでこれは本当に理想的な世界なのだ。それから保育園にあずけるとすぐに病気をもらってきて、保育園を休まなければならなくなり、病児保育も治りかけでしかあずかってもらえず、ママはしょっちゅう仕事を休まなければならない、というのも大きな問題だ。これを保育園を小児科に併設することで、現状をもう少し改善できないかという提案がなされた。
これらの劇を受けてさらに提案は進む。

最近でてきたco.ワーキング(表記あってるのかな?)とかシェアオフィスも、子連れで仕事できる可能性がある。そういう場所でこどもをあずかってもいいかも。
俳優はこどもと遊んだり面倒を見るのが得意、俳優による一時あずかり所があってもいいのでは?俳優も少しはそれが収入になるかも。
ネット上でマッチングできたりするといいかも。
などなど。

しかしこんなアイデアを実行にうつす時、壁となっている障害がある。「資格」の問題だ。
これがあるためになかなか現状は遅々として改善されない。
子育て世帯のサポートのためにそれぞれの自治体が用意しているのが「ファミリーサポート制度」というものだが、これは地域で、子育てを助けたい人、助けてもらいたい人をつなぐ制度である。ただし助けたい人は、そうおうの教育を受け、資格をとってからでないと活動はできない。時給は600~800円くらいのところが多い。一応仕事としての「責任」を感じてもらうために設定されたような値段だろうか。これは便利なようだが、利用しようとするとなかなか手間のかかる制度で、わたしも登録はしていたが、結局条件が合わず、一度も使えなかった。

行政の用意する制度は現場感覚からはずれた男目線のものが多く、あてにならない、やっぱり市民活動みたいなものから生まれるものがいいのでは、とRさんがいう。
総合こども園の話なんかほんとにそうだ。どうしてあんな発想がでてくるのか、現場としては全く理解不能だった。
Sさんは、資格がなくてもあずかる、あずける、という人だけがまずはやっていけばいいのではと提案した。
昔はたぶん地域がそういう役割を果たしていたし、そこには資格など必要はなかった。

現状のままでは、働くママだけが苦しすぎる。これだと出生率はあがるわけがない。
出生率があがらなければ、人口は減る一方で、日本中が過疎地域のようになり、年金もあてにできないず、国力も落ちる。国力が落ちれば外国からモノが買えなくなるので、また自給自足のような生活に戻るのかもしれない。こんなふうに未来を想像してみると今どうすべきかが見えてくることもあると思う。そんな世界も案外いいのかもしれないが、とりあえず経済的、精神的、いろんな事情で働けずに困っているママたちはたくさんいる。女性たちの苦しみはこどもの苦しみにつながることもある。とにかく母子を排除する社会を変えなければならないと思う。排除された母親たちはいつかモンスターに姿を変えるかもしれない。

団塊ジュニア世代のかけこみ出産を経て、今後ますます子育てインフラ整備の希求は高まるだろうし、これは社会的問題であるという認識は広まるだろう。

この回も、ほんとうに充実した表現とディスカッションになった。
ある意味、ここはユートピア的な場になっていると思う。
そんな役割を劇場が担えるのはとても嬉しい。





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