数ヶ月前、福岡で演劇ワークショップの研究や企画の仕事をされているKさんがうちにお泊まりに来てくださった。
Kさんは、わたしたちが各地で行っている「産み育て/子育てワークショップ」を取材してくださっていて、この日も翌朝早くに水戸の産み育てワークショップの担当者のFさんにインタビューに行くということで、うちに泊まっていただいたのだが、その時のはなし。
Kさんはわれわれのワークショップを研究対象にしてくださっているのだが、それはなぜなのか、現場はいつもせわしなく時間に追われていて、それまでそんな話を聞いたことはなく、夫と子どもが寝静まったこの夜、初めてその理由を聞いた。
KさんはNPOで演劇ワークショップの企画や研究をされているわけだが、ワークショップというものはだいたい公からの助成金で行われている。それが民主党時代の「事業仕分け」で、Kさんたちの助成金も仕分けられてしまったのだという。初めは腹立たしく思っていたKさんは、仕分け人にその意義を問われた担当者が事業の必要性を訴えられなかったのは、そもそも助成金をもらった側がそれを分かりやすい形でまとめ、示すことを怠っていたから、つまり自分たちの怠慢ではないか、という考えに行きつく。そこで助成金を出している人たちを納得させられるような成果を目に見える形にすることを目的としたワークショップの研究を同業者に呼びかけたところ、そんな暇はない、と消極的な返事が返ってきたという。現場に関わる者としては、そう答えざるを得ない事情もよくわかる。
(たとえば水戸の担当者のFさんは企画制作から当日の受付や記録まで、ほとんど一人でこなしている。それは肝心のワークショップ初日に胃腸炎にかかって倒れてしまうくらいのハードワークだった。いくら若くて元気でモチベーションが高くても限度というものがあるし、そんなやり方では仕事を長く続けられるわけがない。)
Kさんに話をもどすと、Kさんはそこでたった一人でその研究を始めた。
「わかりやすい形」とはどんな形なのか。まずは数値化してみせることが一番手っ取り早く、今はストレス指数だとか、いろんなものが数値化できるようになってきていて、それを使って、ワークショップのビフォーアフターでその数値にどんな変化がでたか、統計をとって示せるのではないかとKさんは考えていた。もちろん演劇とはそんなに簡単に数値化できるものでも、それで片付けられるものでもないと分かってはいるが、少なくともお金を出している人たちを納得させられなければ、ワークショップの活動自体ができなくなってしまうから、とKさんは言った。
Kさんの行動力はほんとうにすごい。会いたい人がいれば紹介なしに、自分で連絡をつけてさっさと会いにいく。
わたしはKさんの活動にできるかぎり協力したいと思った。
最近この話を思い出すようなことに頻繁に遭遇する。
所属する演劇集団円の研究生の前期授業を去年から担当している。
去年は一年目ということでか、けっこう好きにやらせてもらった。
わたしにとって「演劇」は「演劇」で、正直な話、研究生の誰が円に残ろうが残るまいが、そんなことはどうでもいいと思っている。集団に所属できても演劇をやっていない人はいっぱいいるし、残れずともその後もさかんに演劇活動をしている人もいっぱいいる。どこにいたって今の日本ならば、演劇はやろうと思えばやれるものだと思うし、就職したり他の仕事を選んだからといって演劇活動をあきらめる必要もない。アマチュアの野球グループはいっぱいあるし、プロでなくても俳句や短歌をする人もいっぱいいるし、まあそういうのを「趣味」というのかもしれないけど、「演劇が趣味」だってぜんぜんいいと思う。
自分がそれに触れていたいと望むなら、きっとその方が幸せに生きられる。
他の表現芸術と同様、「演劇」は「毒」をはらみ、微量の毒薬は薬となって触れるものに生きる力や知恵を授ける。
というわけで技術はいっさいおしえない、みんな身ひとつで面白い「表現」、人の心にとどく「表現」とはなんなのか、文字通り「体当たり」でぶつかる本気勝負の授業になった。そしてそれぞれの発表のあと、全員で発表者の表現について分析しあった。本当に面白い授業だった。
しかし相手は50数名、2クラスで合計6時間の授業のはずが、時間内に終わることはまずなく、だいたい両クラス1時間ずつオーバーして、合計8時間、お昼ごはんを食べる時間すらほとんどとれず、オーバーワークで毎週のように授業中に持病の発作がでては、みんなに心配をかけながらなんとか前期の授業を終えたのだった。
前期終了後、研究所所長からわたしの授業について評価があった。
その結果、わたしは今年も採用になったものの、去年と同じやり方は御法度になった。「去年のやり方は少人数ならいい、しかし50数名相手でやるのは無理だし、救える者も救えなくなってしまう」と所長は言った。
その言葉の意味を体で理解できるようになってきたのは最近のことだ。
ようするに所長が望んだのは「授業の効率化」である。
具体的には、既成の戯曲をある程度新劇的な演技方法を使って演じ最後に発表会をする、という一般的な実習のスタイルの提案だった。
「イエス・キリストだって言ってるよ。船にのせられる人数が決まっているのに、全員乗せようとしたら結局は一人も救うことはできない。でももし5人乗せられるとしたら、5人は救えるんだ。全員救いたいなんていうのは、それは子どもの干渉だよ。」
でも授業の初めはワークショップを少しやってもいい、ということで、4月にスタートした授業も、所長の度々の介入によって、修正を繰り返し、結局、所長の提案通りのスタイルにおさまった。
去年ほどの面白さはなくなったが、体と生活は楽になった。
円は公共の劇団ではなく、民間の劇団(正確には「劇団」ではなく「集団」であるが)であり、研究所の目的はプロとして俳優を仕事にできる人材の発掘と育成である、という目的がはっきりと授業に表れてきた。
「ちゃんと彼らを大人として扱うんだ。」こんなプロ意識に再会したのは、本当にひさしぶりのことだった。
「効率化しないとまわらない」という所長の言葉は、頭ではわかっていた。
しかし、芸術創造の非効率性をおぼえこんでしまっている体はなかなか言うことをきかない。
20代、師の太田省吾の沈黙劇の生まれる現場で、30代、自分の劇を作ろうとした現場で、手探りで始めたワークショップの現場で、それまで形を持たなかったものが形となって表れ、言いあてられることのなかった思いが言いあてられ、多くの視線にさらされながら「表現」となって生まれるその瞬間はいつも、混沌とした、端から見たら無駄とも思えるような多くの非効率な時間の中にあった。
芸術表現は効率化されうるものなのか?効率化されうるとしたらそれは芸術表現と言えるのか?
体の中で起きる反乱を、わたしは容易に制することができない。
円ばかりの話ではない。経済効率優先の市場原理だけでは守れないものを守る役割を果たすべき「公共」の劇場さえもワークショップの効率化を求めている。
回数の制限、プログラムのシステム化、紹介ワークショップの増産。
この問いに出会うたびにもんもんとする。
それでも。
反乱の着地点。「やれないよりはまし。」
霞を食って生きていければ、誰だって自分を貫ける。
ブレヒトのガリレオは生きのびるために地動説を否定した。
「魂を売るくらいなら死んだほうがまし。」わたしもその純粋さを美しいとはけっして思わない。
逆境の時代をしたたかに生き延び、ガリレオはその魂をこっそりと手渡すべき者に手渡した。
Kさんは、わたしたちが各地で行っている「産み育て/子育てワークショップ」を取材してくださっていて、この日も翌朝早くに水戸の産み育てワークショップの担当者のFさんにインタビューに行くということで、うちに泊まっていただいたのだが、その時のはなし。
Kさんはわれわれのワークショップを研究対象にしてくださっているのだが、それはなぜなのか、現場はいつもせわしなく時間に追われていて、それまでそんな話を聞いたことはなく、夫と子どもが寝静まったこの夜、初めてその理由を聞いた。
KさんはNPOで演劇ワークショップの企画や研究をされているわけだが、ワークショップというものはだいたい公からの助成金で行われている。それが民主党時代の「事業仕分け」で、Kさんたちの助成金も仕分けられてしまったのだという。初めは腹立たしく思っていたKさんは、仕分け人にその意義を問われた担当者が事業の必要性を訴えられなかったのは、そもそも助成金をもらった側がそれを分かりやすい形でまとめ、示すことを怠っていたから、つまり自分たちの怠慢ではないか、という考えに行きつく。そこで助成金を出している人たちを納得させられるような成果を目に見える形にすることを目的としたワークショップの研究を同業者に呼びかけたところ、そんな暇はない、と消極的な返事が返ってきたという。現場に関わる者としては、そう答えざるを得ない事情もよくわかる。
(たとえば水戸の担当者のFさんは企画制作から当日の受付や記録まで、ほとんど一人でこなしている。それは肝心のワークショップ初日に胃腸炎にかかって倒れてしまうくらいのハードワークだった。いくら若くて元気でモチベーションが高くても限度というものがあるし、そんなやり方では仕事を長く続けられるわけがない。)
Kさんに話をもどすと、Kさんはそこでたった一人でその研究を始めた。
「わかりやすい形」とはどんな形なのか。まずは数値化してみせることが一番手っ取り早く、今はストレス指数だとか、いろんなものが数値化できるようになってきていて、それを使って、ワークショップのビフォーアフターでその数値にどんな変化がでたか、統計をとって示せるのではないかとKさんは考えていた。もちろん演劇とはそんなに簡単に数値化できるものでも、それで片付けられるものでもないと分かってはいるが、少なくともお金を出している人たちを納得させられなければ、ワークショップの活動自体ができなくなってしまうから、とKさんは言った。
Kさんの行動力はほんとうにすごい。会いたい人がいれば紹介なしに、自分で連絡をつけてさっさと会いにいく。
わたしはKさんの活動にできるかぎり協力したいと思った。
最近この話を思い出すようなことに頻繁に遭遇する。
所属する演劇集団円の研究生の前期授業を去年から担当している。
去年は一年目ということでか、けっこう好きにやらせてもらった。
わたしにとって「演劇」は「演劇」で、正直な話、研究生の誰が円に残ろうが残るまいが、そんなことはどうでもいいと思っている。集団に所属できても演劇をやっていない人はいっぱいいるし、残れずともその後もさかんに演劇活動をしている人もいっぱいいる。どこにいたって今の日本ならば、演劇はやろうと思えばやれるものだと思うし、就職したり他の仕事を選んだからといって演劇活動をあきらめる必要もない。アマチュアの野球グループはいっぱいあるし、プロでなくても俳句や短歌をする人もいっぱいいるし、まあそういうのを「趣味」というのかもしれないけど、「演劇が趣味」だってぜんぜんいいと思う。
自分がそれに触れていたいと望むなら、きっとその方が幸せに生きられる。
他の表現芸術と同様、「演劇」は「毒」をはらみ、微量の毒薬は薬となって触れるものに生きる力や知恵を授ける。
というわけで技術はいっさいおしえない、みんな身ひとつで面白い「表現」、人の心にとどく「表現」とはなんなのか、文字通り「体当たり」でぶつかる本気勝負の授業になった。そしてそれぞれの発表のあと、全員で発表者の表現について分析しあった。本当に面白い授業だった。
しかし相手は50数名、2クラスで合計6時間の授業のはずが、時間内に終わることはまずなく、だいたい両クラス1時間ずつオーバーして、合計8時間、お昼ごはんを食べる時間すらほとんどとれず、オーバーワークで毎週のように授業中に持病の発作がでては、みんなに心配をかけながらなんとか前期の授業を終えたのだった。
前期終了後、研究所所長からわたしの授業について評価があった。
その結果、わたしは今年も採用になったものの、去年と同じやり方は御法度になった。「去年のやり方は少人数ならいい、しかし50数名相手でやるのは無理だし、救える者も救えなくなってしまう」と所長は言った。
その言葉の意味を体で理解できるようになってきたのは最近のことだ。
ようするに所長が望んだのは「授業の効率化」である。
具体的には、既成の戯曲をある程度新劇的な演技方法を使って演じ最後に発表会をする、という一般的な実習のスタイルの提案だった。
「イエス・キリストだって言ってるよ。船にのせられる人数が決まっているのに、全員乗せようとしたら結局は一人も救うことはできない。でももし5人乗せられるとしたら、5人は救えるんだ。全員救いたいなんていうのは、それは子どもの干渉だよ。」
でも授業の初めはワークショップを少しやってもいい、ということで、4月にスタートした授業も、所長の度々の介入によって、修正を繰り返し、結局、所長の提案通りのスタイルにおさまった。
去年ほどの面白さはなくなったが、体と生活は楽になった。
円は公共の劇団ではなく、民間の劇団(正確には「劇団」ではなく「集団」であるが)であり、研究所の目的はプロとして俳優を仕事にできる人材の発掘と育成である、という目的がはっきりと授業に表れてきた。
「ちゃんと彼らを大人として扱うんだ。」こんなプロ意識に再会したのは、本当にひさしぶりのことだった。
「効率化しないとまわらない」という所長の言葉は、頭ではわかっていた。
しかし、芸術創造の非効率性をおぼえこんでしまっている体はなかなか言うことをきかない。
20代、師の太田省吾の沈黙劇の生まれる現場で、30代、自分の劇を作ろうとした現場で、手探りで始めたワークショップの現場で、それまで形を持たなかったものが形となって表れ、言いあてられることのなかった思いが言いあてられ、多くの視線にさらされながら「表現」となって生まれるその瞬間はいつも、混沌とした、端から見たら無駄とも思えるような多くの非効率な時間の中にあった。
芸術表現は効率化されうるものなのか?効率化されうるとしたらそれは芸術表現と言えるのか?
体の中で起きる反乱を、わたしは容易に制することができない。
円ばかりの話ではない。経済効率優先の市場原理だけでは守れないものを守る役割を果たすべき「公共」の劇場さえもワークショップの効率化を求めている。
回数の制限、プログラムのシステム化、紹介ワークショップの増産。
この問いに出会うたびにもんもんとする。
それでも。
反乱の着地点。「やれないよりはまし。」
霞を食って生きていければ、誰だって自分を貫ける。
ブレヒトのガリレオは生きのびるために地動説を否定した。
「魂を売るくらいなら死んだほうがまし。」わたしもその純粋さを美しいとはけっして思わない。
逆境の時代をしたたかに生き延び、ガリレオはその魂をこっそりと手渡すべき者に手渡した。