今年は、若い死が2回あった。それでまたぼんやりと人生について考えている。
最近、というか40才をすぎたあたりから、「人生」について考えることが増えた。「増えた」というか、たぶんそれ以前と「人生」に対する考え方が変化した、ということかな。
40を過ぎた頃から、ということはわたしの場合、子どもを産んだ頃から、ということになる。
年をとったこともあったし、子育てをしたことも、両方がかさなったからかもしれない。
なんとなく「自分の人生」というものが見えた感じがした。
なぜ自分がこれまでこんな人生を歩んできたのか、どれもこれもが納得のいくことに思えた。
人はみんな、ある特定の地域の特定の環境に、特定の親のもとに生まれてくるわけだけど、それでもうある程度のことが最初に規定されてくる。土地の文化や風習、大家族、核家族、商店、会社員、裕福、貧乏、親の、子どもへの接し方、しつけ、願い、などなど。
40を過ぎてまわりを見渡すと、みんないろんな人生を歩んでいて、いろんな人生があるんだなあと本当にその不思議さに思わず沈黙してしまうけど、自分をみても、人をみても、みんなちゃんとそれぞれ「試練」を与えられて生まれてきているように思える。
自分の人生の苦しみやトラウマ、喜びや成長もその多くは子ども時代に起因していることは、なんとなく感じてはいたけれど、子どもを育ててみてそれがはっきりとわかった。わたしの両親は、わたしに自分の好きなようにさせていた。子どものわたしのしたいようにさせていた。たぶんどんなこともわたしが自分の意志で始めたことはやめさせたりしなかった。なので、保育園に入ると、わたしはとっても「変わった子」として周囲から見られるようになっていった。自分がしていることを否定されたり、やめさせられたりする体験を、わたしは家の外でした。子どもの頃から「わが道をいく」タイプとして育ったおかげで、「出る杭は打たれる」ような経験は人よりたくさんしてきたと思う。
それから、親からは「男女は平等」という考えを生活の中ですり込まれていた。女の子だからということで女の子らしい習い事や服装、ふるまいや遊びを強いられたことはなく、女の子のようにかわいかった弟にも男らしさを要求していたことはない。むしろわたしには「弁護士になってほしい」などと、こちらが唖然とするような期待を口にすることもあったから、女の子でも、社会で活躍するような職業についてほしい、という親の願いをわたしは無意識にキャッチし続けていたのかもしれない。
というわけで当然、男と女は平等で、もちろんわたしも大人になったら仕事をするのが当然、女の子らしく「お嫁さんになる」なんて考えは頭の中にほんのちょっとも浮かんだことはなかった。
演出家として働くようになってから少しは女性というハンディを感じたことはあったが、それもなんとか克服できたし、働く上でとくに男女が不平等だと感じたことはなかった。しかし結婚して子どもを産んでみると、それまで信じてきた「男女平等世界」はもろくも一瞬で崩れ去った。自分の置かれた状況が理解できず、軽いパニックに陥った。
「としまで子育て」以降、いろんな人へのインタビューで見えてきたことは、自分の女性性の受容がスムーズだったり、結婚して子どもを産むことを自然と考えている女性は、やはり親からの「女の子はそれでいい」というメッセージを生活の中で受け取りながら成長してきていたり、つまり、みんな親の願いを意識的にも無意識的にも受け取りながら生きている、ということだった。
たとえばたったこれだけをとってみても、子どもの頃にその後の人生の一因をみてとることができるのだ。
あげていけばもっともっと他にも、つじつまが合うことはたくさんある。
自分がこれまで人生でできたこと、できなかったこと、なんだか可笑しいくらいに納得してしまう。でまあ、そんなものだ、という感じかな。自分の生まれてきた環境やたどってきた道、時代にしばられながら生きるしからないわけだけど、まあそれはそれでなんだか面白いような気もしているし、とはいえこれからまだ自分の心境がどんなふうに変化していくのか、ちょっと楽しみでもある。
でわたしは自分の子どもには、はじめに「ひとりっこ」という試練を与えている。でも「試練」はそんなに悪いものでもないと思う。わたしは彼より大きな試練を受けて生まれ育ったけど、その「試練」があったから今の自分があるし、今やっていることもある、これは絶対にそう思える。でもたぶん、その試練を乗り越えようとする意志と力も同時に授かってきたんだろうな。そこは自分もちゃんとしなくちゃな、と思う。
先日亡くなったいとこは47才。ふたりの小学生の男の子のお母さんだった。10年前、下の子を授かったときに見つかった子宮頸癌はもう手遅れなまでに進行していた。上の子と下の子は2才か3才違いで、上の子の時には異常はなかったようだから、たった2、3年の間にそれほどまでになってしまっていたと思うと、本当に恐ろしい。最後の4年間はとてもきつい闘病生活だったという。
そして3月には、50才を前に義妹の旦那が亡くなった。上の子は高校、2番目は中学生、一番下は3才。3年前に肺気腫になり、その後肺癌になった。癌が見つかってから、たった2年でいなくなった。
まだ幼い子どもを残して逝ったふたりはどんな思いだっただろう。たとえば今、わたしは家族を残していなくなることができるだろうか、ふと考えてみる。寝ている子どもの小さな手を握りながら。
急にいなくなってしまう、短い人生もある。その子どもたちの試練は大きい。
最近、というか40才をすぎたあたりから、「人生」について考えることが増えた。「増えた」というか、たぶんそれ以前と「人生」に対する考え方が変化した、ということかな。
40を過ぎた頃から、ということはわたしの場合、子どもを産んだ頃から、ということになる。
年をとったこともあったし、子育てをしたことも、両方がかさなったからかもしれない。
なんとなく「自分の人生」というものが見えた感じがした。
なぜ自分がこれまでこんな人生を歩んできたのか、どれもこれもが納得のいくことに思えた。
人はみんな、ある特定の地域の特定の環境に、特定の親のもとに生まれてくるわけだけど、それでもうある程度のことが最初に規定されてくる。土地の文化や風習、大家族、核家族、商店、会社員、裕福、貧乏、親の、子どもへの接し方、しつけ、願い、などなど。
40を過ぎてまわりを見渡すと、みんないろんな人生を歩んでいて、いろんな人生があるんだなあと本当にその不思議さに思わず沈黙してしまうけど、自分をみても、人をみても、みんなちゃんとそれぞれ「試練」を与えられて生まれてきているように思える。
自分の人生の苦しみやトラウマ、喜びや成長もその多くは子ども時代に起因していることは、なんとなく感じてはいたけれど、子どもを育ててみてそれがはっきりとわかった。わたしの両親は、わたしに自分の好きなようにさせていた。子どものわたしのしたいようにさせていた。たぶんどんなこともわたしが自分の意志で始めたことはやめさせたりしなかった。なので、保育園に入ると、わたしはとっても「変わった子」として周囲から見られるようになっていった。自分がしていることを否定されたり、やめさせられたりする体験を、わたしは家の外でした。子どもの頃から「わが道をいく」タイプとして育ったおかげで、「出る杭は打たれる」ような経験は人よりたくさんしてきたと思う。
それから、親からは「男女は平等」という考えを生活の中ですり込まれていた。女の子だからということで女の子らしい習い事や服装、ふるまいや遊びを強いられたことはなく、女の子のようにかわいかった弟にも男らしさを要求していたことはない。むしろわたしには「弁護士になってほしい」などと、こちらが唖然とするような期待を口にすることもあったから、女の子でも、社会で活躍するような職業についてほしい、という親の願いをわたしは無意識にキャッチし続けていたのかもしれない。
というわけで当然、男と女は平等で、もちろんわたしも大人になったら仕事をするのが当然、女の子らしく「お嫁さんになる」なんて考えは頭の中にほんのちょっとも浮かんだことはなかった。
演出家として働くようになってから少しは女性というハンディを感じたことはあったが、それもなんとか克服できたし、働く上でとくに男女が不平等だと感じたことはなかった。しかし結婚して子どもを産んでみると、それまで信じてきた「男女平等世界」はもろくも一瞬で崩れ去った。自分の置かれた状況が理解できず、軽いパニックに陥った。
「としまで子育て」以降、いろんな人へのインタビューで見えてきたことは、自分の女性性の受容がスムーズだったり、結婚して子どもを産むことを自然と考えている女性は、やはり親からの「女の子はそれでいい」というメッセージを生活の中で受け取りながら成長してきていたり、つまり、みんな親の願いを意識的にも無意識的にも受け取りながら生きている、ということだった。
たとえばたったこれだけをとってみても、子どもの頃にその後の人生の一因をみてとることができるのだ。
あげていけばもっともっと他にも、つじつまが合うことはたくさんある。
自分がこれまで人生でできたこと、できなかったこと、なんだか可笑しいくらいに納得してしまう。でまあ、そんなものだ、という感じかな。自分の生まれてきた環境やたどってきた道、時代にしばられながら生きるしからないわけだけど、まあそれはそれでなんだか面白いような気もしているし、とはいえこれからまだ自分の心境がどんなふうに変化していくのか、ちょっと楽しみでもある。
でわたしは自分の子どもには、はじめに「ひとりっこ」という試練を与えている。でも「試練」はそんなに悪いものでもないと思う。わたしは彼より大きな試練を受けて生まれ育ったけど、その「試練」があったから今の自分があるし、今やっていることもある、これは絶対にそう思える。でもたぶん、その試練を乗り越えようとする意志と力も同時に授かってきたんだろうな。そこは自分もちゃんとしなくちゃな、と思う。
先日亡くなったいとこは47才。ふたりの小学生の男の子のお母さんだった。10年前、下の子を授かったときに見つかった子宮頸癌はもう手遅れなまでに進行していた。上の子と下の子は2才か3才違いで、上の子の時には異常はなかったようだから、たった2、3年の間にそれほどまでになってしまっていたと思うと、本当に恐ろしい。最後の4年間はとてもきつい闘病生活だったという。
そして3月には、50才を前に義妹の旦那が亡くなった。上の子は高校、2番目は中学生、一番下は3才。3年前に肺気腫になり、その後肺癌になった。癌が見つかってから、たった2年でいなくなった。
まだ幼い子どもを残して逝ったふたりはどんな思いだっただろう。たとえば今、わたしは家族を残していなくなることができるだろうか、ふと考えてみる。寝ている子どもの小さな手を握りながら。
急にいなくなってしまう、短い人生もある。その子どもたちの試練は大きい。