阿部初美のブログ

演劇の演出家です。

2013年11月

人生

今年は、若い死が2回あった。それでまたぼんやりと人生について考えている。

最近、というか40才をすぎたあたりから、「人生」について考えることが増えた。「増えた」というか、たぶんそれ以前と「人生」に対する考え方が変化した、ということかな。
40を過ぎた頃から、ということはわたしの場合、子どもを産んだ頃から、ということになる。
年をとったこともあったし、子育てをしたことも、両方がかさなったからかもしれない。
なんとなく「自分の人生」というものが見えた感じがした。
なぜ自分がこれまでこんな人生を歩んできたのか、どれもこれもが納得のいくことに思えた。
人はみんな、ある特定の地域の特定の環境に、特定の親のもとに生まれてくるわけだけど、それでもうある程度のことが最初に規定されてくる。土地の文化や風習、大家族、核家族、商店、会社員、裕福、貧乏、親の、子どもへの接し方、しつけ、願い、などなど。
40を過ぎてまわりを見渡すと、みんないろんな人生を歩んでいて、いろんな人生があるんだなあと本当にその不思議さに思わず沈黙してしまうけど、自分をみても、人をみても、みんなちゃんとそれぞれ「試練」を与えられて生まれてきているように思える。
自分の人生の苦しみやトラウマ、喜びや成長もその多くは子ども時代に起因していることは、なんとなく感じてはいたけれど、子どもを育ててみてそれがはっきりとわかった。わたしの両親は、わたしに自分の好きなようにさせていた。子どものわたしのしたいようにさせていた。たぶんどんなこともわたしが自分の意志で始めたことはやめさせたりしなかった。なので、保育園に入ると、わたしはとっても「変わった子」として周囲から見られるようになっていった。自分がしていることを否定されたり、やめさせられたりする体験を、わたしは家の外でした。子どもの頃から「わが道をいく」タイプとして育ったおかげで、「出る杭は打たれる」ような経験は人よりたくさんしてきたと思う。
それから、親からは「男女は平等」という考えを生活の中ですり込まれていた。女の子だからということで女の子らしい習い事や服装、ふるまいや遊びを強いられたことはなく、女の子のようにかわいかった弟にも男らしさを要求していたことはない。むしろわたしには「弁護士になってほしい」などと、こちらが唖然とするような期待を口にすることもあったから、女の子でも、社会で活躍するような職業についてほしい、という親の願いをわたしは無意識にキャッチし続けていたのかもしれない。
というわけで当然、男と女は平等で、もちろんわたしも大人になったら仕事をするのが当然、女の子らしく「お嫁さんになる」なんて考えは頭の中にほんのちょっとも浮かんだことはなかった。
演出家として働くようになってから少しは女性というハンディを感じたことはあったが、それもなんとか克服できたし、働く上でとくに男女が不平等だと感じたことはなかった。しかし結婚して子どもを産んでみると、それまで信じてきた「男女平等世界」はもろくも一瞬で崩れ去った。自分の置かれた状況が理解できず、軽いパニックに陥った。
「としまで子育て」以降、いろんな人へのインタビューで見えてきたことは、自分の女性性の受容がスムーズだったり、結婚して子どもを産むことを自然と考えている女性は、やはり親からの「女の子はそれでいい」というメッセージを生活の中で受け取りながら成長してきていたり、つまり、みんな親の願いを意識的にも無意識的にも受け取りながら生きている、ということだった。
たとえばたったこれだけをとってみても、子どもの頃にその後の人生の一因をみてとることができるのだ。
あげていけばもっともっと他にも、つじつまが合うことはたくさんある。
自分がこれまで人生でできたこと、できなかったこと、なんだか可笑しいくらいに納得してしまう。でまあ、そんなものだ、という感じかな。自分の生まれてきた環境やたどってきた道、時代にしばられながら生きるしからないわけだけど、まあそれはそれでなんだか面白いような気もしているし、とはいえこれからまだ自分の心境がどんなふうに変化していくのか、ちょっと楽しみでもある。

でわたしは自分の子どもには、はじめに「ひとりっこ」という試練を与えている。でも「試練」はそんなに悪いものでもないと思う。わたしは彼より大きな試練を受けて生まれ育ったけど、その「試練」があったから今の自分があるし、今やっていることもある、これは絶対にそう思える。でもたぶん、その試練を乗り越えようとする意志と力も同時に授かってきたんだろうな。そこは自分もちゃんとしなくちゃな、と思う。

先日亡くなったいとこは47才。ふたりの小学生の男の子のお母さんだった。10年前、下の子を授かったときに見つかった子宮頸癌はもう手遅れなまでに進行していた。上の子と下の子は2才か3才違いで、上の子の時には異常はなかったようだから、たった2、3年の間にそれほどまでになってしまっていたと思うと、本当に恐ろしい。最後の4年間はとてもきつい闘病生活だったという。
そして3月には、50才を前に義妹の旦那が亡くなった。上の子は高校、2番目は中学生、一番下は3才。3年前に肺気腫になり、その後肺癌になった。癌が見つかってから、たった2年でいなくなった。
まだ幼い子どもを残して逝ったふたりはどんな思いだっただろう。たとえば今、わたしは家族を残していなくなることができるだろうか、ふと考えてみる。寝ている子どもの小さな手を握りながら。
急にいなくなってしまう、短い人生もある。その子どもたちの試練は大きい。





産み育て3都市文通プロジェクトvol.2

10月から開催中の、「産み育てを考えるワークショップ〜北九州・世田谷・水戸をめぐる文通プロジェクト」は、昨日の水戸で各都市、第2回目までを終えました。
1回目は各地域で地域ごとのテーマだしをして、2回目はそのテーマで、それぞれ3つの人形劇を製作しました。「人形劇」といっても、このワークショップは「誰でもできるような簡単な演劇の手法を使って」という趣旨でやっているので、とくになにか難しいことをするわけではなく、子どもの頃に誰もがやったことのある「お人形遊び」「ごっこ遊び」の延長のようなものです。
しかし大人になっちゃうとただのこんな遊びも難しくなっちゃったりするんですよねー。
各地のみなさん、たいへんだったと思います、短い時間でよくがんばってくださいました

全体のバランスをみて各地のスタッフと検討した結果、それぞれテーマは以下のようになりました。
1の「働く」はやはり水戸でもあがって、全国共通テーマになっています。
2番目は各地の「地域の子育て」がテーマ、3番目はその地域独自のテーマというふうになっています。

世田谷パブリック・シアター

1、働く

全国待機児童率ワースト1の世田谷はやはり、子どもをもった女性の働きにくさが表現されました。
2、孤(独な子)育て
地域には知り合いもほとんどいない、実家も遠い、夫は仕事で家にいないし育児は妻にまかせっきり、病気してもなにがあっても助けてくれる人もいない、母子ふたりきり。都市の孤独な子育て。
3、子育て観の違い
分娩は無痛?普通?、抱っこ?おんぶ?、おやつはマック?無添加?子育てにまつわる考え方の違い、どう考えたらいいの?


北九州芸術劇場・昼の部

1、働く 
子育てはたいへんなのに、会社の同僚や夫からは「一日中なにしてるの?」「家にいられていいね」と言われてしまいます。北九州は待機児童数は低め。働きにでるまでのプロセスが困難、というよりも、仕事と家事育児の両立が体力的な困難がクローズアップされました。
2、表現力 
子どものことは大切に思ってるのに、いつも爆発して怒ってばかり。ほかの表現方法ってないの?子どもたちのいうこときかなさぶりがすごいリアル。。。
3、子どもは3人
北九州には1世帯に子どもが3人というのはけっこうふつうです。参加者の中にも3名いらっしゃいました。3人の子どもを育てるって、どんな感じなんでしょう?


水戸芸術館

1、働く
みんな子どもをあずけて働くの?「そんなにがつがつするのも違うんじゃないかなあ」「子どもが小さいうちは働かずにずっといっしょにいたいと思うわたしはダメ人間?」「ずっと子どもとふたりきりはつらいから、本当は外にでたほうがいいのかもしれないけど、夫にも家にいてほしいって言われてるし、子どもにも幼稚園行きたくないって泣かれちゃったし」。水戸の「働く」はまたちょっと悩みが違います。
2、同調圧力
幼稚園派、保育園派、自然派、都市派、セレブ系、庶民派?、それぞれの立場によって、ママ友グループは自然に分かれ、「○○っていいよね!?」「そうだよねー」「うん」、会話には常に同調圧力がかかります。「そう思わない自分てへんなの?」「わたし、へんじゃないよね?」いま若い世代が苦しんでいる「空気読む(=嘘をついても周囲の意見に合わせて浮かないようにする)」にお母さんたちも苦しんでいる?
3、昔の子育て
昔の子育ては孤独じゃなかった。助け合いはあたりまえ、子どもをよそのうちにあずけたり、家には鍵もかかってなかった。空気読むなんてしないし、自然体。幼稚園お迎えの時の井戸端会議は本当に楽しかった。50-60代の参加者のみなさんに「昔の子育て」を表現していただきました。「そんなに昔じゃないけど!」そうですね、失礼しました。。

振返ると、記憶が新しい順にコメントが多くなりましたね。。トップバッターの世田谷がもうずいぶん前のことのような気がします。

こんな感じの人形劇が各地で3つずつ製作されました。
で3回目は、それぞれ他地域から届いた人形劇合計6本のひとつひとつに感想を撮影します。
ふだんなかなか知ることのない他地域の子育ての様子が見られるのはとても楽しみですね
来週、北九州からのスタートになります。


北九州・夜の部

台風で初回がお休みになってしまった北九州夜の部は、2回目が初回となりました。やはり予想通り、夜の部の年齢層は高くなりましたが、おひとりお子さん3人連れでいらっしゃったお母さんが。小学生2人のおねえちゃんたちは、ワークショップ会場でまずは宿題、上のおねえちゃんは宿題が終わるといちばん下の1才のちびちゃんの面倒をみて、下のおねえちゃんは一緒にシアターゲームに参加したり、まーなんともすてきなワークショップの風景でした。昨年度の参加者で「かっこいい北九州の母」と称され大活躍だった数学者のMちゃんも遊びにきてくれて、嬉しい再会もありました。
昨年度のワークショップはどの地域もお話から始めていたのですが、今年度はシアターゲームを取り入れつつ進行しているので、夜の部でもまずは自己紹介もなしにシアターゲームをしていただいたところ、夜の部の参加者のみなさんの元気にはビックリ、平均年齢の高さにもかかわらず、今までで一番にぎやかで運動量の多いゲームになりました。
北九夜の部の文通はちょっと他と違って、自分たちで人形劇を作って発信するのではなく、各地から届く人形劇に対して、子育て渦中から少し距離のあるところから感想を発信するという役割を担っていただくことになります。
次週火曜日には北九昼の部と合わせて計9本の人形劇を観劇して感想を撮影します。
その次の3回目には、1回目の最後に出していただいたトピックを、またなにか演劇的な手法を使って考えていきたいと思います。今回は貴重な男性参加者Jさんから「産み育ては本当に必要?」という根本的なテーマもあがっています。
で、4回目には、北九昼の部のみなさんから、夜の部のみなさんの感想に対するお返事がビデオレターとして送られてきますので、それを観賞、という流れになります。

以上、3都市文通プロジェクトの進行状況のご報告でした。






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