阿部初美のブログ

演劇の演出家です。

2016年09月

「マキララ」終了

今週月曜、「マキララ」が終了しました。
2週間に渡る土日月土日月の6日間の展示でしたが、はじまってみたら毎日毎日たくさんのお客様にお越しいただいて、ご挨拶したり、会場案内をしたり、J-waveでお話させてもらったり、パーティがあったり、産み育ての仲間が泊りがけで見にきてくれたり、めまぐるしくあっという間に過ぎていった6日間でした。
終わってからは疲れがどどっとでて三日間へたばってましたが、まだ疲れが抜けず、この文章を書いていても気力が続かないので、またあらためて続きを書きたいとおもいます。。

とりあえず、ご来場いただいたみなさま、ご出演、ご協力いただいたすべてのみなさまに感謝いたします。ありがとうございました!

Their history,to be our story

Their history,to be our story  ~海を渡ったご先祖さまたち      

 

 わたしたちの祖先は、いつ、どこからこの島にやってきたのでしょうか。現在、地球上に暮らす人類すべての遺伝子をたどっていくと、アフリカのひとりの女性にたどりつくと言われています。そしてアフリカを出た人類は、地球上に広がり始め、ここ日本という島にも海を渡ってきたということです。

 この島に「在来住人」として暮らすわたしたちのご先祖さまたちも、さまざまなところから海を渡ってきた人々だったわけですが、しばらくの時を経て1980年代頃から、この島の南西、台湾の向こうの島々から、また海を渡ってきた人々がいました。

 「在日フィリピン人」とよばれる人々です。

 今回わたしたちは、その「在日フィリピン人」のみなさんとの交流を通して、展示作品を作ってきました。そしてその交流の中で、こんなに近い国でありながら、フィリピンという国のこと、日本とフィリピンの関係について、本当に知らないことが多いとあらためて気づいたのです。

 

 日本とフィリピンの関わりは、スペインがフィリピンを植民地化した16世紀に遡ります。当時行われていた朱印船貿易の影響で、東南アジアには多くの日本人が移り住み、マニラなどにも日本人町があったといいます。また20世紀初頭には、農地経営のため日本人労働者が大量に移民、フィリピンには一万人を越える日本人街があったようです。そして第二次世界大戦では、当時アメリカの植民地であったフィリピンに日本軍が侵攻、終戦までの4年間に10万人を超えるフィリピンの人々が犠牲になりました。

 その後、1973年に国交が回復、翌194年、当時のマルコス政権が、国内の失業対策として出稼ぎ労働者の輸出を政策の柱とすると、戦前とは逆に今度はフィリピンの方からたくさんの人々が日本にもやってきました。「エンターテイナービザ」を持ったエンターテイナーとして、その多くは女性たちでした。

 

 今回インタビューにこたえてくださった方々の中にも、そのようにして日本に来られた方々がたくさんいます。来日の際には、戦争の記憶や、日本でのフィリピン人女性殺害事件の影響から、日本に来ることを家族に反対された方もいました。それでも家族を養うため、仕事のために日本にやってきて働き、そこで出会った日本人男性と結婚、家庭を持ち、子どもを産み育て、そして今も、この島で日々わたしたちとともに暮らしています。

 近い将来、その子どもたちにもまた子どもが生まれ…そうして彼女たちは、われわれの住む島の、比較的新しい「ご先祖さま」になっていくんですね。

 

 さて、日本には「郷においては郷に従え」という言葉があります。その言葉の通り、フィリピーノのみなさんも、普段は日本人の規範に合わせて生活されていますが、今回のインタビューでは、普段あまり表には出さないフィリピン人としてのアイデンティティや文化について、たくさんのことを語ってくれました。

 そこには今のわたしたちにはない、あるいは過去のどこかに置き去りにしてきた「生きていくための知恵」や、よりよく生きるための心がけがたくさんありました。みなさんの言葉は鏡となって、今の自分の生活や心のあり方について、自分自身と深く対話する時間をわれわれにプレゼントしてくれたのです。そう考えると「郷においては」と、郷の外から来た人に安易に要求することは、郷の人間にとって損になることもあるかもしれませんね。

 しかしこの日本も、このまま少子化が進めばいずれは無人島になってしまうという研究結果もあるようですし、そうなったらわれわれ、もしくはわれわれの子孫も、いずれ海を渡ってよその国に移住しなければならない日がやってくるかもしれません。その時フィリピーノのみなさんはわたしたちの「先輩」になるわけですから、外国に移住すると人はどんな体験をするのか、先輩方の話をよく聞いて、今、そしてこの先、わたしたちにはなにができるのか、考えるきっかけにできればと思います。

 

 この企画は、わたしは今年初めての参加となりましたが、IMM音まちが2014年から継続してきたもので、その中の学生の1人、森本菜穂さんは「ミイラとりがミイラになる」ほど、フィリピンのみなさんにホレコミ、クリスチャンでもないのに現在も毎週のようにみなさんの通う足立区にある梅田教会のミサに通っており、そこでできた彼女とみなさんとの信頼関係の上にこそ成り立ったものでした。

 最後になりましたが、カトリック教徒でもない「ヨソ者」のわれわれを受け入れてくださり、ご出演、ご協力いただいた梅田教会に通うフィリピーノのみなさん、信者のみなさん、企画を滞りなく進めるためにたくさんのご助言をいただいた荒川神父に、あらためて謝意を表したいと思います。ありがとうございました。


詳細情報は以下⇩

アートアクセスあだち音まち IMM 「フィリピンからのひとりひとり マキララ-知り、会い、踊る-」

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