まもなく2017年も終わり。今年はちょっと異色な年だった。なんというか、ここ数年続いたことが終わり、また新しい時間が始まる、その狭間のような。大げさに言えば、2017年のテーマは「死と再生」みたいなものだった。
なぜか家電が立て続けに壊れて、修理にだしたり買いかえたり、そういう時が人生には時々ある。
ここ10年以上かからなかったインフルエンザにかかったり、今まで年に1、2度だった持病の発作が何度も立て続けに出たり、なんとなく体力が落ちてきて、やる気が起きなかったり、気持ちが引きこもり気味になったり。こんなに気持ちが後ろ向きになるのはなぜ???と不思議だったけど、どうしようもないのでそのまま放っておいた。

去年、子どもが小学校に入学して以来、生活が大きく変わった。とくに去年ははやく済ましておいたほうがいいと言われてかってでたPTA役員の仕事で、月に何度も学校に通ったり、全く知り合いのいない小学校の親たちの中に入り、すでに形成されている多数派の付き合い方の文化の中で、ぎくしゃく過ごしたり、モノや時間の管理のまだできない子どもに、むりやり宿題をやらせたり、忘れ物チェックをしたり、途中から入った学童のルールをおぼえたり、お友だちとの関係を心配したり、なにもかもが新しいことだらけで、やっとそれに慣れるまでに、子どもと夫ともども一年の歳月がかかった。そして、それと同時にひさしぶりの新作、マキララの製作が平行していた。
そんな2016年が過ぎ、2017年に入ると生活も仕事も一段落、緊張の糸がきれて、その疲れが心身にどっとでたのかもしれない。

ひさしぶりに作品製作をしたマキララの後は、とにかくまた仕事がしたくて仕方がなくなり、その思いは、めずらしく自分でも抑えるのに困るほどのものだった。産後始めて、子どもがいなかったらどれだけ仕事ができただろうか、という考えがふと頭をよぎって、そういう思いが自分の中に浮かんできたことにまたショックを受け、すっかり落ち込んでしまった。子どもを産んだことに対する後悔なんて絶対になかったし、自分を犠牲にして子育てを選ばざるを得なかった、また選んだことを肯定してきたのに。生きているといろんな思いを経験するもんだなと思った。もちろん後悔はしていないけれど、あり得たかもしれないもうひとつの人生について考えたこと、これは初めての経験だった。
仕事はしたい、でも自由がきく時間はかぎられている。それにもしまた子どもになにかあって、仕事を休まなければならなくなった場合、仲間に迷惑をかけてしまう。そう考えると「仕事がしたい」という思いは自分の中に封印せざるを得ず、その思いは出口を求めて身体中をかけめぐり、なんとも苦しい日々が続いていた。
そんな時、ふと占いの看板に目が止まった。こういう時は占いがいい。なにしろ無責任だし、自分を客観的に見つめ直すきっかけになるし、占いにはカウンセリング的な効果があると思いよく足を運んでいたが、そういえば子どもが生まれてからはほとんど行ったことがなかった。必要なかったんだな。
占い師に悩みを告げると、「今のその苦しい経験はそのうち役に立つ日が来る」「あなたが逃げても仕事の方が追いかけてくるから大丈夫」と言ってもらえたおかげですっかり気分も落ち着いて、あわてずに子どもとの大切な時間を過ごそう、という気持ちになれた。たとえ当たるも八卦当たらぬも八卦であってもとにかく感謝です。
それに今年、不思議だったのは、これまでずっと心の中に残っていた、怒りと悲しみによってできた傷跡のような、わだかまりのようなものが、軽くなってすうっと、空の方へ消えていくような感覚があった。体が軽くなっていくのを感じた。「時が来た」のかもしれない。

その後心の浮き沈みはあるものの、体がきついのはとにかく困るので、対策を考えなければと思い、最近流行りの「インターバル速歩」なるものを始めてみた。すると評判通り、少し体力がもどってきたのを感じたが、夏になって暑くなると暑過ぎて歩くのも苦痛になって、またさぼりがちになってしまった。
夏はよく体がむくむ。夏のむくみをとろうとあれこれ試してみたけどあまり効果はなかった。
体は食べたものでできている。子どもがまだ保育園の頃、よく病気をもらってきてはわたしもうつって一緒に寝込んでいた。野菜はちゃんと食べてるのにおかしい、免疫力が下がっているに違いない、と思い、免疫をあげる「食」について、だいぶたくさんの本を読んで、おうちごはんのレシピを数年前にほとんど総入れ替えした。オメガ3、水素水、発酵食品、生野菜、低GI食品、酢玉ねぎ、オリゴ糖、寒天、とにかく免疫をあげる、腸を強くする食べ物をたくさん意識的にとるようになってからは、わたしも子どもも病気をしなくなった。熱を出すことはほとんどなくなり、風邪をひいても、初期に市販の薬をのめばすぐに復活するようになった。今年の初めにはひさしぶりに夫の会社の補助で人間ドックを受けさせてもらったが、結果はほぼすべて正常値だった。スゴイ!おそるべし食べ物。
食べ物で内科の病気はしなくなったけれど、それでも年とともにやってくる体力の衰えは防げないなんだなあ。年をとる、ということは今までなにも努力せずに維持できてきたことが、だんだん維持できなくなり、徐々に維持するための時間と労力を使わなければならなくなる、ということだ。
一時は夏の暑さや心の引きこもりですっかりさぼっていたインターバル速歩も、やっぱりやらないことには体力は維持できないと諦め、覚悟を決め、またマジメに取り組みはじめるとやっぱり体調はよくなった。
なにより、冬でも汗を掻くことがとても体にいい気がする。
今年は例年になく持病の片頭痛発作に見舞われた年でもあったけれど、インターバル速歩をマジメに始めてからはほとんど発作がでなくなった。片頭痛発作は血管の拡張が関係していて、季節の変わり目で気温差がはげしくなってくると、その調整がうまくいかなくなって、発作につながることも多い。速歩で汗をかいて水分をうまく外に出せるようにしておくことで、その調整がうまくいくようになっているのかなと思う。むくみの方はその後、水分とりすぎではなく、逆に脱水状態が原因だという説を見つけた。来年は水をたくさんとるようにしてみよう。

一方で、子どもとの生活については、近所や学童の子どもたちを見て、高学年の子どもたちはもうだいぶ大人っぽく、2年生になった子どもはまだ1年生に毛がはえたくらいのもんだけれど、こんなにかわいいのも、一緒に休日を過ごせるのもきっとあと数年なんだろうと思うと、今のうちに思い出を残しておきたい気持ちが強くなり、なにか面白いことはないか考えた。
数年前から夫がシフト制の部署に変わり、土日のどちらかを子どもと2人きりで過ごすことが増えたが、7歳の男の子の興味と47歳のわたしの興味はなかなか共通するものがなくて、お互いにそれほど楽しくない時間を過ごすこともあった。でもこうして残された時間が見え始めると、それはほんとうにもったいないことだと思った。

子どももわたしも一緒に楽しめるなにか。
考えて、ちょっといいアイデアが浮かんだ。それは、冒険とか探検に出かけることだった。遊園地やら人工的な施設はお金がかかるばかりでつまらない。できればワクワクするようなこと。そこで最初に思いついたのが「島探検」だった。子どもと2人でいくのに手頃な島があったのを思い出した。もうずいぶん前に一度だけいったことがある江ノ島だった。「島探検に行こう!」と誘うと、子どもはよろこんでついてきた。1時間以上乗らなければならない電車に子どもと2人きりで乗ることもすでに冒険だった(案の定、1時間が過ぎた頃には「もう帰りたい」と言い出した。。)けど、江ノ電に乗って、江ノ島水族館を見てから、江ノ島に歩いて渡り、仲見世のならぶ神社へ続く階段をどんどん登る途中でかき氷を食べたり、てっぺんのシーキャンドルにのぼったら歩いて降りるはめになったり、岩窟では暗い洞窟の中を手渡されたろうそくの明かりで進んだり、岩屋前で海辺の生き物を観察したり、それは珍道中ではあったけれど、本当にすてきな、忘れられない冒険になった。
島探検、洞窟探検が大成功だったことで、次は2人で海にいってみた。
さいたまに越してきてから海はごぶさただったから、もしかしたら子どもは海を怖がるかもしれないと思った。わたしが海の中へどんどん入っていくと、子どもは波打ち際で躊躇していたけど、そのうち慣れてくるとわたしについて浮き輪で深いところまでやってきて、おだやかな波を楽しむようになった。そうこうするうちにだんだん楽しくなってきたらしく、波打ち際で、「わーー!」と何度も喜びにみちた大声をあげ、波とたたかう(?)、子どもの姿はとても美しくちょっと感動的で、この姿はきっと、ずっと忘れないと思った。
それから次は夫も一緒に山へ、高尾山にのぼってみたり。
地底探検、湖探検、島探検、ほかにも行きたいところはたくさんあるけど、残された時間でどれだけのことができるだろう。

夜には、寝る前に児童文学を読んで、ファンタジーの世界を冒険した。今は「ニルスの不思議な旅」で、スウェーデンの空の旅を楽しんでいるが、文学としては今まで読んできた中で最高に面白く、ハイレベルなものだと思っていたら作者はやはりノーベル文学賞受賞者だった。この本はなんとスウェーデンで地理の教科書として書かれた物語だということを知って驚いたが、鳥の視点で国のあちこちを空から眺めながら、地上での様々な人々の生活や伝説が語られ、現実と夢幻の世界が交錯し、地理といえど、その土地の歴史や文化まで学ぶことができる、こんな地理の教科書はほんとうに素晴らしく羨ましいと思う。こんな教科書だったら、きっと子どもたちは夢中になるに違いないし、太字をおぼえるだけの丸暗記学習ではなく、自分の生きる世界について、自分たちの生活と直結した生きた本物の学習になるに違いない。

こうして、やや引きこもりがちだった2017ももうすぐ終わり。来年はまたちょっとオープンに、元気に、エネルギーがまわって、やりたいことを少しずつ形にしていけるといいなあ。
こんな一年の振り返りをブログに書く、なんてどんなもんだろうと思ったけれど、やはりちょっとでも外の世界、つまり社会とつながる場所に自分を置いておきたいという気持ちのあらわれなんだろう。むかしはネットなんてなかったのに、自分ひとりで自分に起こったことを受けとめる力が弱くなってきているのかもしれない。明らかに精神性が変化していることに戸惑いを感じつつも、ちょっとオープンなところに自分を置いて、今年を締めくくろうと思う。

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