阿部初美のブログ

演劇の演出家です。

2018年10月

産み育てWS in 札幌(リポート)

先月の鳥の演劇祭に続き、今月は札幌で「産み育てを考えるワークショップ」がスタートしました。
ファシリテーターは札幌で活動する劇作家・演出家の櫻井幸絵さんで、このワークショップをわたし以外の人もやってくれるようになって、嬉しいかぎりです。
札幌は第一回目だけ、わたしが進行役をさせていただきましたが、今回は、北九州芸術劇場でこのワークショップを行なった時に担当してくださり、一緒に現場をまわしてくださった野林眞佐美さんにもご同行いただきました。

札幌でこの「産み育てを考えるワークショップ」を引き継いでもらえたことから、櫻井さんとこの活動をもう少し広げていこうかと話がふくらみ、東京で子どもを産んで育てている何人かの俳優のみなさんに、このワークショップのファシリテーターをやってみたいかどうかたずねたところ、全員から「興味がある、やってみたい!」というお返事が返ってきたり、「具体的にはどんなことをしてるんですか?」と聞かれることも増えてきたので、札幌の第一回目の内容を具体的にまたここで紹介したいと思います。
また「もっと知りたい!」という方には、今まで全国5都市分の報告書や他にも資料が多数ありますので、FBかなにかでご連絡いただければ送付いたします。

●「産み育てを考えるワークショップ」とは?

簡単に言うと、「産み育て」つまり子どもを産んで育てることをみんなで考えるワークショップで、現代の核家族化によって、孤立しがちだったり、母親となった女性が働くことの難しさだったり、経済的な困難や、周囲とのトラブルやらなにやら、「子育て/産み育て」にまつわる問題を、できるだけ当事者だけでなく、関心のある人みんなで、つまりは個人の問題ではなく、社会の問題、地域の問題(問題ばかりじゃなくてもいいんですが)として考えていこうという趣旨で始まったものです。
それもただ集まって話し合うのでなく(時には話しだけで終わる日もありますが(^_^;)、演劇の手法をとりいれたプログラムの中で、みんなでグループに分かれて考えたことを表現して、お互いの作品を鑑賞してまたみんなで考えを深めていく、という内容になっています。
「演劇の手法」というのは、演劇には俳優がトレーニングに使う「シアターゲーム」とよばれるゲームがあり、それを誰にでもできる形にしたプログラムや、また誰でも子どもの頃にやったような人形を使ったごっこ遊びのような形で小さな劇を作ってみたり、時にはみんなで本を持ち寄って紹介したり読んでみたり、自分の子どもの頃の記憶をたどってみたり、子どもの体の動きや表情を真似して、子どもたちが感じていることを追体験してみたり、具体的にはこんなことです。

さてさてでは具体的に札幌1回目の様子をご紹介していきたいと思います。

「産み育て」を考えるワークショップ in 札幌 (第1回)

日時:2018年10月16日(火)10:00-12:00   12:00-13:00ランチタイム(任意)
場所:北海道演劇財団(札幌市中央区)

初日にお集まりいただいたメンバーは、乳幼児のママたち4名(子連れ参加)、子育てサポート活動をされている先輩ママたち数名、関係者で、合計10名。

●内容

まず最初に毎回恒例の全員の名前を覚えるゲームから始まり(不思議なことにこのゲームをするとものの5~10分程度で全員の名前をだいたいの人が覚えられます)、その後は、それぞれの参加者のみなさんの「産み育て」についての関心事やこのワークショップに参加した理由などを、一人1~3個、紙にペンで書いてもらい、書いたものを全員で眺め、お互いに質問したりして、でてきたトピックを仲間に分けて分類していきます。
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地域やその日のメンバーによってだいぶ出てくるトピックが変わります。ここ札幌のこの日のメンバーからでてきたのは大きく「地域と子育て」みたいなトピックがとても多く、このテーマで2つのグループに分かれて、それぞれ表現を考えることになりました。
そしてそれぞれのグループからは以下のような表現が出てきました。

グループA

寸劇
シーン1-1:乳幼児を連れたママが座っている。そこへいろんな人が通りかかるが、どう接していいかかわからず戸惑い、声をかけずに去っていく。
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シーン1-2:乳幼児を連れたママが座っている。「声かけないで」と書かれた紙を体に貼ると、通りかかる人は、「あ、声かけないでほしいのね」と通り過ぎる。その後、「おやつOK」や「かまってかまって」「おやつNG」と書かれた紙を順々に貼ると、通りがかりの人たちは、「あ、おやつあげていいんだ」とおやつを与えたり、積極的に声をかけたりするようになる。
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人形劇
シーン2-1:札幌市内のある公共施設。生後3ヶ月の赤ちゃんを連れたママが、トイレに入るために赤ちゃんをあずかってほしいと施設の職員に頼むと(公共トイレの赤ちゃん専用椅子は生後6ヶ月以上が使用可能)、職員は快く赤ちゃんを抱っこしてママをトイレに行かせる。
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シーン2-2:札幌市内の別の公共施設。同じママがまたトイレに行くために職員に赤ちゃんをあずけようとすると、今度は「そういうサービスはやってません」「責任がとれません」と言われ拒否される。ママは無理やりあずけてトイレにかけこみ、事なきを得る。


グループB

タブロ(静止画)
シーン1:縄文時代。みんなが焚き火を囲んで輪になっている。
シーン2:高度成長期~バブル時代。みんなテレビの方を見ている。
シーン3:現在。みんなそれぞれバラバラな向きでスマホを見ている。


グループA、Bの発表が終わったところで、お互いの作品を見た感想を話し合います。

●グループAの表現について

Aの方は、乳幼児を連れたママには声をかけた方がいいのか、そっとしておいた方がいいのか、子どもにかまっていいのか、食べ物をあげていいのかがよくわからずに困る。なので、その時々の状態をヘルプマークとかみたいに表明してくれると助かる、ということから生まれた表現でした。
これには賛否両論あり、上の世代からは「他者の様子を読み取る能力が退化する」という意見や、また若い世代からは「コミュニケーションが楽にできるようになる」という意見などがあがりました。
話し合ううちに、その時々の状態を表明してもらいたいと思う心の奥にあるのは、「傷つきたくない」という気持ちであることが明らかになってきました。
わたしたちはこれから、できるだけ傷つかないですむコミュニケーションの方法を選択して生きていくのでしょうか。上の世代は傷ついてもまた修復して立ち直っていくのが人生、若い世代は傷つかない方法を選んでいくことに楽観的、という言葉がでてきました。

●「演劇」の役割

さて、これをどちらが正しいのかを判定するのは演劇の役割ではありません。ただ、「演劇」という表現の自由が確保された時間と空間の中で、ちがう考えをもった者どうしが出会っていく。このこと自体が価値だと考えています。目的は違う考えをもつ相手と敵対することでもありません。人間とはどんな生き物なのか、どこへ向かっているのか、それを正直に一人一人が感じ、考えてみることなんですね。自分が知らなかった視点が他者から提供され、それを全員で共有し、一緒に考えてみる。
そしてここで話し合ったことを、それぞれがどう考え、どう生きていくのか、それはここに参加した全員が、これからそれぞれに答えを探していくこと、つまり自分の今の生き方やこれからについて、少し客観的に考える時間を持ち、そしてまた主体的に選択、行動していくことへつながっていきます。

●グループBの表現について

さてグループBでは、縄文から現代までの時間の中での人間のコミュニケーションのあり方が3つのタブロによって表現されました。このグループでは、学童クラブで働く男性から「子どもたちは学校でまったく生き生きしていないと思う。学校で過ごす時間を浪費してるような気がする」という意見がでました。これに対し、先輩ママからは学校は先生たちだけでなく、先生、親、子どもたちはともに育ち合う場所、的な発言があったり、学校の先生の仕事をしている一人の乳幼児のママは「浪費と感じるのはどういうところですか?」という質問があったり。結局、先生も親も、みんな考えていること、目的は一緒なので、先生たちだけの責任にしたり敵対したりせずに一緒になにが子どもたちのためになるのかを考えて連携してみんなで子育てをしていけたらいい、ということに話が落ち着き、コミュニケーション不足が問題ということになりました。「昔、焚き火を囲んでた頃はねえ…」と問題提起をした男性がぽろっと発言したところから、コミュニケーションのあり方の変化をテーマに表現を作ることに決定。

●続・演劇の役割

人数が多く、発言も多いメンバーが集まったこともあって、この日のワークショップは2時間をこえてしまったけれど、どのグループも話が白熱した。ここで演劇ならではのことは、やはり対立する意見をもった人が集まっても、それを表現として昇華させていくため、ただのぶつかり合いにならず、お互いの意見を聴き合いながら、演劇=Play=遊びとして表現していくため、深刻な対立はそこでは生まれようがなく、異質な他者どうしがお互いのちがいやなぜ違うのかを客観的に知り合い、ともに考える場所として機能する。それが「演劇」が「劇場」で果たしてきた役割なんですね。ただ、このワークショップという名前の演劇空間では、みんなが俳優と観客の両方の役割を体験します。
でプレイヤー、表現者というものには率直さが必要なので、日常ではやっていたりする自分を飾るということも表現の場では必要がなくなり、率直になれた者どうしは、そこであるつながりみたいな感覚が生まれてきて、考え方がちがって日常では友だちになれないような人ともなんとなくお互いを認めあってつながりが持てるようになってしまうのです。
こういうことは自分でもたくさん体験してきたし、現場ではちょくちょく目にすることですが、そのたびに「演劇」ってスゴイなあ〜と、もう30年近く演劇を続けているにもかかわらず、今も新鮮にそんなことを感じ、ぜひたくさんの人に体験してもらいたい!と願わずにはいられないのです。

さて、札幌の「産み育てを考えるワークショップ」は11月まで全6回。
ぜひぜひお気軽にご参加ください🌟
詳細は↓
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山ヲ下ル

この夏、人生100年時代の「下山の心得」について、子どものつきそいで行った耳鼻科の待合室で、ある雑誌の特集を読んだ。
人生を登山に喩えると、前半生は山登り、後半生は山を下るということになり、その心得についての特集で、歴史上の著名な僧侶や文学者などが迷える下山者に道しるべとなる言葉を授けるという面白い企画だった。
わたし自身ももうそろそろ山を下り始めている身である。これからどんな下山の道になるのか、どう下山していくべきかを考える時期かもしれないなと思った。

自分の前半生を振り返ると、心の安定する場所がなく、空想の世界の中で過ごすことの多かった幼少期。そんな幼少期の閉じた世界の外に居場所を求め始めた思春期。大人の世界の入り口で知った孤独。「自己責任」という言葉。生きる残るための競争に加わり、人生前半の山登りは、移り変わっていくまわりの景色もろくに見えず、無我夢中で険しい山道を登る日々だったと思う。時には疲れてその場にしばらくしゃがみこんで動けなくなった時もあったし。
前半のほんとの終盤では家族として一緒に歩いてくれる人たちにも出会った。

下山は登山と比べると見晴らしがいい。たしかにゆっくり景色を眺める余裕さえあり、山歩きを本当に楽しめるのはむしろ下山の方かもしれない。
「下山の心得」に出会ってから、3ヶ月が過ぎるうちに、またたくさんのさまざまな出会いや再会があった。
その出会いたちに導かれるように、自分なりの、下山の心得のようなものが生まれてきた。
まず、下山にはもう「競争」はいらない。(下山の競争って、生き急ぐということ!?)
これからは、「競争」じゃなくて、「つながって」生きていくということ。
その方がきっと、ずっと楽しい下山になるにちがいない。

ここ3年ほど、なんとなく方向性を見失ってぼんやりと突っ立っているような感覚だった。
登山の意識と体を引きずったまま下山口に立っていた、あるいはもう山を下り始めていたのかもしれない。

下山への意識の転換の最初のきっかけになったのはまちがいなく、在日フィリピン人のみなさんを取材して作ったドキュメンタリーのインスタレーション作品「マキララ」だった。
インタビューの折に、Joeさんから発せられた「forgive,forgive」と娘に向かってくり返される言葉が、わたしに突き刺ってきた時だ。
自分の中の怒りや悲しみが生み出した、体の底に沈む固い塊。
それはどうにもほどけず、自分自身を苦しめる。
どうしたら「forgive」できるの。もう気にしないつもりでもまだたしかにある塊。

それから時折その言葉と向き合ううちに、「わたしは誰かに許されてきたの?」ということに思い至る。
故意にやったことでないかぎり、なかなか自分になにか罪があるとは考えにくい。
でもたとえ悪気はなくても、無意識のうちに誰かを傷つけたり、若気の至りでしてきたようなことを考えると、わたしもたくさんの人に許されて今ここにこうして立っていられるんだと、ふと冷や汗が出るような、救われるような瞬間がやってきた。ベランダに立って、洗濯物を干し終わったところだった。

それからほどなくした、ある晴れた気持ちのよい日。明るくおだやかな春のような光の中で、右肩のあたりからなにかがふうっと抜けて、軽い羽のように空の方へ昇っていった。
わたしは空を見上げながら、すうっと身体が楽になっていくのを感じて、ああもういいんだ、終わったんだ、と思った。

登山は慣れていても、下山はまた新しい道を新しい歩き方で歩かなければならない。
また冒険が始まるのね、と不安と期待に胸をふくらませ、息を吐く。

出会い、再会に感謝。




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