この夏、人生100年時代の「下山の心得」について、子どものつきそいで行った耳鼻科の待合室で、ある雑誌の特集を読んだ。
人生を登山に喩えると、前半生は山登り、後半生は山を下るということになり、その心得についての特集で、歴史上の著名な僧侶や文学者などが迷える下山者に道しるべとなる言葉を授けるという面白い企画だった。
わたし自身ももうそろそろ山を下り始めている身である。これからどんな下山の道になるのか、どう下山していくべきかを考える時期かもしれないなと思った。
自分の前半生を振り返ると、心の安定する場所がなく、空想の世界の中で過ごすことの多かった幼少期。そんな幼少期の閉じた世界の外に居場所を求め始めた思春期。大人の世界の入り口で知った孤独。「自己責任」という言葉。生きる残るための競争に加わり、人生前半の山登りは、移り変わっていくまわりの景色もろくに見えず、無我夢中で険しい山道を登る日々だったと思う。時には疲れてその場にしばらくしゃがみこんで動けなくなった時もあったし。
前半のほんとの終盤では家族として一緒に歩いてくれる人たちにも出会った。
下山は登山と比べると見晴らしがいい。たしかにゆっくり景色を眺める余裕さえあり、山歩きを本当に楽しめるのはむしろ下山の方かもしれない。
「下山の心得」に出会ってから、3ヶ月が過ぎるうちに、またたくさんのさまざまな出会いや再会があった。
その出会いたちに導かれるように、自分なりの、下山の心得のようなものが生まれてきた。
まず、下山にはもう「競争」はいらない。(下山の競争って、生き急ぐということ!?)
これからは、「競争」じゃなくて、「つながって」生きていくということ。
その方がきっと、ずっと楽しい下山になるにちがいない。
ここ3年ほど、なんとなく方向性を見失ってぼんやりと突っ立っているような感覚だった。
登山の意識と体を引きずったまま下山口に立っていた、あるいはもう山を下り始めていたのかもしれない。
下山への意識の転換の最初のきっかけになったのはまちがいなく、在日フィリピン人のみなさんを取材して作ったドキュメンタリーのインスタレーション作品「マキララ」だった。
インタビューの折に、Joeさんから発せられた「forgive,forgive」と娘に向かってくり返される言葉が、わたしに突き刺ってきた時だ。
自分の中の怒りや悲しみが生み出した、体の底に沈む固い塊。
それはどうにもほどけず、自分自身を苦しめる。
どうしたら「forgive」できるの。もう気にしないつもりでもまだたしかにある塊。
それから時折その言葉と向き合ううちに、「わたしは誰かに許されてきたの?」ということに思い至る。
故意にやったことでないかぎり、なかなか自分になにか罪があるとは考えにくい。
でもたとえ悪気はなくても、無意識のうちに誰かを傷つけたり、若気の至りでしてきたようなことを考えると、わたしもたくさんの人に許されて今ここにこうして立っていられるんだと、ふと冷や汗が出るような、救われるような瞬間がやってきた。ベランダに立って、洗濯物を干し終わったところだった。
それからほどなくした、ある晴れた気持ちのよい日。明るくおだやかな春のような光の中で、右肩のあたりからなにかがふうっと抜けて、軽い羽のように空の方へ昇っていった。
わたしは空を見上げながら、すうっと身体が楽になっていくのを感じて、ああもういいんだ、終わったんだ、と思った。
登山は慣れていても、下山はまた新しい道を新しい歩き方で歩かなければならない。
また冒険が始まるのね、と不安と期待に胸をふくらませ、息を吐く。
出会い、再会に感謝。