阿部初美のブログ

演劇の演出家です。

Life

発達障害グレーゾーンは栄養不足かも?

栄養素の計算で頭がいっぱいの日々から、ほどなく解放される日が思わぬ形でやってきた。

10歳くんが学校に行けるようになって2~3ヶ月ほどたったある日、虫の知らせのようにふと思い立ってランドセルの中をあけてみたら、月間のコミック雑誌1冊分ほどの厚さの、ぼろぼろの紙の束が入っていた。とり出して見てみると、9月からのお手紙やひどい点数のテスト、授業で使ったと思われる資料、などなどだった。やっと学校に行けるようになったのだから、怒ってはいけない。。。自分に言い聞かせた。
翌日の夕方、担任の先生から電話があった。一昨年の秋から約一年、ほぼ学校に行けていなかったため、とくに算数がついていけなくなっているようだ、テストの最中も爪に絵を描いて遊んでいて集中していない、宿題もずっと免除していたが、これ以上放置すると授業についていけなくなるので、家で今までの復習をしてほしい云々。わたしはランドセルを開けたら、9月からの紙束が入っていて驚いたと告げると先生は、わたしが入れたんです、と言った。机の中を見てみたら大変なことになっていたんで、、、。

とにかく分数がわからなければ生きていくのは大変だ。公約数や公倍数もほとんどわからないらしい。文章問題が苦手と聞き、問題集を買いあたえ、計算ドリルと合わせて毎日やるように話をした。親が家でおしえるしかない。嘘でしょー💦。

月一回の定期受診の日、都内のクリニックの先生にこれを話して、もしかしたら発達障害かもしれないと言ってみた。腹痛頭痛で数ヶ月休むということが始まった3年生の時、忘れ物なくし物が多くて、担任の先生からも検査してみてくださいと言われたこと、でも検査が半年待ちで、その間になんとなく落ち着いてきたようにみえたこともあって検査しなかったこと、興味が次から次へとうつって散らかしっぱなしで片付けをしないこと、使ったらもどす、が1年生の時から言い続けて5年生になった今もほとんどできるようになっていないことなどを説明して、どうしたらいいですかね?と聞いてみた。
先生はちょっとの間黙って、たぶん脳が興奮状態にあって、なにかの栄養が足りていなくて、Lグルタミンが多すぎてうまくGABAに変換できずにいるので、栄養素を足したり、GABAのオイルをのませたりするか、または重金属デトックス、と言った。お母さんに虫歯があって、アマルガムや水銀などが使われていると、それが胎児の時に赤ちゃんにいってしまっている可能性もあるという。あるかも!と言うと、どれどれと先生は小さなペンライトでわたしの口の中を照らしのぞきこむと、この辺はあやしいですね、アマルガム水銀除去の歯科は紹介できますよ、ただし保険が効かないので高いけど、と言った。のちにかかりつけの歯医者で聞くと、やはりそれは使われていて、金属なんていろいろあるんだから、と歯科医の先生はちょっと不機嫌になったたけど、保険が適用になったからと、1本はグラスファイバー素材にかえてくれた。

とりあえず、ドイツ製で安全性の高い子ども用のマルチビタミン&ミネラルとGABAオイルが処方された。こちらも保険が効かないので高い💧。のませてみたら、少し片付けができるようになってきた。計算ドリルと問題集もがんばって続けられている。算数はそうとう疲れるようで、ひとしきりやるとかなり疲れた顔になっているが、とりあえずよい方向に向かってきたかも。
そしてマルチビタミンとミネラルで必要な栄養素がある程度摂れるようになったので、わたしは食事ですべての栄養をまかなうことを考えなければならない日々から解放されていった。

翌月の定期受診、クリニックの先生に報告すると、じゃあマルチビタミン&ミネラルの量を増やしてみて、それにプラスしてオメガ3系のサプリ。
なんかどんどん増えるなあ💦。。。
かさむ治療費に焦りつつも、今が正念場、と気持ちをおさえ、とりあえず先生の言われた通りにしてみた。

するとすぐに驚くべき変化が起こった。
「やっとみんなと同じように過ごせるようになったよ〜!」
学校からの帰り道に突然、10歳くんが大きな声で言い放った。
なに???と聞くと、これまではみんなのテンションが高すぎて、暴言をはいたり、それがうるさくてうるさくてとてもストレスだった、でも今日はそのうるささが気にならずにみんなと同じように過ごせた、学校にいる時間が長くて長くて本当にストレスだった、という。これには驚いた。
そういうことだったのか。
ストレス性の頭痛が起こっても、なにがストレスなのかわからない、と言っていた10歳くんも、感じていたことをやっと意識化して言葉にできたんだろう。
これが栄養の力か、、、と驚いた。
クラスに問題児がいて、その子が嫌だということだったが、それだけでこんな頭痛が起きているはずがないと思い、なにが原因なのか考え続けていた。

今までおくれた分の算数、宿題もがんばって、算数をやってもそんなに疲れた顔をしなくなった。さらに連絡帳も毎日書いてくるようになり、テストや手紙も持ってかえってくるようになった。
「水筒、宿題、手紙テスト、連絡帳、体温表」の頭の文字をとって「す、し、て、れ、た」を毎日学校で唱え、帰ったら必ず出すこと、というルールも決めた。
もともとは勉強がきらいなわけでもなく、あたらしいことを習うとよくご飯時におしえてくれた。テストの点数も平均点くらいにはもどってきたと思う。さらに、毎日言っても言ってもできなかったことが少しは言われなくてもできるようになってきた。とりあえず、お風呂のあとに使ったバスタオルは洗面所に干され、使ったドライヤーの待機電源は切られるようになった。5年間毎日言い続けてできなかったことだ。
宿題なんてほとんどやらなかったことを考えるとすごい進歩だと思う。

宿題には、わたしは最初から疑問をもっていて、1日学校で勉強してきてるのになんで帰宅してまでやらせるんだろうくらい思っていた。でも、10歳くんが学校に復帰して、分数をおしえはじめてわかったことがあった。おしえた時にわかっても、くりかえしやらないとその知識は定着しない、ということだった。おしえてわかったはずのことが次の日にはまたわからなくなっている。宿題とは、その知識を脳に定着させるためにあるんだとはっきりわかった。
せっかくおしえたことを次の日に忘れられてはこっちもうんざりである。。

とくにいい成績をとって、いい学校にいって、いいところに就職してほしい、とかは思っていないし、勉強はしたくなった時がタイミング、とも自分をふりかえって思う。
だけど、いつか自分のやりたいことに手が届くくらいの学力はつけておいてほしい、と切に思う。結局はなにごとも日々のこつこつしかない。

「いい変化がありました。」
翌月都内のクリニックの先生にご報告した。先生は興味深そうにわたしの報告を聞き、
「耳が敏感でまわりがうるさく感じるのかもしれませんね」と言った。
「実はわたしもそうだったんですよ」とわたしは自分の話をした。
17歳くらいから、疲れるとまわりの音が耳の中でわんわん大音量になって響き、耳が痛くてたまらなくなるという症状が時々でるようになった。ところが、去年の夏、10歳くんと一緒に腸内真菌、つまりお腹の中のカビをとる食事プログラム3週間にチャレンジしたら、3週間目にその症状があらわれて、カビが死ぬ時の好転反応で一時的に症状があらわれるダイオフだったのかもしれない、それ以来一度もその症状がでたことがない。
「そのプログラムはどこかに書いてあったんですか?」と先生。
「あの、北九州のクリニックの先生が書いた本でした。」
ああ、と先生はその著者の名前を言い当てた。
やっぱり同業者どうし知ってるのかな。一般的な西洋医学に比べたらまだまだ本当にせまい世界だろうし。オーソモレキュラー系、とでもいうのだろうか。
「10歳くんは発達障害ではありませんね」と先生が言った。
「え!?ちがうんですか?」
「栄養不足ですね。」
「はあ。栄養不足。。。」
そうだったのか。。。食べ物の好き嫌いはほとんどないが、小さい頃から食がほそくて、ほんとうに食べる量が少ないので、栄養不足はあり得る話ではあるが、ちょっと拍子抜けした。
「ちなみに重金属デトックス、というのはどんな感じなんですか?」
「少し前までは出来なかったんですが、今はできるようになったんですよ。GABAみたいなオイルを3ヶ月のませるんです。でも重金属の検査が10万円、治療用オイルが一月10万円で3ヶ月、トータル40万円です。」
「そうですか、うちは栄養剤を続けてみます。。」

10歳くんのことで、オーソモレキュラー医学、なるものを知った。薬に頼らず、足りない栄養を足したりすることで根治をめざす医学、といったところだろうか。この手の本を数冊読んだ。
いろいろなことがわかってきた。
慢性疾患は栄養や腸を整えることでだいぶ改善できる、ということだ。耳の症状は腸のカビとりで出なくなったが、27歳くらいから片頭痛発作に悩まされている。閃輝暗点とよばれる、視界が銀色に光って見えなくなったり、アメーバのようなものが見えたりする症状がでて、その後ひどい頭痛がでて、薬がなければ3日間くらい起きられないこともあり、最初の頃はよく救急車のお世話になった。そのうちいい薬ができて発作は3時間でおさまるようになった。ホルモンの関係なので更年期には出なくなると聞いていたが、ここのところむしろ回数がふえたようにも感じていた。生理とも関係していて、更年期で生理が不定期になり、月に2回もくるようになった影響もあるかも。しかし片頭痛もオーソモレキュラー系の本で、ビタミンB2とマグネシウム不足、それに運動不足が原因とわかり、本の指示通りにビタミンB2とマグネシウムをのみはじめてみたら、なんとそれっきり片頭痛発作はでなくなってしまったのだった。
なぜ27歳というタイミングで急に片頭痛発作が起こり始めたのか、後に気づいたのは、そのちょっと前に、一人暮らしを始めた影響で、パン、パスタ、うどん、食生活が完全に小麦中心に変化したことだった。小麦は腸を傷つけ、腸内環境を悪くする。あの、耳の症状が出始める少し前からは、よく外食でパスタを食べるようになっていたことにも気がついた。小麦はカビの餌でもある。

それから日本人に足りないと言われる3大栄養素、マグネシウム、亜鉛、ビタミンDも摂り始めてみたら、生理前生理中のひどい更年期の症状がだいぶおさまってしまった。割れやすかった爪も割れなくなって本当に驚いた。
夫もひどい花粉症なので、水素をのませてみたけれど、月2500円の安いものでは効かなかった。クリニックのドクターズの水素は月6000円でよく効くらしい。残念。今は自己免疫疾患をおさえる酪酸菌に餌をやる方法に切り替えた。

とにかく日本の土壌は火山灰地でマグネシウムが土、野菜や水からあまりとれないので、この地に暮らす人はマグネシウムが不足するらしい。マグネシウム不足はうつ、不眠、片頭痛、足の吊り、高血圧などさまざまな症状を引き起こすという。しかしマグネシウムは単体でとるのはよくなく、ブラザーイオンとよばれるカルシウムと一緒に摂る必要がある。とか、またわたしの頭の中は栄養素のことでいっぱいになっている。

10歳くんは、頭の方の問題は快方にむかっているけれど、やっぱり体力問題が残る。
子どもの副腎疲労に関する本にも出会った。
10歳くんの症状はまさにこれだった、と思う。
腸や体内のどこかに炎症があると、それを抑えようとして、副腎からコルチゾールなるものが分泌され、炎症が続くと副腎が働き続けて疲弊してしまい、とにかく体力がなく、いつも疲れている子どもになってしまうという。
すぐに疲れてしまうから宿題ができなかった。10歳くんは1日学校にいってくるだけで本当にいつも疲れていた。宿題なんかやる体力も気力も残っていない。お風呂に入ってご飯を食べるとやっと少し回復したけど。運動しなさいと運動をすすめたけど嫌がった。運動しないから体力ないんだよ、と責めたりもした。でも、運動すらできないほどに疲れている。なんかおかしい、と思っていた。そのうち学校にも行けなくなり、家にずっといることでますます体力がなくなっていったと思う。太陽の光すら浴びず、外の空気を吸ってお日様にあたってこいと言っても本当に嫌がっていた。まさに、検査の結果通り、ビタミンB6とタンパク質が不足したうつ状態だった。

あの10歳くんの疲労が副腎疲労からきていたものなら、腸の炎症がおさえられれば、副腎も回復するということになる。遅延型アレルギーの除去食をはじめてまもなく半年。腸の状態は少しはよくなっただろうか。
まだあやしい。一度薬でだめにしてしまった腸をふたたび強くするのはやはりそんなに簡単にはいかないだろうことは想像がつく。食べ物での治療には時間がかかる。
春一番が吹いた2月から、10歳くんはまた時々、頭痛や腹痛や疲れをうったえはじめ、習い事や学校を時々休むようになった。ひさしぶりに鍼灸に連れていくと、「南風の影響ですね」と先生が言ったのでびっくりした。
梅雨なんかが体調に影響するのは知られてるんですが、春一番とか南からの風も影響することはあまり知られてないんですよ、とのこと。
そういえば、10歳くんが体調を崩し始めた時期とぴったり重なっていた。

クリニックからは、遅延型アレルギーでできた特定の食べ物に対する抗体は約半年で変化し、そのあとは少しずつまた摂取して様子をみる、という行程が示されている。
まもなく半年。
またカレーや海苔、みかん、ナッツなんかが食べられるようになるかな。残念ながらもう小麦と牛乳はこのまま疎遠になるだろう。でも最近は牛乳の代わりに飲ませたオーツミルクを好きになりはじめている。時々は玄米パンも食べて文句はない。
わたし自身も思わず健康になってありがたい。
やっと半年。あと半年で一年。
こつこつやるしかありませんね。
もうすぐ春休み。


過敏性腸症候群はリーキーガット症候群かも?

小児科で「過敏性腸症候群」とか「自律神経疾患」とか診断され、原因も治療法も不明、小さい頃から虚弱体質で感染症にかかりやすく、3年生頃からお腹が痛い、頭が痛いで学校を何ヶ月も休むようになっていた10才男児くんはコロナ禍でふたたびお腹痛いと頭痛いがひどくなっていった。
過敏性腸症候群と言っても、下痢も便秘もしていない。10才くんはただただお腹が痛いだけなのだ。
「過敏性腸症候群は思春期にひどくなる」という小児科の先生からの予言を受け、小学生のうちになんとかせねばと思い立ち、あれこれ調べ、鍼灸医院を受診、そこで「原因は0才の時にかかったRSウイルスと併発して何度もくり返した中耳炎、そこでくり返し使った抗生剤」と聞かされ本当に驚く。が、小さい頃からの虚弱体質が初めてそこでつながって納得した。

腸に関する本を読みあさった。ドイツの腸研究者の「おしゃべりな腸」で子どもに抗生剤を使うと2ヶ月たってももとに戻らなかったという研究結果を知りぞっとする。ベストセラーにもなった「あなたの体は9割が細菌」で、鍼灸医院の先生の言葉を確信した。
そういえば同じ保育園にやっぱりRSウイルスにかかったお友だちがいたことを思い出してひさびさに連絡をとってみる。なんとその子も現在「過敏性腸症候群」、そして喘息と吃音。
さらにほかの知り合いからも0才でRSウイルスにかかって以来ずっと虚弱体質のお友だちがいるという話を聞いた。
RSウイルスは1才すぎてかかればただの風邪、しかし0才でかかってしまうとほとんどは入院、さらに喘息になる可能性がとても高いというとても怖いウイルスで、うちの10才くんはその時かかった小児科の先生が勉強熱心で、最新の薬を処方してくださり、喘息をまぬがれた上に入院するほどの事態にならずにすんでいた。でもその時から中耳炎をくり返し、月に何度も小児科に足を運ぶことがあった。
抗生剤を使うと、体を守ってくれる善玉菌も激減してしまうのでかえって感染症にかかりやすくなってしまう。それを知らずに、ちょっと病気をして抗生剤が処方されないと症状が長引くので忙しい親は自ら抗生剤を要求してしまう…。くり返して使用される抗生剤は自閉症の原因にもなっている。

10才くんが0才くんから2才くんだった頃、どれだけたくさんの抗生剤をのんだか、、、そう思うと血の気がひいていくようだった。小さい頃の10才くんの腸は抗生剤の多用で多様性が失われ、きっと「ディスバイオシス」といわれる状態になっていた。
鍼灸医院の先生は「胃腸が弱ってますね。胃腸の弱い人は暑さと湿気に弱いんですよ。でも食事療法も続けて強くなればそのうち拾わなくなりますから」「感染症にかからなくなってきたらいい印」とおしえてくれた。コロナ給付金をつぎこんで鍼灸医院に週1で通い、全く行けなかった学校にも週の半分くらいは行けるようになってきていた。

同時に腸のことを調べすすめ、抗生剤は腸の真菌つまりカビには効かないので、抗生剤をくり返し使っている人は腸のカビが増殖してさまざまな炎症を起こしている可能性があることを知る。
カビを殺す3週間の食事プログラムを夏休みに実行して、カビが死ぬ時アセトアルデヒドなどの有害物質を放出するために一時的に起こる「ダイオフ 」現象のような頭痛が続いたので心配になる。やはり専門家のアドバイスが必要、とネットで腸内真菌も診てくれそうな都内のクリニックを探して受診。そこで腸内真菌と遅延型アレルギーの検査を勧められ、おしっこと血をとってアメリカに送る。自分の腸の善玉菌をふやしてくれる乳酸菌生成エキスと消化酵素を処方してもらう。
頭痛はその後いつもの慢性的な頭痛の様子になり、鍼灸医院でストレス性と診断され、ストレスのツボに鍼を打ってもらうと頭痛はあっという間にひいてしまった。ストレスはないと思い込んでいた10才くん本人もわたしもびっくりしてしまった。10才くんはそれから毎日学校に行けるようになっていった。

約1ヶ月ほどして、アメリカに送ったおしっこと血の検査の結果がでた。
心配していた腸内真菌は正常値の範囲。「食事プログラムやったから死んだかもね」と先生が言う。
ビタミンB6とタンパク質が足りていなくて鬱っぽくなってたらしい。たしかにこのところの10才くんは鼻先に人参をぶらさげても見向きもせず、いつもどこかぼんやりして、外の世界にもあまり興味を示さなかった。「食べる量が減っていたせいもあるかも」先生が言う。セロトニン値も低かった。

そして遅延型アレルギー。
あんまりたくさんの食べ物に抗体ができてしまっていてほんとに驚いた。とびぬけていたのは小さい頃から大好きな牛乳だった。
「遅延型アレルギー」というのは、摂取してすぐ症状が出る「即時型アレルギー」とちがって、摂取後しばらくたってから症状がでるのでわかりにくいアレルギーで、実は日本でも多くの人が持っているらしい。「これまでの不調には牛乳が関わってたかもね」と先生が言う。
ほかにも卵白やえんどう豆(この2つは日本人はでやすいらしい)、寒天(あとで焼き海苔とわかった)、カレー粉、アーモンド、オレンジ(たぶんみかん?)、マスタード、大麦、醸造発酵食品(醤油、かつおぶしなど)などなど。これらの食品を半年間ほど避けなければならない。半年間で抗体数が変化するということで、半年後にまた少しずつ、様子を見ながら摂取してよしになる。
栄養指導の先生から、卵白NGなら栄養の多い卵黄を2個ずつ食べさせるといい、というアドバイスをいただく。それほど抗体が多くなかった小麦もNGなのは、牛乳のカゼイン同様、小麦のグルテンが傷んだ腸をさらに傷つけてしまい炎症を起こしてしまうから、ということだった。
帰ってアレルギーがあった話を10才くんに告げると牛乳のところで泣き出した。知り合いの中学生は「牛乳やめるくらいなら今の(過敏性腸症候群の)ままでいい!」と言ったらしい。

鍼灸医院の指導でも小麦、乳製品、砂糖、冷たいもの、精製されたもの、添加物NGという食事療法を続けてきたけど、さらに食べられるものが減ってしまった。
麺類はダメ、食べられる主食は玄米と小麦粉不使用の玄米パンだけ。乳製品も卵白もダメ、豆もえんどう豆っぽいものはダメ。食べられるのは砂糖の代わりに羅漢果やキシリトール、はちみつやオリゴ糖を使ったザ・和食のみ。
ネットや実店舗をまわって玄米の麺やパスタ、食べられそうなおやつや食材を探す。外食も買い食もほぼNG。毎日の食事にものすごく頭を使うようになった。そして外食や買い食で料理を休めないのもきつい。

「遅延型アレルギー」についてさらにいろいろ調べていると、「リーキーガット症候群」という言葉がよくでてきた。腸はふつう網戸みたいになっていて取り込んだものを通さないようになっているらしいが、リーキーガットはその網戸が壊れてスキマから未消化の食べ物や体に入った悪いものが漏れてしまうらしい。すると漏れたものの抗体ができてしまい、それが遅延型アレルギーで抗体ができている食べ物、ということらしかった。
そうなんですか?とクリニックの先生に聞いてみたら、抗体のできてる食べ物がこれでも少ない方なので10才くんはこれでもそんなにひどい炎症ではないと思うという答えが返ってきた。
リーキーガットについてのデジタル書籍も読んでみた。今のところ食事やサプリで治していくほか方法がないらしい。動物の骨を6時間以上煮出した骨髄液のスープがいいらしく、牛や鶏、鹿の骨を週に一回煮出して朝晩飲ませる。
一週間の食事内容の記録を提出したら栄養士さんにとても褒められた。細かい油の種類なんか以外はほぼパーフェクトだったらしい。でもお母さんの方が倒れないようにしてくださいね、と言われた。お母さん倒れそうです。。

ふと思い立って「過敏性腸症候群」と「リーキーガット症候群」という言葉を検索ワードにそれぞれ検索してみた。「過敏性腸症候群」を扱うクリニックと、「リーキーガット症候群」を扱うクリニックがあった。
「過敏性」の方は、原因も治療法もわからないとされることが多いけれど、「リーキーガット症候群」の方は食事療法や栄養剤などで治療可能。そして過敏性の中にはリーキーガットが多く含まれているらしい。「リーキーガット症候群」はまだ発見されて間もない症候群で、日本にもやっとこの病気を扱う専門外来ができてきているがまだまだ一般的ではないみたいだった。

10才くんはと言えば9月からはほぼ毎日登校できている。ただし無理をしたり、給食を食べ過ぎたり、外で食べられるものがなかった時にNG食品を食べてしまったりして、週1回くらいのペースで休んだり、遅刻したりはしている。
でも風邪をひけば小児科に受診して薬を処方してもらわないと治らなかったのが1日休んだだけで復活できたり、念願だったスポーツの習い事も始めることができたり。ミトコンドリアも少しは増えてきたかもしれない。

それにしてもきついのはこっちで、更年期の症状が始まっているので、そういう時に時々重なる10才くんの体調不良のケアと食事作りが本当にきつい。
しかし食べ物の世界は本当に奥深くて、風邪に効くもの、更年期に効くもの、胃腸に優しいもの、下痢に効くもの、疲労に効くもの、いろいろ調べていくうちに薬膳にまでたどりついた。
たったひとつのビタミンとタンパク質が足りないだけで鬱になる。アレルギー、肥満なんかの21世紀の慢性疾患の原因はほぼほぼ腸の状態にあることも知った。
牛乳で摂取できるカルシウム量については諸説あるものの牛乳なしになった10才くんはたぶんカルシウムが足りないだろう。なにでカルシウムをとったらいいのか。しかもカルシウムはマグネシウムとビタミンDと一緒にとらないと摂取できる量が減ってしまう。運動始めたからへたしたら骨折もありうるかも…。
最近わたしの頭の中は常に栄養素のことでいっぱいになっている。

同時にお灸の勉強もしてみた。実際に更年期の症状がひどい時にお灸してみたらあっという間に症状がやわらいだのにはびっくりした。ツボ押しも意外と効く。

まもなくオリンピックが開催されるはずだった2020年も年末。夫が応募していくつかの競技のチケットが当たっていたけど、それも払い戻しになっている。学校関係もあらゆるイベントが中止になった今年はなんとなく思い出が少ない。自粛の終わる梅雨の頃からはずっと台所に立ち、食材を探し求め、パソコンとにらめっこしていた。

コロナ元年(?)は思わず健康改革の年になりました。
1年経った頃を想像しながら、1日1日、今日の小さな積み重ねを大切に。

RSウイルスと抗生剤、自閉症、発達障害

突然始まったコロナの世界で、自粛中、zoomを使ったオンライン・リーディングを俳優のみなさんとライブでお届けしていました。一時は日本全国から本当にたくさんの親子が観客として参加してくださって、こんなことがなければ一生出会わなかったかもしれない全国のみなさんと、わずかな時間ではあっても読み聞かせを通して一緒に過ごすことができたのは、なんだかうれしいことでした。
自粛解除後は参加親子は少なくなったけれど、「オンラインリーディングの会(仮称)」は「あっとほーむしあたー」という名前に変わり、俳優のみなさんの意向によって、月に1、2回のリーディングはまだ続いています。とくに週末夜8時、どなたでも参加OKの「おはなしパジャマパーティ」は眠りにつく前のひととき、ゆっくりと横になって聞くおはなしの時間はとってもすてき。スケジュールとお申し込みは最近できたばかりの「あっとほーむシアター」ホームページ、またはFacebook「オンラインリーディングの会」専用ページから。

さてオンラインリーディングですてきな時間を過ごす間にも、うちの10歳くんはお腹痛い毎日を送り、自粛期間が過ぎて学校が始まっても、学校に行けない日が続いていました。
10歳くんのお腹痛いは今に始まったことじゃなく、3年前の、小学3年生の梅雨の時期からでした。最初はだいたいお腹痛いで始まって、1週間くらいすると頭痛いに変わることが多くて、長いと2ヶ月くらい学校をお休みするようになってしまいました。小児科に連れていくと「副鼻腔炎かも?」と抗生剤を渡され、それとカロナールをのませると、当時9歳くんの顔色はまっ黒になってしまい、一応耳鼻科で診てもらってくださいと言われて耳鼻科にいくと「副鼻腔炎ではないと思うけど、大きな病院で検査してもらってもいい」と言われたけど、なんだかそうじゃないんじゃないかという気がしてそれっきりにして、わたしが片頭痛持ちでそれは遺伝するというので、今度は頭痛専門外来でイブプロフェンという強い薬を処方されたり、でもどんな薬をのんでも10歳くんのお腹痛いや頭痛いは治りませんでした。それどころかどんどんひどくなって、最初は梅雨や夏、台風や気温差の激しい時期にでていた症状は、わたしが「青い鳥」の舞台の稽古と本番をしていた冬の2ヶ月の間も続いて、4年生の時はトータルで4ヶ月も学校を休み、やっとよくなって登校できるようになってきた矢先のコロナでまた学校がお休みになってしまい、自粛が終わって短時間授業だった2週間はひさしぶりの学校を楽しんでいたものの、梅雨と通常授業が始まると同時にまたお腹痛いが始まり、またお休み生活にもどってしまいました。
不吉なことにある小児科では「過敏性腸症候群」と診断され、「過敏性腸症候群は思春期にひどくなる」と予言されて、これ以上学校を休むようになったら10歳くんの人生は大きなダメージを受けてしまう、と思い詰め、とにかくなんとしても治療しなければと、やれることをやることにしました。
まず「過敏性腸症候群」と診断された1軒目の小児科では「効かないと思うけど」と整腸剤のようなお薬を大量に渡されましたが、もちろん効きません。2軒目の別の小児科では「自律神経疾患」と診断され、どうしてもお腹が痛い時に、と胃腸の動きを止めてしまう強い薬が処方されましたが、それでも効きません。
小児科はあきらめました。次に鍼灸がいいとどこかで聞いたのを思い出し、近くで小児鍼もやっている腕のいい鍼灸師さんを探して、ネットで何十軒もある鍼灸院のホームページと口コミをひたすら読み続け、たどりついた一軒の鍼灸院に10歳くんを連れていき、既往歴を書いて診察を受けると・・・

「原因として考えらえるのは2つ。0歳の時の離乳食のタイミングが早かったのと、0歳でかかったRSウイルスと、併発した中耳炎、それに使った抗生剤で胃腸が弱くなってその後も感染症にかかりやすくなった」というお話があった。まさにふり返ると思い当たる節があって、中耳炎は2歳のヒブワクチンを受けるまでかなり頻繁にかかっていて、0歳からずっと抗生剤を処方され続けていた。その後は「ヘルペス」にかかったり、「単純生股関節炎」にかかって再発して、一時は股関節の成長が一時的に止まってしまう「ペルテス病」の可能性も指摘されたけど、3ヶ月の経過観察の末、その可能性はなくなってホッとしたり、5歳頃からは食事にものすごく時間がかかるようになって、ひどいと2時間くらいかかる。今もそうだけど、とにかくちょっと食べるとすぐに「お腹が」と言って席を離れ、ごろごろと横になってしまう。それでまたちょっと経つともどってきて食べて、また横になって、を繰り返すこと1〜2時間。そして8歳から本格的な腹痛と頭痛で何ヶ月も学校を休むようになってしまって今にいたる。
鍼灸では「脈診」といって身体中の脈を診るところから診察が始まる。背中にきたとき、10歳くんはくすくすと笑い出した。くすぐったかったみたいだ。院長は「ハマったかな。このくらいの子どもって、一度ハマると止まらなくなるんですよね」と言って背中の脈診は中断。こういうくすぐったさや笑いも症状に関係していると後から聞いた。院長はとても丁寧にわたしの話を聞いて、鍼灸と食事での治療を説明してくれた。「小麦と乳製品と砂糖をやめてください。主食は玄米にして、発酵食品を多く摂らせること。キムチは果糖の入っていないもの、できれば市販ではなく焼肉屋が自家製で作ってるようなもの。それにザワークラウト・・・」
ハードルが高い。めっちゃ高い。。。
脈診の結果、やはり胃腸がかなり弱っているとのこと。胃腸が弱いと暑さや湿気が堪え難いほど体が弱ってしまうらしい。鍼灸と食事で胃腸を強くしていくこと。そうすれば湿気や暑さにも耐えられるようになってくる。感染症にかからなくなってきたらいい傾向、だそう。
そういえば、夫の実家の九州を親戚でよく旅行することがあったが、夏休み、いつも10歳くんは熱を出して、旅行を台無しにしてしまっていた。旅先は熊本が多かったけど熊本の暑さと湿気は関東の比じゃなかった。
それで梅雨とか台風の時期に症状がでることが多かったのか。。

それでとにかく食材と料理を考え始めた。ザワークラウトは市販のものは発酵してないらしく、手作りするしかなかった。キャベツまるまる一個千切りしてジップロックに入れて塩をふり、全体をよく振って常温で一週間、冷蔵庫で2週間置くと完成する。
パンも麺もダメ。玄米100%のパンと米麺を探し回る。大好きなラーメンはやめられないだろうから。そしてグルテンの少ない古代小麦のパスタ。牛乳大好きくんは牛乳もつらいな。。カルシウムどうやってとればいいんだろ。。。
小麦と牛乳をやめなさい系の本は見かけていたけど、まさか自分が関わることになるとは思ってなかった。
それから「抗生剤の影響」についてもっと知りたくなっていろいろ調べ始めた。
友人から勧められた邦訳されたドイツの「おしゃべりな腸」という本には、子どもに抗生剤を使うと2ヶ月経ってももとに戻らなかったという実験結果が載っていて、冷やっとした。それからいろいろな本を調べて、つい何年か前に「腸内フローラ」の存在があきらかになったとよくテレビで特集が組まれていたけど、そこから腸内環境の研究がだいぶ進んで、いろいろな病気の原因が腸にあることがわかってきた、ということがわかった。
小麦や牛乳をやめろというのはそこに由来する話で、小麦のグルテンや牛乳のカゼインは粒が大きく、腸の粘膜を傷つけたり、腸にすき間ができるリーキーガット症候群と言われる状態になっていると、そういう粒の大きなものや悪いものが腸を通過して体内に放出されてそれが原因で炎症が起こったりなにかの症状が出たりするらしい。
そうして調べるうちにわたしは抗生剤の乱用の本当の恐ろしさを知っていくことになった。抗生剤を使い続けると、抗生剤は腸内細菌には効いても、誰のお腹にもいる腸内真菌、つまり「カビ」には効かないので、菌がいない間にカビが増殖してアレルギーをはじめ様々な疾患を起こす、ということ。これには「頭痛」や「化学的な香りを嗅ぐと気分が悪くなる」「天気で体調不良になる」など、うちの10歳くんにあてはまる項目がけっこうあり、腸内真菌をうたがうようになった。腸内真菌を減らすための食事プログラムが本に掲載されていたこともあり、これを3週間、実践してみることを思い立つ。これは鍼灸院での食事指導よりさらにハードルが高い。わたしも「アレルギー性鼻炎」や「聴覚過敏」の症状があるので、10歳くんと一緒にやってみることにした。一人でやらせるのもかわいそうだったから。
甘味は砂糖どころかハチミツやオリゴ糖もNGで、可は羅漢果とキシリトール、ステビアだけというが、ステビアは不妊になるという話を聞いていたのでやめる。羅漢果とキシリトール、手に入るのか。。
ネットで見つけて購入、高い(涙)。ドレッシングも調味料もみんな手作りしないといけない。
カビを死滅させる食材もちょこちょこ一緒に使う。MCT、グレープシードオイル、オレガノ、ローズマリー、にんにくなどなど。
夏休みをかけて3週間。ちょうど3週間目の終わり頃、ある朝10歳くんは不機嫌に起きて「頭が痛い」と言ってばたっと横になり、そのまままた眠ってしまった。それからお昼頃まで起きなかった。それから頭痛が始まったけど、なんだかいつもの頭痛とちがう感じだった。顔色が悪くて、すぐに寝てしまう。
「ダイオフ」かもしれないと思った。カビが死ぬ時、中にためこんでいた重金属、水銀やアセトアルデヒドなどの有害物質を体に放出して、一時的に症状が悪化することがある、と本に書かれていた。
まさか、本当にダイオフなのか、と半信半疑ではあったけど、そういう時はそういうものを吸着する活性炭をのむといいというので、「キッズカーボン」という子どもがのめる活性炭(本来は添加物排出のため子ども用に開発されたらしい)をやっとネットで探し出して急いでのませた。それから鍼灸も受診してみた。腹痛の時には効いた鍼灸は、この頭痛には効かなかった。それから2週間ちかく、頭痛は少しずつましにはなったもののよくはならなかった。もしこれが本当にダイオフならば、素人のわたしの手にはあまる。。。

日本にも多少できつつあるという、腸内環境の専門医をネットで急いで探した。都内に何軒か見つけたけど、みんな遠い。。子どもも診るところはとくに遠い。一軒は世田谷にあって、やはり食事療法をメインにしたところで腸内真菌だけじゃなく、腸内環境全般について。自閉症、発達障害の食事療法による改善を目的にしている。
そう。抗生剤の恐ろしさはここにある。「自閉症」や「発達障害」の原因になっている可能性が指摘されているのだ。
「あなたの体は9割が細菌」というベストセラーの本がある。長くて専門的なことがたくさん出てくるから読むのにとても時間がかかるが、これは一読の価値がある、多くの人に読んでもらいたい本だ。
アメリカの、ある男の子が中耳炎とおぼしき症状で医者に抗生剤を処方される。その後も症状が治るまで、何度も抗生剤は処方され、その男の子は自閉症の症状がでるようになった。おかしいと気づいたのは母親で、その原因が抗生剤と破傷風菌にあったことをつきとめたのもその母親だった。その経緯が詳しく書かれていた。「手遅れ」の炎症もある。が、改善する症状もある。

抗生剤を子どもに与えると、腸の細菌は劇的に少なくなる。そうして2ヶ月経ってももとに戻らない。善玉菌も日和見菌も悪玉菌もいなくなって、荒れ果てた腸は「ディスバイオシス」という状態になり、ウイルスや悪い菌が体内に入ってきても、守ってくれる腸内細菌がいないので、感染症にかかりやすくなってしまう、そこにまた抗生剤を処方され、、、という負のスパイラルにおちいっていくのである。
うちの10歳くんも、まさにそんな状態だった。

同じ保育園で、おなじくRSウイルスにかかった女の子のお友だちのことを思い出して、今どうしているか連絡をとってみた。
「過敏性腸症候群」
おなじだった。それに吃音。
うちの10歳くんも落ち着いてしゃべることが苦手で、興奮気味に言葉をくり返すクセがあったけど、あれもそうなのか。

抗生剤は命を救う薬として開発されて、たくさんの命を救ってきたけれど、多くの中耳炎など、今は抗生剤の必要のない病気にまで、簡単に抗生剤が処方されてしまう。
子どもの病気がなかなか治らなければ、仕事に家事に忙しい母親は医者に抗生剤を出してくれと自ら頼む。
発達障害や自閉症は増え続けている。
もちろんすべてがそうとは限らないだろうが、この因果関係がやっと明らかになろうとしている。

ダイオフかもしれない症状の10歳男子を連れてわたしは、都内のクリニックに向かった。そこは産業医で本来子どもは診ないけれど、特別に診てもらえることになり、ホームページにあった料金表に目が飛び出たけれど、コロナ給付金をあてることにして、覚悟して向かった。
先生はとにかくよく話を聞いてくれて、腸内の乳酸菌を増やすサプリと、消化酵素を処方して、腸内真菌と遅延型アレルギーの検査を受けるかどうかをわたしにたずねた。遅延型アレルギーとは、食べてすぐに症状がでるのではなく、時間差があってでるわかりにくいアレルギーのことだった。
両方受けさせてみることにした。尿検査と採血だった。日本ではまだ検査はできないようで、10歳のおしっこと血はアメリカに送られていった。

それから。もちろんすぐに頭痛は治らない。でもなんとなくいつもの頭痛にもどってきたような気がして、もう一度鍼灸院を受診してみた。一応、都内のクリニックを受診して検査を受けたことを院長に報告すると、なんだか不機嫌な様子になってしまったけれど、脈診をし直して「ストレスはないって言ってましたよね?」と聞いた。わたしは10歳くんには学校でのストレスはないと思っていたし、本人もそう思っていた。授業はきらいじゃないし、お友だちもしょっちゅう遊びにいったりきたりして楽しげに遊んでいる様子をよく見ていたから。わたしと10歳くんは顔を見合わせた。院長は「ストレスですね」と言い、ストレスのツボに鍼をいつもよくずっと強く刺してちょっと痛そうだったけど、するとあっという間に10歳くんの頭痛は消えていった。
わたしも10歳くん本人もあぜんとした。院長は「今日はこれで終わりです」というといつもならば鍼の後にするお灸もなしで、短い診療は終わりになった。
それから毎日ストレスのツボに家でお灸をして、もう頭痛がでることはなくなり、ここ2週間ほど、今年初めて学校に毎日登校できている。
季節も暑さと湿気がひいたせいもあるかもしれない。でもこのあいだの台風の後は、いつもなら腹痛か頭痛で学校を休んでいるところを、学校から帰ってきて「もうダメ。。。」とちょっとくたばってたくらいですんだ。
鍼とお灸と、食事療法と、乳酸菌生成サプリと消化酵素、みんなが力を発揮して、10歳くんの体を少しずつ強くしてくれているのかもしれない。

ネットや本を調べて調べて、探し回って探し回って、作って作ってまた調べて探して作って、、、6月くらいからずっとそんな日々だった。そしてやっと学校に行けるようになって、ホッとして、今度はちょっとわたしの方に疲れがでてダウンしている。でもそろそろ立て直し。
ハードな食事療法は続けなければならないけど、最初に比べたら少しは慣れてきた。かな。腸を強くするために動物の骨を6時間以上煮だしたスープを毎週作って朝晩のませる。これが腸の粘膜を修復してくれるらしい。ただし、抗生剤を使っていない安全な動物の骨にかぎる。ということでこれまた探すのに一苦労だけど。。。

そしてアメリカに送られた10歳くんのおしっこと血液の検査結果がでるのはもうすぐ。



オンラインリーディングはじまり

「青い鳥」湘南台公演が終わった3日後から、NPO芸術家と子どもたちの仕事で、都内の小学校6年生と卒業までに演劇作品を作るワークショップの仕事が始まり、休む暇もなく、6年生たちとのワークショップに明け暮れていた。

9月に2日間かけて、登校しているクラス全員の子どもたち37人と個人面談という無謀なことをしてヘロヘロになったけれど、子どもたちが今どんなことを感じて生活しているのかがとてもよく見えてきた。
そこで見えてきたことから4つのテーマをとりだして、作品を作ることに決めた。
「空気を読む」「陰口」「将来の不安」「中学校へいったら」
想像力豊かで、表現を考えるのが得意な子どもたちで、できるだけ自分たちの力で作ってもらうことにして、こちらからの極力指示をおさえていたけれど、心の中の葛藤や友だちとの関係、自分たちの状況をとてもよく表現してくれていた。
担任のT先生はクラスの一人一人をまるで家族のように(あるところではもしかしたら家族以上に)本当によく理解していて、ワークショップ後のふり返りではクラスの一人一人について話し合った。主催のNPO芸術家と子どもたちの担当者のFさんも本当に熱心な方で、T先生と3人、子どもたちを劇作りの体験を通して、人生の次のステージに送り出そうと、日々連絡を取り合い、準備を進め、本番ふくめてあと3回というところまできた2月末、アーツカウンシル東京から、突然ワークショップ中止の連絡が入った。
もう作品の構成もほぼ決まっていた。次のワークショップまでに、子どもたちにセリフを覚えてもらうために急いでテキスト作りをしていた。突然その必要がなくなってしまった。突然すべてが消え、まもなく子どもたちは学校にも行けなくなった。あまりにも突然の変化に、現実は受け入れがたく、ちゅうぶらりんのまま、なすすべもなく呆然としていた。少しして、子どもたちと先生に手紙を書いた。
中途半端になってしまったけれど、どれだけ子どもたちに演劇を通して、自分や友だちを見つめなおす体験をしてもらえただろうか。希望もある。そして蒔いた種も。その種はいつか、みんなの中で芽を出してくれるだろうか。本当にかわいい子どもたちだった。もう会えないということが信じがたい。
卒業までの少しの間、一緒に過ごさせてくれてくれて、一緒に悩みを考えさせてくれてありがとう。
わたしたちにとって、あなたたちと過ごせた時間は宝物のような時間でした。

長い人生、こんなこともある、と思う。ドイツを行き来していた頃、ああいい言葉だなといつも思っていた言葉がある。Das ist Leben.「これが人生」。なにかどうしようもないことが起こった時なんかに言う。「これが人生」。そんなに都合よくできていない。
それでも長い人生に経験することが、戦争なんかじゃなくてよかった。

小学校でのワークショップの他にも同時進行中の仕事がいくつかあったけど、芸術やスポーツはまっ先に切られるところで、それらの仕事は延期になったり、先が見えなくなったりしたけど、またいつかやれる日が来るだろうくらいの気持ちでいた。
自分の子どもも同じく休校でうちにいるようになった。
ほどなく「呼吸器に基礎疾患のある人は重症化する」という話を聞いて、自分があてはまることに思い当たり、毎年インフルエンザをもらってきてはべったり離れず必ずわたしにうつす子どもに話をして、手洗いうがいをしっかりやってくれるように頼んだら、わたしにうつしてしまったら、という恐怖からか、わたしからべったり離れなくなり、ストレスからくる頭痛や腹痛をくりかえすようになってしまった。2週間の休校期間が終わり、学校が再開すると聞いた時は、学校に行かせるのはやめようと思った。
そこで緊急事態宣言となり、学校がはじまることはなかった。
なくてよかった。わたしの住む地域では、小学生の感染者が3人出たが、そのうちの一人が発症したのは、緊急事態宣言の翌日だったらしい。もし宣言がなく、学校が再開していたら、クラスターになった可能性もある。
会社員の夫は在宅ワークになることもなく、毎日変わらず出勤し続け、わたしにべったりでちょっと赤ちゃん返りしてしまったような10才くんと家に二人きりで家事以外なにもできない日々が続いていた。
そこにひさしぶりに独身時代、舞台作品を一緒に作ってきた制作の聖子ちゃんから連絡があった。
今こそなにか始める時ということもわかっていたけれど、一日中べったり子どもにはりつかれていては何をすることも叶わなかった。

そこにテレビのニュースが流れこむ。「子どもと密室続きでストレスフルな親が多く、子どもに手をあげてしまいそうという人もいる。」その状況、痛いほどわかる。追い詰められていく。本当はそんなことしたくないのに。
やっぱり今、なにかできることを始めなきゃならない、と腹をくくった。今、つながる手段はオンライン。オンラインには苦手意識をもってたけど、はやくからその可能性をおしえてくれた聖子ちゃんもいてくれるし、そんなことを言っている暇はなく、準備に時間をかけずにすぐに届けられそうなこととして、親子むけのオンラインリーディングを考えた。
自宅待機している俳優たちに声をかけると、ほとんどが快諾してくれた。無償にもかかわらず。。
その多くは、子育て中の俳優たちで、そのため舞台の仕事はわたしのようにほとんどできなくなっている俳優たちだけど、独身時代には演劇界で大活躍していた人たちもいて、実力派ばかり。ほんとにぜいたくなリーディングになった。でもそうじゃなければ、目的を達成できない。つまらないものなら見てもらうこともできないんだから。
こうして、東京、京都、札幌の演劇人たちとオンラインリーディングの企画が始まった。

演劇集団 円と「青い鳥」

あまり知られていないし、プロフィールにもほとんど載せていないが、わたしは演劇集団 円という集団(「劇団」ではなく「集団」という)に所属している。芥川龍之介の息子である芥川比呂志が文学座から独立して作った、故・中村信郎さんや故・岸田今日子さん、渡辺謙さん、トトロや銀河鉄道999でおなじみの高木均さん、81歳にしてうちの子どものベビーシッターさんで先日紀伊国屋演劇賞個人賞をとった野村昇史さんなど、名脇役と言われるような個性的な俳優たちが名をつらねる新劇の集団で、現在の代表は橋爪功さんである。

美大在籍中に観た、タデウシュ・カントールなどいくつかの圧倒的な舞台の影響で、舞台芸術の世界にとびこもうとしていた20代初め、とくに演劇集団 円の作品が好きだったからというわけではなく、日本で演劇を始めるにあたり、まずは太田省吾さんという劇作演出家のところで演劇を勉強させてもらいたいと思い、調べたところ、もう「転形劇場」という主宰劇団を解散していて、その後は太田さんの「更地」という作品に出演していた岸田今日子さんの所属する演劇集団 円に作品を書き下ろしたり演出したりしていることがわかった。太田さんのもとで学ぶには円に入るしかないと思い、研究所を受験、その後集団の演出部に入った。研究所も含め、太田さんに出会えるまで3年の月日がかかったが、やっとそこでわが師となる太田省吾さんと出会うことができた。
そしてたまたま同じ目的で円に入っていた谷川清美ちゃんとは、それからずっと仕事をともしていくことになった。

円に入ったことで、舞台作りの仕事をおぼえ、太田さんの演出助手の仕事もするようになり、それで一年360日くらい働いて、なんとか生活できるようになったが、息つく暇もないような生活に、ふとこれがいつまで続くんだろうという気持ちになった。円に所属しつづける理由は、「太田さんに出会う」から「生活のため」にかわっていた。
舞台作りの実践はだいぶ学んだけれど、「学」とでもいうべきものが全く欠けていて、円はそういう「学」を「頭でっかち」とののしり、忌み嫌う風潮があり、現場でそんな話はタブーのようになっていた。たとえば「異化効果」ってなんなんですか?と先輩たちに聞いてみても、「頭でっかちはダメ」「また難しいこと言って」と、誰もそれに応えてはくれなかった。
その頃から持病の片頭痛発作が頻繁に起き始めたこともあり、とにかく生活のためだけに舞台に関わって疲弊していくような状態を一度やめなくてはと、かなり思い切って、なんの収入のあてもなく舞台の仕事をやめた。

先の当てもなく、片頭痛発作が続き、不安がつのり、離人症のような症状まで出はじめて病院を転々とし、お先真っ暗な日々がしばらく続いたが、半年のうちに偶然、演劇学校の講師の職につくことが出来た。本当にありがたかった。念願の「学」の方を勉強する時間もたくさんできて、心理学、演劇学、社会学、哲学の本をとにかく読みまくった。

自己を知りたければ、世界の広さに目を向けなさい。
世界を知りたければ、自己の深みに目を向けなさい。

学生時代に好きだったシュタイナーの言葉だが、この時期わたしは世界の広さや自己の深みに思うぞんぶん向き合っていたと思う。世界や自分のあれこれに目からウロコがたくさんたくさん落ちた。今もわたしの仕事の土台を支えてくれているのは、この頃から出会っている数多くの本だと思う。

そうして30歳にも手が届くという頃、円の同期の俳優から「演出やらない?」と声をかけられた。演出部に「演出家志望」という名目で入ってはいたものの、演出家になる、と本気で考えたことはあまりなかったし、一時は舞台美術家にでもなろうかと知り合いの小劇場の美術をちょこちょこ手伝いはしたものの、作品や演出にしばられる低予算の舞台美術はあまりやりがいもなく、仕事量は多く、生活の足しにもならないのでやめてしまった。でももう30だしなあ、なにかしないとなあ、という思いから、演出をやってみることにした。作品は師、太田省吾作「抱擁ワルツ」。

円にはその頃、本公演とはべつで有志が上演する「小劇場の会」という制度があり、そこに企画を出して許可が下りた作品は自主企画として上演することができることになっていて、そこになんとか通してもらい、初めて自分で演出して舞台を作ることができた。それからはどこかにも書いたかもしれないが、あちこちから演出の依頼がきて、「演出家」になってしまった。もちろん「演出家になる」という覚悟なしに続けられるほど甘くはなかったので、ある日「演出家になる」ことを決意はしたが。

円でも一時、サラ・ケインの「4時48分 サイコシス」の日本初上演などをレパートリーとして提出してみたりもしたが、「そんなの誰が観にくるの?」という一言であっけなく却下。阿部演出作品は難解、と言われ、その後、円の本公演で作品を作ることはなかった。

そんなわけで円に在籍する意味もあまり感じなくなっていたけれど、こうして演出家としての仕事ができているのも、円でほぼ持ち出しなしに作品作りをさせてもらえたということが大きいし、現場で古典の名作の数々に触れられたことも大きいと思う。
そして初演出から9年間、あちこちでたくさんの作品を作らせてもらい、2010年の出産以来、舞台演出活動そのものを一時やめざるを得なくなっていたが、今年、10年ぶりに舞台復帰することになった。こうして数字を見ると、やってた時間より休んでた時間の方が長くなってしまったんだなあ、、、とあらためて思う。

さて舞台復帰は、なんとあれほどさけられていた、演劇集団 円の本公演、である。
円には岸田今日子さんが子どもに良質な舞台を、と企画した、毎年12月のクリスマスシーズンに上演する「子どもステージ」という、谷川俊太郎さんや故・佐野洋子さんなども書き下ろした歴史の長い名物企画が今も続いていて、その子どもステージで、メーテル・リンクの「青い鳥」を上演することになった。
ほんとはもっと「青い鳥」のことを書こうと思ったのに、書いているうちに円との関係の振り返りになってしまったけど、そんなわけで在籍約25年?にして初めて本公演デビューすることになった。
それが子どもステージになるとは夢にも思っていなかったけど、若い頃にお世話になったりしたりしていた今日子さんのシリーズ企画で、しかも子どもたちのための、というのはなんだかうれしい。そして今回の企画者はあの谷川清美ちゃんである。
観にきてくれる子どもや大人に、少しでもいい時間を過ごしてもらえるようにがんばりますね。

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