その後もあいかわらず病気ばかりでしんどい日々を過ごしている。
でもこの病気の体験はしんどいけれど、いろんなことを学ばせてくれている。
どっぷりと子育てと格闘しながら、今まで読むことのなかった本を読み、行ったことのなかった場所に行き、違う速度の中にぎくしゃくと身をおき、ずっと治療できなかったところを治療し、話したことのなかった人と話し、話すことのなかった話題を話し、立ち止って今までのやり方を見直し、違った角度から物事をみて、本来考えたかったことを考えている、ということを考えると、感謝すべきことだと思う。
だいたいいつも、痛い目にあわないと根本的になにかを改善しようとか痛切に感じなかったり、忙しさにかまけて先送りにしてしまうので、痛い目に遭うと、これは何かを学ぶべき時がきて、今までと違ったやり方や考え方や振る舞いを身につけなければばらないんだなと思う。
今は日本という国にもそんな時が訪れているけれど、そのことについて今は触れられない。
今はできることをしながら、無我夢中で「子育て」をしている。そうするしかない。
このところ、病気ばかりで本当に体はきついけど、嬉しい再会がいくつかあった。
それはこどもを産んで子育てしていなかったらなかったかもしれない再会だった。
産後はずっとずっと本当に孤独な生活だった。もちろんこどもはいつもいるけれど、話はできないし、外にでることもままならない、パソコンを開くことも、メールを書くことも、人と会うことも、電話で話すことも難しい。
今まで一つの場所にじっとしていることのない生活を送ってきたので、これは本当に苦痛だった。
いつもいろんな場所に行き、いろんな人と話した。やりたいことがいつもたくさんあった。
これがほぼすべて不可能になった。
赤ちゃんは眠らずに一日中泣き続けるし、近くには知り合いもいない、遠居の親もあてにならない、夫も忙しく帰りは遅いし土日も振替休日なしに出勤がつづく。
夫ともほとんど話ができないばかりか、夫以外の大人とまともに会ったり話したりもできなかった。
子育て中の母親はこんなにも孤独なんだと初めて知った。
もちろん親や友だちが近くにいたり、近所付合いがさかんなところはそんなこともないんだろうけど。
退職後のサラリーマンの生活ってこんななのかなとも思った。
ともだちはわたしの場合いつも仕事上の仲間だったけど、仕事がなくなってしまえば音信はとだえ、わたしはもう用なしの存在なんだな、とさえ思えた。
NHKのニュースでいつか「ミドルエイジクライシス」という特集があって、わたしと同じような体験や悩みを持つ女性たちが紹介されていたけど、彼女たちの思いは本当に共有できるものだった。
こどもはかわいいでしょうと言われるけど、正直、一才を過ぎるまでそんなふうには思えなかった。
そんな折、高校の時の同窓会があって、本当にひさしぶりに人の集まるところにでかけていった。
まだまだ授乳中だし、こどもはミルクを飲んでくれなかったから、だんなにあずけて出かけることも難しかった。出かけて遅く帰って、それから搾乳しなければならないのも面倒だった。
そこで20年ぶりくらいに当時の友人たちと会ってみると、多くの友人は結婚してこどももいて、子育ての悩みや苦しみに共感をしめしてくれた。
そこで再会した友人も「一才すぎるまでかわいいなんて思えなかったよ」と言ったけど、その言葉はどんなに安心させてくれたことか。
「昔のともだちって前置きなしに、直接話したいことを話せるからすごいよね」と言う友人もいたけど、ほんとにそう思う。
社会に出てからはそういう「ともだち」を作ることはとても難しい。
でもそれは悲観すべきことばかりでもないとは思うけど。
それから、去年の苦しい一年の間に、わたしに仕事をさせてくれた(この仕事にどんなに救われたか)、足立区の公共ホールが主催し、芸大の熊倉すみこさんのプロジェクトでもあった「SPC(スチューデント プロデュース コンサート)」のメンバーで、北九州芸術劇場に学芸員として就職したMさんが、北九州で「子育て」を表現にどう結びつけるかをテーマに勉強会と小学校でのワークショップを企画してくれた。
この夏、こどもをおいて初めて一人で北九州に行った。ひさしぶりの北九州でとても嬉しかった。
わたしは以前から小倉の街が好きで、山口YCAMに行くついでによく小倉にも遊びに寄っていた。
小倉の街の人々も元気で、地元の人は「荒い」というけど、その飾らなさはとてもつきあいやすかった。
北九州では、この企画をMさんとともに担当してくださっているNさんとも再会した。
3人のお子さんを育てたNさんはわたしにとっては先輩ママで、いろいろ教えてもらうことも多かった。
先日、Nさんに紹介された東京青山の「クレヨンハウス」に行ってみたけど、ここは子育て世帯の楽園のような場所だった。地下が自然食レストランとオーガニック野菜のお店、一階は絵本の本屋さん、二階は自然素材でできた世界から集められたおもちゃを扱うおもちゃ売り場、三階は女性のための本屋さんで、夏休みのせいもあって、上から下まで足の踏み場もないほど大盛況で、ほんと、こんな場所が近くにあったら通っちゃうだろうなーと思った。
また夏休みが終わった頃に訪ねてみたいと思う。
病気がピークにしんどかった日には、都内の劇場の学芸のEさんとKさんが訪ねてくれた。
Eさんの「仕事はいつでもできるけど、出産や子育ては時期限定だし、いつでも誰でもできるわけじゃない」という言葉にも、本当に救われた。
誰もそんなふうに言ってくれた人はいなかったからだ。
演劇の世界では、女性の演出家はもともと少ないけど、こどもを持つ人はほとんどいない。
知っているのは故如月小春さんくらいだ。
女性がこどもを持てば仕事のキャリアの中断や断念につながりやすい。
俳優でもこどもを産んで、いい形で復帰したり仕事を続けたりしている女性の俳優は少ないのではないかと思う。
わたしもそこには不安があったし、実際、仕事の世界からはすっかり忘れられたように音沙汰がなくなっていて、しょせんそんなものかと現実を思い知らされたように感じていたから、よけいにEさんのその言葉はありがたかった。
EさんとKさんは、わたしの近況の話を3時間も聞いてくれた。
打ち合わせなのに、こんな話をいつまでもいいの?と聞くと、それが聞きたかった、聞いたことをもとにどんな仕事をお願いするかまた考える、という答えで、これもまた本当に嬉しく、ありがたかった。
今、Eさんたちとはやはり「子育て」をテーマにしたワークショップの企画が進んでいる。
これには、子育て中の親子のみならず、こどもを持つ人持たない人、どんな人でも「子育て」に関心のある人に参加してもらいたいと思っている。
よく自治体が主催する児童ホームなんかの母子対象のイベントがあるけど、これではだめだとわたしは思うのだ。一度参加して以来行っていない。
もっといろんな年齢や立場の人と「子育て」を共有していけるような仕組みが必要だと、痛切に感じている。
その第一歩として、そんな時間と場所を作れたらうれしいと思う。
そして実際の出産育児体験や、北九州やEさんたちの劇場からのお誘いで気づいたのは、演劇というジャンルは、出産や育児のテーマをほぼ切り捨ててきたということだった。
人生や社会にとって必要不可欠でとっても大切なテーマで、多くの人がこの体験でいろんな思いをかかえているにもかかわらず、その声は演劇の世界ではほとんど表現されてこなかったし、自分にとっても盲点だったと思う。
そこにいつか形を与えていける日を待ちたい。